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「自殺」について ⑤

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年功者が「今の若いもんは…」という言い方をするときは、大概において、批判や非難の場合である。同じことをしてしまって(言ってしまって)は、自分たちが若いときに感じた、"くそったれオヤジども"と、同じムジナになるので、つとめて言わないようにしている。言わない=思わないではないし、時代の移り変わりに伴う違いは、当然にあるわけだから、以下のように言う。

我々はもはや大人になったが、今の時代の若者と自分たち世代の若者は随分と違う印象だ。何故かといえば、時代の差というしかない。手漕ぎの舟で波のままに漂う楽しさを、今の若者は知っていないようだ。が、飄々としたその楽しさを若者から奪い取ったのが我々でもある。文明の進化は時代を便利に変えた。しかし、手漕ぎの舟ではないが、不便の中に良き世界はあった。

こずえを渡る風に耳をすませてみないか?のんびりと湖水に浸る安らぎを感じてみないか?そんなにいそいそと、あわただしく歩んで行かねばならないのか?若者が早く命を落すのは、大人の真似事なのだろうか?中壮年期の自殺はしばしば耳目にするが、少年たちがそんな大人たちの模倣をしているのか…。子どもの成育が親の責任なら、若者のことは旧人の責任であろう。

すべてのことを善か悪か、黒か白かの範疇に分けることが、決して現実の事態に当てはまるとは言えない。そうすることはむしろ困難なことであろう。が、本当のものを知ることはその困難に耐えることかも知れない。部分は決して全体ではないのだと。世代断絶が必然としてあるなら、それは対話で埋められるであろう。が、対話というのもまた難しい。

何かを語れば「対話」になるというものではない。互いがフラットに、真面目に、決して欠陥や弱点ばかりに目を向けず、数えたてることをしなければ、対話は実り豊かになるであろう。若者を愛さない大人は、若者に愛される事はないであろう。尊敬などはむようにして、大事なのは「愛着」であろうか。真剣な対話のなかで、両者が本質的なものに思いを抱けばいい。

「無知な、アホな、バカな…」は、『坊ちゃん』に出てくる悪態ににて凄まじい。一つだけ前提として持っておくべきは、どんなに多くの時間を割いたところで完璧なる全体像はつかめないということ。その限界を知っておくことで、互いがムキにならずに対話できる。親子で悲劇的と思うのは、子がいじめを受けても親に何の相談もないままに自殺をする。

親としては、「どうして苦しみを共有してくれないのか」と、やるせなくも諦めきれない気持ちであろう。子どもが己の苦悩をなぜ親に告白できないのか?なぜ、もっとも身近な親に相談できないのか?その理由はきっとあるはずだ。思いつくことはいろいろあるが、ハッキリとは提示できない。子どもの論理もあるだろうから…。それにしても…

Mama, just killed a man
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he's dead

この告白は凄い。凄すぎるとしか言いようがない。が、これが本当の、理想の親子ではないかなと。やったことは犯罪であるけれども、それほどの悪事でも告白できるという母子関係は、スゴスギルの一言…。親子といえども禁句はある。例えば娘に「お前はもうエッチしたんか?」と聞ける父親は少ないだろうが、それを内心は知りたくても聞けない「何か」があるんだろう。

その、「何か」というのは、"血肉を分けた自分の娘"という父親自身の「こだわり」であり、「わだかまり」である。よそ様の女の子には聞けることが(聞かないオヤジもいるが)、他人にできて我が娘にできないこだわりは変といえば変。当然と思う親には当然。自分は思索の上、後者を排除した。何でもないことを、「こだわり」とか「わだかまり」が関係をイビツにしている。

自分からは率先して言わぬことでも、聞けばいうであろう。自分の父親は寡黙な人であったが、寡黙というのは何かを隠すために寡黙であったのではない。自分が高校生のある日、自分の家で近所のスケベなおっさんたちが集まって8mmフィルムの映写会が催されるとき、それが何かを自分は知っていた。一般的な大人なら、「どこか外に出て遊んでろ」というはずである。

何でそんな言葉をいうのかは、大人の身勝手な論理であり、都合である。父はそんなことは言わなかった。「お前も見るか?」と腹を砕いてみせた。おそらく…、としか言えないが父に葛藤はあったろう。あったけれどもそこは父子というより男同士、分かり合えるところは分かり合えるし、であるなら、「分かり合ったほうがいい」、そういう気持ちであったと推察する。

自分は驚いたけれども、大人の秘密の時間に加えられるということが嬉しかった。ブルー・フィルムの存在や、内容よりも、肩を叩いてくれた父は、「お前は今日、元服だな」と言ってるようであった。後に自分は、こんな親子っているかな?と、自らの親子に合点した。ざっくばらんで気さくな性格の親なら、特段珍しい行為とは思わぬが、真面目で寡黙な父である。

いや、真面目で寡黙なのは本質ではなく、外ではスケベなエロオヤジなのかも知れない。しかし、それを隠して真面目で崇高な父親として息子に尊敬されていることが、許せない人だったのだろう。これは自分の推論である。それを証拠に、自分もそういう親でいるのは自分自身に許しがたいことであった。3人の娘を持ったが、その中でもっとも会話のなかったのが三女である。

彼女が中学に入るときから自分は家にいなかった。つまり、中高は母子家庭同然に育った。そうして外国に5年出向いていた際も、一度もメールや電話をした事もない。肉親でありながらもっとも疎遠、であるがゆえに新鮮であった。親としてぐだぐだいったのは彼女が小学生までで、父親のいない寂寥感を抱いて育ったと後年に述べ、「私がこうなったのはお父さんの責任」と怯まない。

