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Channel: 死ぬまで生きよう!
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ワカランことを、分かったところで…

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走行中の新幹線の車内で灯油を頭からかぶり、焼身自殺を計るという、なんとも不可解極まりない事件があった。30日、JR東海道新幹線「のぞみ」車内での焼身自殺事件は、2人が死亡、26人が重軽傷を負った。午前11時半。「危ないから出て行け」。この事件で死亡した林崎春生容疑者(71)は、はこう叫ぶと手にした白のポリ容器の油のようなものを肩から胸に流した。

「やめなさい」。女性客は制止したが、林崎容疑者は「あなたも逃げなさい」と逆警告。直後、林崎容疑者はライターで火を付け火だるまに。男性会社員の座席に置いていたジャケットも燃えた。16両編成の新幹線には約830人の乗客がおり、パニックに陥った。「おじさんが焼身自殺した」、「逃げろ」。1号車にいた乗客は後方の車両に助けを求めて避難。

2号車にいた男性(72)は、「1号車から逃げてきた男性は髪の毛が焼け、顔がすすで真っ黒になっていた。幼い子供も表情をなくしていた」。遺体の近くには同容疑者のものとみられる焼け焦げたリュックが残されており、県警は当初から焼身自殺を計画してタンクを車内に持ち込んだとみて、駅の防犯カメラ映像を解析し足取りなど、状況を調べる。

林崎春生容疑者(71)は、東京都杉並区の住宅街にある木造2階建てのアパートの一室に住んでいた。早朝、普段着姿で歩いて職場に向かう林崎容疑者の姿を何度か見かけていたという、近所に住む男性(75)は、4、5日前に林崎容疑者から「仕事を辞めた」と、聞いていたといい、「(仕事は)解体関係だと聞いた記憶があり、おとなしく、普通の人」と話している。

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「優しい人だったのに…」と、林崎容疑者を知る人は驚きを隠さない。「仕事は辞めた。年金が少なく、ほとんど残らない。生活できない」。と、2カ月毎に支払われる年金額24万円について不満をもらしていたといい、彼を知る銭湯の常連客は、「実家に月9万の仕送りをしている」と話していたという。彼は国家に対し、死をもって自己を主張したのだろう。自分の命をどう切り刻もうが、それは各自の自由だが、「立つ鳥後を濁さず」という。

この諺を不思議に思ったことがある。なぜ鳥はそういう考えで飛び立つのか、そこにはどういう意味があるのか、しかも、なぜ鳥なのか?この疑問は解決した。「立つ鳥後を濁さず」の鳥は、「飛ぶ鳥」ではなく実は、「水鳥」のことである。カモなど水鳥が水面から飛び立った後は、水は濁るし羽は飛び散るで、あまりきれいとは言えない状況であるらしい。

彼らはむしろ、「立つ鳥、跡を気にせず」のようだ。それを見ていたどこかの賢人が、この諺を思いついたのであろう。ホテルでも旅館でも、レストランでも、利用した際は、部屋もベッドもきれいにして去りたい、そういう心構えは、ないよりあった方がいい。普段から濁して生活しているのが、横着さという人間の性であろうけれども…。ラブホテルのベッドを整える女がいた。

「別にいいじゃないか、戦の跡みたいで…」と言ったが、「いやなの」という女である。彼女の何がいやなのかは彼女の問題だが、その「いや」が他人に快く届くのは、大体においてよい事であろう。暗黙に、「教わる」何かであったりする。「夏草や兵どもが夢の跡」と芭蕉は詠んでいる。意味はまるで違うが、なぜか、その句が彼女の所作から導かれ出た。

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見知らぬ旅人なら、咎めを受けることもないし、受けたところでどうということはない。「後は野となれ山となれ」とか、「旅の恥は掻き捨て」などが実情である。が、誰に強制されることのない「心構え」が、その人の「品格」であろう。「品格など要らん」という人もいるが、「人に見せたい」、「品ある人と思われたい」などの品格は欺瞞であろう。

