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『海街diary』 ③

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『ターミネーター:新起動 ジェニシス』を観ようと思ったが、どうも気が進まない。気が進まないものを観ても仕方がない。テレビで放映されるまで観ないだろう。「だろう」は未来形だから、変わるかも知れないがそれはその時のこと。『海街diary』を再度観てきた。この映画を二度観て、『ターミネーター:新起動 ジェニシス』を見たくないと思った理由を言う。

『海街diary』は何も起こらない地味な映画である。『ターミネーター:新起動 ジェニシス』は、SF映画だから、もうアレコレ起こりまくる映画であろう。だから『海街diary』がよくて、『ターミネーター:新起動 ジェニシス』がよくない映画だ。今の自分にとって…。SF映画大ファンだった。『2001年宇宙の旅』、『未知との遭遇』、『スター・ウォーズ』、『スーパーマン』、『マトリクス』などなど…。

何かが起こることてんこ盛りの派手なSF映画はもういい…。そういう年齢になったのだ。何も起こらない人の日常を描いた物語が、ずっとリアルである。何も起こらない映画に2時間ちょっと、椅子に腰掛けて、それで退屈しないなら、きっといい映画にちがいない。『海街diary』というタイトルだが、漫画や書籍のタイトルは原作者もしくは編集者がつける。

それほどにタイトルのインパクトは大きく、書籍の売れ行きに左右されるなら編集者が考えるのも当然だ。印象的なタイトルもあるが、近年は長ったらしい文章系タイトルも多く、これらはタイトルを見れば内容が理解できる利点がある。"セカチュー"と言われた『世界の中心で、愛をさけぶ』、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』などが文章系タイトルである。

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他にもたくさんあるが、「文章系タイトル」は、そのままセリフにしても違和感が無い。「チョべリバ」、「チャラオ」、「イケメン」に代表されるギャル語は短い省略言葉が多い。ギャルにかぎらず日本人自体やたら省略したがりやなのか、短い言葉が好きな人種のようだ。にしても、「文章系タイトル」はとにかく長い。覚えにくさというマイナス面もあるが、長い=面白いでもある。

従来の、『DRAGON BALL』、『ONE PIECE』、『NARUTO』、『銀魂』などは、タイトルだけではどんな作品か分かることはない。『ONE PIECE』という言葉から、誰が、「海賊王を目指す冒険ロマン漫画」と言い当てられるか。「世界で一番売れるワンピースを作るのを目指す服飾デザイナーの物語」と考える?『金田一少年の事件簿』なども中身が想像できるタイトル。

『鉄腕アトム』、『鉄人28号』、『月光仮面』、『まぼろし探偵』など、主人公をそのままタイトルにした時代に思えば、文章系タイトルは時代の変遷である。また、『海街diary』のような情景描写のタイトルもオシャレである。『海街ものがたり』、『海辺の四姉妹』、『鎌倉ストーリー』より洗練された感がある。『東京ラブストーリー』もオシャレなタイトルだった。

『海街diary』全6冊にはそれぞれ副題がある。①蝉時雨のやむ頃、②真昼の月、③陽のあたる坂道、④帰れないふたり、⑤群青、⑥四月になれば彼女は。この中で聞き覚えのあるのは、「真昼の月」、「陽のあたる坂道」、「帰れないふたり」、「四月になれば彼女は」である。「真昼の月」は1996年、TBS系で放映された織田裕二・常盤貴子主演のラブドラマ。

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映画を観終わった後で知人が原作全6冊購入した。彼女曰く、「まだ完結していなかった」。ならば今後も不定期で発売されるだろう。手許にあるが、漫画はどうも観る気がおきない。おそらく慣れの問題だろう、きっと…。ずっと前に、平田弘史と谷岡ヤスジの漫画を見て以来、その後に読んだ漫画がない。だから、見慣れない漫画はどうにも読みづらい。

おそらく漫画の良さがわからないのだろう。噛み砕いてあるのもちょっぴり物足りないのか。映画も小説も、初めて観る・読むのと、二度目とではかなり印象が変わる。何が起こるか分らない初体験に比べ、二度目は大筋でストーリーは掴んでいるので、細かなディテールなどに気くばせをする。セリフなどの思い違いも結構あったが、広瀬すずがこのように言っていた。

