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「男心」

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「女心」が男に分かりにくいように、「男心」もまた、女に分かりにくいのではないか。「男のひとは分らない」という言葉を幾度聞いたことか。男の子を持った娘もそれをよく言っている。それほどに男女差というのはあるらしい。女は生まれたときから基本、女の世界(環境)で育つし、男も同じこと。性の違いは環境の違いが大きく左右させるのではないかと思うが。
 
環境説というなら、多少なり分る部分はあるが、男女の本質的違いというか、根本的違いがあるのだろうか?あるならどういう違いが提示されるのか?熟年離婚に訪れたある女性が、結婚30年の生活の中で夫から受けた不快な出来事が紹介されていた。これは、女性の夫特有の性格なのか、それとも男一般に存在する情動であるのか、検証しながら男心に迫ってみる。
 
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①自分が高熱で倒れているときに夫は「メシはないのか」と言って私を気遣ってくれなかった。
 
②子どもが急病で入院することになり準備していると、帰宅した夫は事情を聞くと「ところでオレのメシは?」
 
③私が近所の話をすると「だから何がいいたいんだ。結論から言え。お前の話は空想が多すぎる。事実だけを話せ」といわれた。何も答えを求めているわけではなく、ただ愚痴を聞いてほしいのに。以後夫と話すことはなくなった。
 
④自分の両親には気遣うのに私の両親には冷たい。
 
⑤夫の体調が悪くなったとき「病院に同行して自分の症状を先生に伝えてほしい」と懇願された。日ごろは大きいことを言っているのにこんなときだけ私に頼る。まったく都合がよすぎる。
 
⑥家計簿をPCでつけ始め、領収証をすべてチェックし「無駄が多い」と小言を言う。私を信用していない。
 
この中で共感できるというか、「そういうことはあるな」と感じるのは、③のみであった。自分だけではサンプリングが少ないから、他の部分は「甘えた男の子ちゃんですね」と言い切るのも躊躇われるが、こういう男の実態は生育環境によるのでは?そんな風に感じる。ただし、③について男は愚痴を好まない。建設的な会話の方が頭を思考させられるからかも…
 
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思うに男は感性重視の会話より、思考重視(理性的)になり易い。結論も求めないその場限りに愚痴など言ったところで意味がないと感じるからあえて言わない。そうである以上、聞く事も好まない。問題意識を提示するなら、そのことについて結論(解決)を求めようとするのが狩猟時代からの男の思考パターンではないか。獲物を逃がした、次は何としてしとめてやるぞ。
 
男の思考は創意工夫や建設的なものである。一時期主婦の発明が商品化されて、話題になったが、多くは何気ない日常の中から感性的に発見されたものが多い。男の発明は最初から何かを生もうと理詰めで思考していくのではないかと。やはり思考ゲームは囲碁・将棋・チェスなどの例をみても、男の方に分があるようだ。能力と断定するよりも、性差とすべきだろう。
 
「女はバカだ」と男が思うのは、女の思考があまりに直線的過ぎて、それでは獲物は捕まえられないだろうと、男はあらゆるところに網を張り、細かく思考するのはやはり獲物を逃がしたくないからである。足の速い、体格も大きい、野獣的獰猛性、そんな動物を獲物としてしとめるのは、並大抵のことではないはず。考えないことには一族郎党が飢えてしまう。
 
と、愚考する。男は思考ナシでは生きていけないし、そういう男は男世界の片隅に追いやられて出番なく存在感も有益性もない。現代は多くのものが組織化されて思考ナシでも誰でも同様の結果が出さされように体系化されている。こういう時代だから人はバカにならざるを得ない。マニュアル症候群といって、マニュアル至上主義、絶対主義に誰も疑問を抱かない。
 
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マニュアルどおりやらずば、叱られ罰則まで与えられる。あらゆる方面がそうであり、体系化されすぎている学校なんてのは、滅びの道をたどった恐竜と同じになってしまうのでは?の懸念を抱く。「親によって子どもは変わる」が、親を代えるわけには行かない。と、同様に「教師が代われば子どもは変わる」と、クラス担任を代えて子どもが変わった事例は多い。
 
子どもを持つ親も担任が変わって子どものやるきや意気込みが変わった経験は、自分にもあった。「教師が変われば生徒も変わる」というには、大学の教員過程を終えて教員免許を取っただけでは教師という職業人ではあっても教育者でない、という自制がどの程度の人数の教師にあるのだろうか。日教組が宣言した労働者として人権意識の高い教員が日本をダメにした。
 
