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「女心」 ②

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 女は移り気                     いつもみじめなのは
 風に舞う羽のように          女に心を許してしまう者    
 言葉や考えを                   うかつにも女を信じてしまう
 すぐに変えてしまう            何と軽率な心よ!
 いつも可愛らしく               だが女の胸の中に
 愛らしい表情だが             幸せを見い出せない者は
 涙も笑顔も                     この世の愛を味わうことはできないのだ!
 それは偽り
 
ヴェルディ作曲、オペラ『リゴレット』から「女心の歌」である。西洋人が「女心」を歌うとこのようになる。内容はといえば世界各国共通の女の本質を歌にしたもの。女に心を許してしまい、ケツの毛まで抜かれた憐れな男を嘆いている。バーブ佐竹の『女心の唄』は、女のセンチメンタルな感傷を女の視点で歌っているが、こちらは男への教訓となっている。

もっとも『リゴレット』の「女心の歌」は意訳の邦題で、「女は気まぐれ(La donna è mobile)」というのが原題である。女大好きのマントヴァ公爵は、お抱え道化師のリゴレットに自分の女遊びの手伝いをするのだが、遂には自分の愛する娘にまで手を出されてしまう。リゴレットは公爵に対し復讐計画を練る……。颯爽・毅然と自己断罪的に公爵に歌われる。
 
 
このように男が思う女心と、女が感じる女心とは違うだろう。ヴェルディは、『リゴレット』の公演前にこの『女心の歌』の大ヒットを確信し、主演歌手に劇場外で、この歌を歌うのを禁じた。世界的に有名な「女心の歌」は、『椿姫』の「乾杯の歌」同様、リサイタルなどで単独でも唱され、タイトルを知らなくても、聴けば「ああこの曲ね」という人は多いのではないか。
 
具体的、断片的にではなく、自分の思う普遍的な女心というのは、自分(男)になど、どこを探してもない感情ではないか。しばしば、「ああ、女心だな」と感じるような情緒はたくさんあったし、どちらかというと肯定的なものが多い。したがって、女のズルさ、嘘つき、短絡さなどの邪心やネガティブな性向は、女心とは言わない、思わない。が、主体性のない無害な女もいるのは事実。
 
「男心に男が惚れて」という言葉が美しいように、「女心」とは男にとって美しいものである。卑怯なこと、性根の腐ったようなことをされたときに、「女心」などと思ったことはなく、いいとこ「クソ女」である。バーブの『女心の唄』の好きな次の歌詞、「酒がいわせたことばだと~」、「今夜しみじみ知らされた~」、「いつか来る春しあわせを~」は、男にとって共感と反省がある。
 
「女は男にこう思うのか」、「こんな風に思わせてはいけない」などと、男の傲慢さ、ズルさを省察することこそ、男の女への優しさ、思いやりである。相手の心の中は見えないゆえに気づかない事が多いが、知ることになった暁にはいたわりと思いやりで接することができる。己の欲求・欲望のために相手を利用するなどの考えは、「愛情」とはほど遠いものだ。
 
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確かにヒドイ男がいるのは知っている。上の歌詞にあるような思いを女にさせる男など、男の端くれにもかからぬクソ男であろう。負けじ女もヒドイのがいる。ヒドイ男、ヒドイ女に出会うのは運なのか?「いつか来る春しあわせを、のぞみ捨てずにひとり待つ」などの言葉はもらい泣きである。男に遊ばれ、金品を貢がされ、そういう男は運でもあるが、選んだともいえる。
 
何故かそういう女は性懲りもなく同じ過ちを繰り返す。男はみな善人にみえるのだろう。言い換えると"男好き"である。若い時期は無知の時期、誰でも異性に授業料を払う時期でもある。異性は謎だからそこは学習するしかないが、何ら成長せず、失敗も生かせず、いつまでも授業料を払い続ける女に同情はできない。「私はバカだから」と、それをいってバカを正当化する。
 
劣等意識の強い女にこういうのが多い。男が自分を相手してくれるだけでも嬉しい、感謝というのだから、それが本人の満足感であるなら、他人がアレコレ言ってみても意味はない。モテない女の定めというしかない。ふと千姫が頭を過ぎる。徳川二代将軍秀忠を父に、母は淀君の妹お江である。お江の母は信長の妹お市で、お江は母親ほど器量はよくなかった。
 