「台本をもらわずにやりました」。他の3人は台本があったようだが、是枝監督は広瀬にだけ台本を渡さないで、その場その場で演技指導をし、セリフを覚えさせられたといい、広瀬はどんなストーリーなのか、完成試写を観るまで何が何やらさっぱり分からなかったという。すべてをその場その場でやったらしく、そのやり方が広瀬自身にはすごく合っていたという。

四人が「SMAP×SMAP」に出演した時のことだが、長澤と綾瀬は初共演であり、中居が長澤に綾瀬の印象を聞くと、「ジョークが利いていて…」と長澤は言うが、中居がさえぎって、「本人はジョークのつもりはないんじゃない?」と綾瀬に言う。綾瀬は、「いえいえ、ジョークのつもりです」といえば、長澤も、「すごい狙って言ってました」と強調した。綾瀬は天然ボケのイメージだが。

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「へー、狙ってるの?」と驚く中居に対し、「自然にボケてるときもあるかも知れないんですけど、基本は人を笑わせたいという気持ちがいつもあるんです。」これには自分も「へーっ」であった。綾瀬はるかって面白いことを言いたいやつだったのか。長澤と綾瀬は長澤より年齢は2歳上だが、芸能界入りは共に2000年で、きっかけはオーディションであった。

綾瀬は2000年、第25回ホリプロタレントスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞、長澤は第5回東宝「シンデレラ」オーディションに応募し、35,153人の中から2000年1月9日に当時、史上最年少の12歳(小学6年生)でグランプリに選ばれた。先輩・後輩のうるさい芸能界で同じ年デビューという二人のバランスはとれていたが、心の中は互いに期するものはあったろう。

最初は一人で観、二度目は二人で観たが、長澤がよかったといい、自分は断然綾瀬の演技がいいと思った。主役はとりあえず四人ということだが、やはり長女綾瀬を中心とした姉妹の話である。観終わって、「綾瀬はいい女優になったな」と思った。もちろん、綾瀬も長澤も初めて映画で観たのだけれど、NHKの大河ドラマ「八重の桜」ではチラチラ観ていた。

チラチラ程度で、あのドラマはまともに観ていない。すべては跡付け、後で知って驚いたのは共に2004年に、『世界の中心で、愛をさけぶ』でヒロインの廣瀬亜紀を演じている。長澤は映画、綾瀬はTBSのテレビドラマである。映画は5月公開、ドラマは「金曜ドラマ」枠で、7月2日から9月10日まで放映された。二人は剃髪でも話題になったというが、どちらも観ていない。

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なるほど…。同じタイトルの同じヒロイン役とあらば、ライバル意識は嫌でも盛り上がる。互いが意識しあう相乗効果でいい映画が取れたと、是枝監督も内心思っているかも知れないし、その辺りを狙ったキャスティングの可能性もある。監督はそういう事は口には出さないだろうが…。夏帆や広瀬すずについての知識は皆無で、存在すら知らなかった。

知らないものは何かのきっかけで知ることになればそれでいい。若い子からみれば「おくれてる~」となるのだろうが、いつか分かればいいし、分からなくとも困ることではない。同じように若い子は古いものを知らないのだし、古いものを知らずとも何も困らないようにだ。これを異世代の共存というし、知らないことは互いが教えあうのがいい関係だ。

古い世代のオヤジが息子や娘に、「新しいものを知らなくてバカにされる」などといい、肩身の狭い思いをするというが、相手がバカにするからといってバカにされた気分になんでなるんだ?別に息子・娘でなくとも、世の人が自分をバカにしたからと、自尊心を傷つけられたというのは心の弱さか?あるいは、相手はバカにする意識がないのに、バカにされたという被害意識か?