調理師免許を取っただけで料理人といえないのと同じこと。教育者となるべく、料理人となるべく研鑽を積まないことには子どもたちを納得させられる教師にはなれない。顧客の舌鼓を打つ料理人にはなれない。面白いことに男の教師と女の教師はまるで思考が違うし、男の料理人と女の料理研究家というのが、これまた違う。教育全般にわたる包括的思考の違いといえる。
 
料理に対するロマン、追求性の差は感じられる。男の方が凝り性である結果がこのような差を生んでいる。凝り性であるためには視野狭窄ではダメで、例えば釣りという趣味・道楽も多くの凝り性を生むが、彼らの創意工夫をはじめ、道具や餌に、釣り場のあれこれなどさすがに凝り性といえるくらいの包括的知識を身につけている。身につける必要が凝り性という栄誉だ。
 
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教育という壮大なロマンに人生を捧げた人物といえば二人の男が浮かぶ。『松下村塾』の吉田松陰と、『トモエ学園』の小林宗作であろう。『松下村塾』の門弟たちと松蔭の師弟関係は、何かを求める若者の熱き思いが偶然の出会いをもたらせたとか、あるいは若者を惹きつけるような志や情熱を持った大人が、その発露としてなにがしかの学び舎開いていたということ。
 
そういう状況でしか生まれようがないものなのかも知れない。斯くの松蔭のような麗しい師弟関係は、現代の公教育の中でも教師次第で可能だと思うが、日教組のような「教員」ではなく、最低限「教師」という自覚を持った人物が必要かと。現代のような体系化された教育システムとは程遠いが、江戸時代には全国一律の義務教育はない変わりに各藩に藩校があった。
 
それぞれの藩のお国ぶりや風土を反映した藩校で著名なのは、米沢藩の興譲館、長州藩の明倫館、和歌山藩の学習館、佐賀藩の弘道館、熊本藩の自習館、薩摩藩の造士館などなど。全国に300校くらいはあったという。江戸幕藩体制下における藩校教育の多様性と水準の高さは、幕末に日本を訪れたエルギン伯・ジェームズ・ブルースの『エルギン卿遺日使節録』に述べられている。
 
「日本には国民教育についてわが国よりもっと広く普及している制度があるようだ。(略)この点に関する限り、彼らが我々よりも進歩していることは明白である」。藩校はもとは藩士とその子弟を対象にした藩直営の教育機関だが、やがて多くの藩校が庶民の聴講を認めていった。『トモエ学園』とは、黒柳徹子の著書「窓ぎわのトットちゃん」に登場する。
 
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幼児教育研究家の小林宗作が、大正デモクラシー期の「子供中心」の考え方に基づいてつくった幼稚園、小学校(旧制)で、「どんな子供も生まれたときにはいい性質をもっており、それが大きくなる間に、いろいろな、周りの環境とか、大人たちの影響でスポイルされてしまう」という小林の理念を背景に設立された。私塾・私学は、官立とは異なる教育があっていい。
 
親がその方針が気にいらぬなら子供を通わせなければいいだけだ。目黒区自由が丘にあった『トモエ学園』の規模は、市営電車の払い下げ車両を教室にしていた程度の考えられない小規模で、施設としての不備は多かった。それでも日本で初めてリトミック教育を実践的に取り入れ、「学校」としても認可を受けていた。昭和20年の東京大空襲にて校舎が焼失してしまった。
 
幼稚園のみ再建され、小学校の部が廃止となる。1963年、小林の死去に伴い幼稚園を閉園、以後休校としていたが、1978年、小林の長男による『トモエ幼稚園』の廃園届が認可され、『トモエ学園』の歴史が完全に終わる。1988年、有志により跡地に以下の記念碑が建立された。出身者は黒柳の他に、女優の津島恵子、同じく女優の池内淳子、物理学者の山内泰二がいる。
 
「自由が丘 Notre Havre de Liberte Creation 自由と創造の我らが母校。 私たちこの地に学び育まれし者は、ここに行われた教育が、時をこえて生き続けることを願い、恩師への敬愛と感謝の思いを込めて、この碑を建てる。 自由が丘学園/トモエ学園 同窓生並びに関係者一同」。
 
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「鉄は熱いうちに打て」という諺は誰でも知っているが、果たして心を鬼にしてそれを実践できる親がどれほどいるだろう。子どもを鍛えるのは大人の責任であるし、もっとも身近な親の責任であり、教師の責任といえる。まあ、「うちの子に手を出さないで!」という親もいるから、教師も下手なことできない状況にもある。自分などは直接教師に以下の言葉を投げかけていた」
 