本当の「品格」とは、自身のためにするものかと。朝起きて、ベッドの布団をそのままにして出かけても、自分のことと思えば許せる範疇であるが、ホンの1分もあればキレイに整えることはできる。整えることによって、自分の何がどのようになるか、よい方に転換するかを知っているひとは、そうするであろうが、部屋が汚れて平気な人にはあり得ない所作である。

一人で寝起きの生活なら好きにすればいいが、自分の許容は他人の許容ではないことは知っておこう。自分が許せることは、他人も許すべきであるという人間は、確実に相手に不満を増長させていく。なぜ自分のことしか考えられないか?他人のことなど考えなくてもいいように育てられたからである。そのように育っても、社会の教育力で気づく人なら救いがある。

品格=自らを汚さない意思、といえばわかり易い。いうまでもない、人が見ている、見ていないにかかわらずである。「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」というように、人は自らに苦吟する。自身が生活していく中で起こる様々なことがらのなかでよくない事は直していくのが基本だが、それがないと人間はどんどんパンツを履いたブタになって行く。

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気づいても、横着さ、面倒臭さが優先するとダメだ。まさにこれ、「心中の賊を破るは難し」である。自分ひとりの生活はやがて他人との生活に移行し、斯くの生活の中で自分の汚点に気づき、自らを省りみ、鍛えあげなければならない。人に言われてやるようでは、経年で横着さが増してきた折、相手の指摘がウザイと感じるようになる。こういう女はとどのつまり一人に戻るしかない。

部屋の片づけもできないぐーたら女が離婚するなど、珍しくないし、そんなくだらないことで結婚が崩壊するほど、人間は他人と自分は違うということだ。自分の「良い」が相手の「良くない」であった時に、その事を察知して修整していくのが、他人との生活である。こんな簡単なことが分らない人間、分かってもできない人間は、男も女も一人になるしかない。

「品格」が高尚な言葉なら、別の言葉でもなんでもいい。大事にすべき理性は大事にしていくべきであろう。離婚の多さには、こんなくだらない原因があるし、それを離婚して気づく女もいるが、覆水は盆に返らない。悔いは凶ではない。悔いて修整すれば「吉」に赴くはずだ。カーライルもこう言っている。「あらゆる行為の中で、後悔が人にとって最も神聖である」。

自分を厳しく見つめ、自分の行いを客観的に眺め、反省し、修整していく生活こそ、人が共に携わっていけることになる。生きるという事は、今、この時、この場所で、このことに、取り組んでいるという事である。何事も先延ばしするクセ(というか、素直でないというか、横着とでもいうのか)の甚だしき人間は、決して好感をもたれない。相手をイラつかせる場合もある。

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今、与えられた生活条件に「イエス」か「ノウ」かが大事なのである。人は皆そういう態度取り組んでいるはずだ。新幹線焼身自殺の林崎容疑者は、自身のその生活に肯定的に取り組めないからあのような突飛な、自己崩壊なことをするのであろう。彼は月12万円の年金から9万円を実家に送金していたというが、そのことだけを考えると神妙なる心がけである。

12万-9万=3万円。小学生でもできる引き算だが、これが身の破綻につながることをどうして読めないのか?9万が無理なら4万、5万に減額すればいいのに、それをできないのは彼のヒトのよさではないかと推測する。ヒトのよい人間は、無理をしてまでヒトのよさを継続しようとするが、それが自分にとって無理であってもである。「5万にしてくれ」が言えない人間である。

アレも言えない、コレも言えない、そういった八方塞がり状態になり、とんでもないことをしでかすのが、"ヒトのいい人"といわれる本質であろう。そういう人間を何人も見た。たった一言いえば済むこと、それができないから自暴自棄になる。そこまでしていいヒトをやろうとする人間の澱んだ苦しみであろう。ときにヒトは悪い人間にならなければダメだ。