それでもお茶々(淀君)、おはつ(京極高次の妻)の両姉に比べて気が強く、頭も良かったという。千姫は7歳で11歳の豊臣秀頼に輿入れする。秀頼の母は淀君だから、千姫とはいとこである。輿入れといってもままごと夫婦、典型的な政略結婚だ。大阪城の千姫は気性の激しい姑(淀君)に翻弄され、つんぼ桟敷に置かれてるうちに「大阪夏の陣」が勃発する。
 
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千姫は燃え上がる大阪城から助け出された。これは家康が大阪城が焼け落ちる前に、「誰かお千を助け出す者はいぬか?助け出した者にお千をやるぞ!」その声に応じた坂崎出羽守は炎の中をかいくぐって千姫を助けた。ところが千姫は醜い坂崎を嫌がった。江戸に戻る途中、桑名の七里渡しの船中で見た本多忠刻に惚れ込み、お嫁に行きたいとダダこねた。
 
面目をつぶされた坂崎出羽守は、怒って千姫を奪いとろうと画策するが果たせず、自我喪失の出羽守は自殺する(千姫事件)。別の逸話では、家康が臨終の際に政略結婚の犠牲とした千姫のためを考え、忠刻やその生母に婚姻を命じたというが、忠刻の母熊姫が千姫を自分の息子に欲しいと、強引に家康に頼み込んだとの逸話もあり、この話が最も信憑性が高い。
 
逸話が10も20もあるのが歴史であり、中でも千姫淫乱伝説は面白い。「それでは話が違う」坂崎出羽守にすればもっともな話、そこで熊姫は一計を思いつく。「千姫はうちの息子がいいっていうんだからしょうがないでしょ」。熊姫は千姫と同じ家康の孫娘である。関白秀頼の未亡人をもらえば家の格もあがるし、化粧料という名の持参金も半端ないだろうし…。
 
母親の息子へのそろばん勘定は、今も昔も変わらない。熊姫の計略は巧を奏し、忠刻は父忠政の所領とは別に化粧料名目で10万石を新地に与えられ、姫路藩に移った。ところが忠刻は結婚後まもなく若死にすることになる。「淫乱千姫に酷使されたらしい」との噂が立つ。再び江戸城に戻った千姫は、ご乱行に明け暮れるという話にまで発展して行くのである。
 
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これらの逸話は千姫の身からでたサビであるが事実ではない。1626年、夫・忠刻の死後、姑・熊姫、母・江が次々と没するなど不幸が続き、千姫は娘勝姫と共に本多家を出ることとなった。江戸城に戻った千姫は、出家して天樹院と号し、娘の勝姫と2人で江戸城内竹橋の邸で暮らしたというが、いつしか日本史にまれにみる淫乱女に仕立て上げられることになる。
 
マキノ雅弘監督の映画『千姫と秀頼』(1962年)では美空ひばりが千姫役を演じた。以下のキャッチコピーは秀逸である。「ともしびの如き女心は、戦国の風に冷たく消えた…。動乱の世に激しく燃え、ひたすら求め合う二つの魂!大阪城落城に咲く哀しくも美しい夫婦愛!最愛の夫秀頼を、さては唯一の理解者であった坂崎出羽守をも亡き者にした祖父、家康。
 
父秀忠に才女として生きる道を閉ざされた薄倖の千姫が、身は徳川家にありながら、心は豊臣に捧げ、政治の具に供される自分に愚かしさを覚えて徳川家に強く反抗する…。だが、所詮は女であった…。夫秀頼への慕情も出しがたく、遂には尼として余生を送った千姫の悲哀に満ちた姿、遍歴する女心を描く」。人はその時代にしか生きられないんだろう。
 
封建社会、武士階級時代に、男は男でよい思いをしたことはあるだろう。が、逆に男にはつらい思いもあったのだ。同様に女にもいえること。だから、昨今の時代に女がどのように強くなってもよいが、強くなったなら強くなっただけの責任をとればいい。日本女性が法の元に平等になり、女性上位といわれながら、男の心を次第に失いだしたといえるのではないか?
 