「教師には期待もしない代わりに、責任も取らせない」と、決して嫌味気分でいうではなく、真顔で談笑気味に言っていたが、これも受け取り方である。何人かの教師がこの言葉をどう受け取ったかは知らないが、確かにこの言葉の後に返答した教師は一人も居なかった。が、「親は子どもに何の権利もない。あるのは義務のみ…」という言葉を驚きをもって聞き返した教師がいた。
 
「何の権利もないんですか?」、「じゃないの?親孝行をしてくれという権利があるのか?だったら、それを傲慢と認識した方がいい」。教師の返答はなかったが、自分のごく当たり前の親の立場である。親孝行を自発的にするのは結構なことだが、求めるのは傲慢という認識だ。人がどうでも構わないし、大事なのは我が子である。人の認識はどうあってもいい。
 
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「子どもを鍛える」大人の責任とは、殴る・蹴るではないが、男の任務と思っている。女には「鍛える」という事は向いてないし、人を鍛えるという「男心」が女に分るのだろうか?「鍛える」という言葉に近くて遠く、遠くて近い吉田松陰は次の言葉を置いている。「みだりに人の師となるべからず」。これは教える事もないのに先生、学ぶ事なきに生徒になるなとの教え。
 
女は群れ、談笑するのが好きな生き物だが、男心的には「孤立」を好む。群れを作る動物はいても、長たるトップは孤独だろう。いや、孤独でなければ部下や子どもに擦り寄ってしまいかねない。勇者、英雄が孤独であるのも、孤立が必要性であるからで、男の鍛えるは孤立を助長する意味がある。「安易に群れるな、孤立を怖れぬ精神力を磨け」と言った人を範とする自分。
 
「男心に男が惚れて…」と言うのは歌の歌詞である。国定忠治親分を歌った『名月赤城山』の冒頭の歌詞。講談では有名な「赤城の山も今宵限り…」の名セリフがある忠治親分だが、江戸末期の上州(群馬県)国定村に生まれ、やくざの世界に身を投じるも、領民を苦しめる代官を義憤にかられて殺してしまう。その後は、追っ手を逃れて赤城山の山中に子分達と身を隠す。
 
危うくなると、つてを頼って信州に逃れ、旅の途中に数々の美談を残し、上州に戻ったところを捕らえられて処刑されてしまう。忠治親分の「男心」を伝える逸話は多く、金持ちの道楽息子が賭場にくると、まともに生きるよう諄々と諭して帰した。百姓の息子がやくざになりたいと言ってきても取り合わず、下働きばかりをさせて、諦めて帰るようにし向けた。などなど…。
 
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これらはものの通りをわきまえた人の行為である。天保の大飢饉の時、賭場の収益金を貧乏人や食うに困っている民百姓に分け与えたりした。そんなわけで幕府に追われる身でありながら、長期間容易に捕まらなかったのは、これらの人に常日頃から目をかけ助けていたおかげだという。任侠に生きる人望厚き渡世人であり、民、百姓が苦しく喘いでいた時代の侠客である。
 
自身を利さずの利他的な行為に男が惚れるというのはその通り。男心に女が惚れないのは、女は自分を利してくれる男に惚れるからだろう。結婚する前は気前がよいからと惚れ、結婚後に同僚・他者に気前よく驕っている夫に腹が立つと、恥ずかしくもなく投稿する女に笑った。自分には良くても人にはダメという考えがワガママ以外のなにものでないことに気づかぬ女。
 
男は孤立を強さに、孤独を武器に自画像を画いて生きていくものであって、それがむやみに他人に媚びない男の生き方である。「男心」の中に、他人に媚びるなどの文言などあり得ない。以前、「孤立によって強さを獲得した聖徳太子」のことを書いたが、シナ文明圏からの自立は孤立を意味することであったが、日本は聖徳太子の時代にあえて「孤立」の道を選んだといえる。
 
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ばかりか、大国「隋」と対等な関係を講じる「強さ」をも獲得した。そんな太子が危険を冒してまで選び取った外国文明からの「自立」はいうまでもない「孤立」であり、それゆえの「強さ」である。今のこの国に必要なのは断然聖徳太子。かつてすべての札の肖像は太子だったが、今、太子はどこにもない。今の日本に必要な太子、再度言う。「太子を墓から呼び戻せ!」
 
 
「孤立」を恐れ、中韓両国に臣従する愚民国家日本の行く末は、学校と同じように滅びの道を辿る恐竜と同じになってしまうのか。「孤立」を宿命的な男心の論理と解すれば、「孤立」など恐るに足りない。さらなるは、「孤立」に力が備わり、強き「自立」となる。協調、協調と、初等教育過程の呪文言葉を弄すのはいいが、自立なき真の協調などあり得ない。
 
 

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