無理な愛情の継続は人間にとって破滅の道となる。八方が塞がれた。出口はない、そう思った時に、それでもなお生きて行けというのか、9万が無理なら減額すればいいものを、これでは来月から1銭も送れない。お金がない人間でも、見栄を張って自暴自棄になる人間もいる。運命にもてあそばれ、疲れ果て、気が狂いそうになっても、不幸が軽減されるわけではない。

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人間は、自分にとって大切なものが手に入ると思えばこそ努力するが、大切なものなど一切入らないと分かっていながら、それでも生きる努力をせよ、などという道徳がこの世に存在していいものだろうか。自らの体にガソリンをかけて焼き殺すという行為は、その熱さ以上の耐えがたき苦しみを背負っているのであろう。そのように推察する。熱さを凌駕する苦しみ…。

そういうモノが焼身自殺者には存在しているのであろう。自傷行為者が、その苦痛によって自らの苦しみの度合いを測っているように、焼身自殺はまぎれもない自傷行為である。死ぬに関して人は、なるべく苦しみの少ない方法を選ぼうとすることを考えると、自らに火を放っても、おそらく熱くないだろうという、想像力が苦しさに支えられている。

なんというおぞましい光景は、社会の責任でもある。人は皆が皆、頭脳明晰で、頭がいい人ばかりとは限らない。様々なことを思考し、調整・調節して穏やかに生きていける人ばかりではない。国家はその辺りのことも考えた政策を講じなければならない。バカは斬り捨てるでは、国民の大半はバカであろうから、政治家が「賢い」を自負するなら考えたらいいのだ。

 「なんということだ。一体何が彼をこんな極端な行動に走らせたのだろう?何かに対する抗議だろうか?」

 「自殺率の高い日本では、銃なしで自殺する独創的な方法を考え付くのだろう」

 「恐ろしいことだ。ただ恐ろしい」

 「自殺ではなく、日本政府に対する抗議だ」

 「落ち込んだ社会だ」

 「現代の乗り物や建物は窓が開かないつくりになっているのは、大きな問題だと思う。まともなコンセプトじゃない」

これらは英国のネットユーザーのコメント。他人を巻き沿いにした自殺に触れるたびに、「旅は道連れ」という諺が浮かぶし、。「旅一人ではなく、誰かと一緒に行けば、互いに助け合ったりで安心して旅ができると」との意味だが、単純に死への旅路も一人だと虚しさがつのるという人間もいる。林崎容疑者の状況を報道で知るに、そんな悠長なものでないと理解した。

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追い詰められた人間が求める自由とは、それこそ一切のものを解放する真の自由であるのだろう。林崎容疑者の自由とは、あの日、自由になるために行為した自由な選択以外のなにものでもなかったと感じる。瞬間ではない死、熱く、苦痛にもだえる死を選んだ人間の自己主張とは、「苦しみ」の言葉の体現である。最後に及んで、他者からの同情も得たかったのかも。

多大なる迷惑の甚だしき行為であるのはいうまでもないが、一切の不幸な事件のうちにも、慈悲の鞭は含まれていいが、死ねば人に耳はない。「年金が少なくて苦しい、死んでやる」というのは、見近な展望であり、それを今日的な行為で決定するのは、もっとも力弱い人間である。人の物を盗んで生きて行こうとする罪人の方が、強い心をもっている。

林崎容疑者には望めないことだった。善人はとどのつまり、死ぬしか選択はないのだろう。「二度ある事は三度ある」というのは、「一度あったことは二度ある」という前提であろう。このような前代未聞の事件に際し、鉄道会社は緊急招集をかけ、今後の対策を協議しているようだが、顧客の安全ということからして当然である。二度目は予期の範疇にあろう。

前代未聞の新幹線焼身自殺について思考したが、何かが判ったところで解決も対策もない。先立たれた息子の柩の前で、「もっとお前のことを理解してやればよかった…」とうなだれる親。しかし、先立つ理由を分かったところで何も解決はない。進展もない。我が子、もしくは見知らぬ他人の自殺の理由を知ることの意義は、その意味において、「ない!」

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