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かつて、女心というのは男を惹きつけるものだった。上にも書いたが、男にはないデリカシーに男は魅せられる。男言葉を女が使えばそれはもはや男である。それと思春期頃から芽生えさせなければいけない女心を失ったかのような女性も多い。自分は、若い女は同世代の若い男と付き合うべきで、そのあたりで女心を身につけていくのではないかと愚考する。
 
若い子が、オヤジに声かけられたらと口実よろしく、オヤジに宝物のように思われ、お金もたくさんくれるし、ワガママも尋常でないくらいに許してくれるなら、これほどの快感はないだろう。だからか、ごく普通の子がオヤジ世界にのめり込む。若さというかけがえのない宝物を同世代男と交わし合い、磨き合うでなく、オヤジに与えて磨耗させている。
 
肉体が磨り減ることはないが、精神は確実に磨り減っていく。お金を出す大人が悪い、醜いというしかない。ワガママも100%受け入れてくれ、何でも言う事を聞き、あげくは高額のお小遣いをくれるようなオヤジに女心もへちまもない。女心は互いが向き合い、必死で恋し合う相手男に掲げ、授けるものであり、くたびれオヤジに見せる風情のものではないよ。
 
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むかし、「若いって何?」って聞かれ、「年齢が少ないこと」と答えたことがある。ジョークだが、上手く言えなかった事情もある。今はいくらでも言える。本日は「若さとは無謀と失敗である」と浮かぶ。だからこそかけがえのないものではないか。失敗こそが人の成長の量である。斃れては歩き、歩いてはまた斃れ、死んでは生き返り、生き返ってまた死ぬ。
 
♪あなたに声かけたらそよ風が返ってくる。だからひとりでも淋しくない若いってすばらしい…この詞は、安井かずみがスタジオのテーブルの前で数分で書き上げたという。老齢になって「若いってすばらしい」という者は、今に満足感が得れてないのだろう。若いときに若いって素晴らしいなど思ったことすらない。若き日に若いは当たり前だったからだ。
 
老齢の今、若いって素晴らしいと思わない。思わぬけれど、先人の老婆心が若人に言葉を向ける。若き日をくすぐられる何かに出会うことはあるが、今に増して当時が良かったと思はない。「女心をくすぐられる」との言い方がある。「女心を刺激する」ということか?「母性本能をくすぐる」も、刺激する、目覚めさせると理解する。難しく考えることじゃない。
 
まあ、「女をくすぐる」と「女心をくすぐる」は全然意味が違う。誰が言いだしたのか「女心をくすぐる」はいい表現だ。心などくすぐれるはずないが、ニュアンスは誰にも分かる。「男心に男が惚れて」という言葉にあるように、男心は男にもくすぐられる。同じように「女心」は、女にもくすぐられる?であるなら「女心に女が惚れて」の言葉がないのは?
 
 
「女は生まれつき敵同士」、ショウペンハウェルの言葉が答えなのだろう。「女心」の特性もう一点。女は冒険を好まない。世に女性探検家はいないわけではないが、少数世界だ。まあ、男がみな冒険心を持すわけでもないが、『マディソン郡の橋』が主婦層に共感を得たのは、「愛しながらも定めに負けて」であろう。分りやすくいうなら、恋と日常生活の天秤だ。
 
人妻にとって、男をとるか、日常生活をとるかの問題であるが、愚直にいえば、夫以上に別の男に(性的に)惹かれるなど当たり前である。その程度で真実の「愛」などという女の勝手な思い込み。sexが快感だから真実の愛などと抜かすメス論理に気づいていない。よくよく聞けば夫とはレスであるという。真実と言うのは、今の生活をズタズタに壊してこそ真実である。
 
夫(妻)以外の恋人というもう一つの世界を作り上げて、それが真実だと思い込む。この手の問題に関して自分はいつも冷笑する。女の思い込みというのは身勝手であり、滑稽であり過ぎる。だから、夫に隠れて浮気をしないさいと。本気だの真実など言わぬが花。まあ、現状をガタガタに壊す真実に耐えられるほど、人間は強靭ではない、だからズルさが働くのよ。
 
女は着飾る生き物だから、言葉で自分を飾るも大好き。世に1000円の洋服もあれば、100万円の洋服もある。デートの時にこれ見よがしに高価な着衣、下着を身につける女。それこそが「女心」である。男は着衣や下着よりも、中身にしか興味がないのに、「綺麗だね」とお世辞を言う。これを「くすぐる」という。洋服、下着が真実?いや、真実とは一糸まとわぬ姿を言う。
 
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