バカにしたような言い方でも、バカにされたと思わなきゃいいし、思う必要もないだろうに、何かにつけて「バカにされた」という人は結構いる。していないのに、勝手にそのように言ったりする。おそらく強い劣等感を持ち、常に人は自分をバカにしてるのではないかとの妄想を抱いている人であろう。勝手な(被害)妄想だから、こういう人につける薬はない。

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自分で直すしかない。直す方法も自分でいろいろ考えたり書物を読んだりするしかない。他人がアレコレいうのはむしろ妄想を拡大するだけでいいことにはならない。自分はそれが分かっているから、被害妄想の強い人間には関わらないし、何も言わない。あえていうなら、「人のいう事を履き違えて、傷ついた、腹がたったなどというなら、もう何も言わない」くらいは言っておく。

それしかない。自分で自分を直さない限り関われない。人をバカにしたり、見下げた物言いをしない自分は、そういう風に言われると会話をしないがいいとなる。人をバカにして何の得があるというのか?だが、人にバカにされたと思う人間は、人をバカにすることで何か得を感じているんだろうし、得がないと思う人間は、バカにされたと思うことはない。

人をバカにしたい人間が相手をバカにする言葉を発しても、バカにされたと思わなければ、相手は苛立つのか?そんなの知ったことことか。勝手に苛立っておれ。という気持ちになればいいが、そんなに難しいことなのか?相手はバカにしたいんだろうの意思は感じるが、相手がそういう意図をもってしても、残念ながらお前如きに自分はバカにされないとなればいい。

それが正解だろう。「その言葉そっくりお前に返すよ」と、とってつけた言葉は好きじゃないから言わないし、「バカにしないでくれ」も言う必要ない。バカにされた、されないは、バカにされたと思うか思わないかにある。劣等感が原因ならなくせばいい。方法は自分で見つけること。他人の劣等感を無くす方法等見つけられない。バカにする奴も、バカにされたと思う奴も面倒くさい。

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劇中すずは、自分の実母が幸や佳乃、千佳たち姉妹の父を奪った悪い女の負い目があるのは分かる。だから、母のことは誰にも語れない。すずがそんな母を好きでいるのは、みんなの手前よくない事だと思うのも分かる。そこが、すずが三姉妹に気を使うところだろうが、こんなことは世間にたくさんある。AとBは友だちで、AはCとも友だちだが、BはCを嫌っている。

これが女の世界では、BがAに対し、「Cと仲良くしないで」などという。オカシなことだが、Bは自分の好きなAが自分の嫌いなCと仲がいいのが気に食わない。だから、AにCと仲良くするなという。子どもの発想だが、今が子どもなら仕方がない。AはBとCの間に挟まれて心苦しい。こんな話はたくさん聞いたが、女の世界というのはなんとつまらん世界だなと思った。

これを感情世界という。男なら仲のいいAが、自分の嫌いなCと仲良くしたところで、自分には関係のない事。自分とAの人間関係には何の関係もないと思うからだ。当たり前に(理性的)に考えればそうだし、Cと仲良くするなよとAにいう権利などない。ところが、女は自分が嫌だからとの理由でAにそれを言う。子どもと言っても高校生くらいでもこんなことはある。

自分の嫌うCをAにも嫌いになって欲しいとの心理は働いても、それを強制することはオカシイだろに。女はそれが分らないというより、感情を優先させるのだ。理性で食い止めようとしないところが女である。困った立場にいるAの悩みをたくさん聞かされた。が、男がそんなあり得ないことに意見を言っても仕方がない事も分かった。問題はBのAに対する独占欲だし。


Bに対して言ったこともあるが、感情優先を理性でコントロールできない、しようとしないBには「豚に真珠」である。すずが実母のことを好きでも、幸・佳乃、千佳には関係ないという、そこは大人の映画である。昔から、「敵の敵は味方」という。自分の敵はAであり、AはまたBを敵としてる場合にあって、Bは自分の味方になり得るという図式であろう。

幸は父を奪ったすずの母が敵であるなら、その母をすずが嫌いである方が、幸とすずは仲良しになるということだが、すずは幸にそういう風に見せていた。山の上で「お母さんなんか大嫌い!」と幸の前で叫んで見せた。幸はそんなすずを気づかう。自分の立場がすずにそういう事を言わせていることに気づく。人の本当の心に思いを寄せることで、本当の関係を築ける。

是枝はそれを描きたかったようだ。家族という「和」の中に個々があるのではなく、個々が家族という便宜に依存している。大事なのは家族の「和」ではなく、個人の主体であろうかと。それを「和」重視し、優先するから欺瞞家族ができあがる。下重暁子著の、『家族という病』はそういうことが書かれているのでは?読んではないが、欺瞞とは上辺という事だ。


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