「こうなったって、どうなってるんだ?」とわざと聞いてみるが、怖いものがいなかったことで、「神」気分に育ったといいたいらしい。互いが歯に衣きせぬ言い合い、詰りあいもするし、手に負えないところはあるが、それでも一歩退いているところは感じる。やはり親としてみているのだろう。自分は長女や長男、次女よりは遠慮がないし、肉親意識を感じないところが新鮮である。

長男は男だからそこは遠慮がないが、長女、次女には異性としての遠慮があった。アダルトの過大請求が十万ほど来たと長男が、「help!」と言ってきたとき、「そんなもんビビらず、無視していればいいよ」と諭し、無料のサイトをいくつか教えてやった。父子は誰よりも親密でなければ意味がない。そこらの友人よりも知識もあるし、利用価値は高いということだ。

Papa, just killed a man」と言ってきたところで驚かない。驚いている場合ではない。冷静に対処と贖罪を指示する。だからあの『太郎物語』を読んで感動した曽野綾子が、「もし、息子が罪を犯したとき、世間がなんと言おうと、あたしは、絶対息子がいいと言おうと思っている。子どもが困ったとき、支持できるのは母親だけ。盲目的に支持していい人が、他にいないでしょ。

父親だって、ちょっと困る。母親が一番愚かしく、盲目的になってもいい……。親というものは子どもにとって辱しい困りものにちがいないでしょ。親は困りものであっていいんじゃないかしら。あたしは、息子に対して親というものは不法な、理屈の通らぬものなんだから、覚悟しろっといった構えでいる。」この言葉に我が目を疑った。『太郎物語』は間違いなく教育書である。

その著者がこんな法外な、いや無法な、盲目的母性愛を肯定しているのに驚いた。「母性愛」は法をも凌駕するものなのか?これで一変に彼女を嫌いになった。嫌いになった理由は、人間として「範」としたるものが一気に崩れ去ったからである。彼女は息子の犯罪を、「盲目的に支持」するという。違うだろう?息子が犯罪を起こしたなら、「理性的に指示」すべきである。

この隔たりが男と女の差であるか否かは分らないが、男だ、女だという以前に人間であるべきだ。もし曽野が、酒鬼薔薇聖斗の母親だったらどうであっただろうか?少年Aの母は『「少年A」この子を生んで」という手記で社会に詫びたが、曽野が母であったら、『我が息子「酒鬼薔薇聖斗」を讃える』という本でも書くんだろう。彼女の発言はまさにそのように受け取れる。

父親は子どもに対し、どれだけ冷静に理性的でいれるかの任を負う存在である。母親の任は何?それが分らないところが、自分が男である所以だ。そうはいっても、男と女がツガイとなり、共同で生活していくよう定められている。何かを決める際に船頭二人いては決まらない。「船頭多くして船山に登る」というが、昔の人は面白いことをいったものだ。

「船進まず」なら浮かぶが、「船山に登る」という言い方に感心する。それくらい誤った方向に行ってしまうとの比喩である。男と女、夫と妻、どちらかの力加減で物事が決まるのが現実であろう。が、特に子どもの育て方や方向性にはなぜか女(妻)の意思が優先されていないか?実際、そういう家庭が多いのを耳にする。とかく子どもに関しては女が正しいのか?

そういえば、「だったら、男が正しいとでもいうの?」と、こういう非論理的な言い方が、いかにも女らしいが、さてどちらが正しいのか?思いの強さで決めるなら、腹を傷めて生んだという女の方に軍配があがろう。が、思いの強さ=正しいとはならない。女が思いの強さで発言するなら、男は負けずに思いの強さなどで対抗すべきではないし、それは理性的ではない。

男だ、女だで判断するのではなく、人間的な正否で判断すべきである。「何が人間的な判断なの?」と聞く女もいるだろう。だったら上の曽野の発言をどう思うか聞いてみたらいい。あれを人間的に正しいという女がいたら、巷で問題になるモンスターペアレントと同じである。モンスターペアレントというのは父親もはいるが、冗談コクでね。誰がそんな親になるか。

モンスターマザーはいても、「我が子命」という父親は存在する価値なし。ここでも度々いうが、父親は社会である。父親が社会の目をもたないからモンスターペアレントといわれるのだ。そりゃ中には立派に社会の目をもった母親もいる。そんな母親から見たらモンスターペアレントは許せないはず。が、往々にして子どもに近視眼になるのが母親の役割という。

それを父親が修整できないという力関係が、「モンスターペアレント」という言葉を生んでいる。夫が、「自分は決して息子に自己中ではない、あれは妻が勝手に…」というのはありがちな言い分け。それを共犯というのであって、止めさせられない夫はヘタレである。いてもいなくても一緒という意味でヘタレ。間違った方向付けに意を唱え、修整する力がない。

こういう社会現状はかつて無かった。女が地位を上げ力を持つのはいいが、最終的な判断は、人間としての正否で決めることだ。女だの男だの、妻だの夫だの、母だの父だのという肩書きで覇権を争う場合ではない。曽野の発言は人間的に非道であるが、それを肯定する女は危険である。そう問題提起をし、危険な人間が舵を取ってはならないとお危機感を持つ。

でないと、いい家庭はできないだろう。妻が力をもってもいいが、人間的かつ合理的、理性的判断でなされるなら何も問題はない。合理的とは、理性だけで生きることでは決してない。○×式思考法からもたらされるような、「理性か、感情か」の単純な二価値的判断でもない。あくまで、「状況全体に対する、明晰で、十分な意識が是認する方法」で生きること。

「最高のことは、一切の事実はすでに理論であるということを理解すべき」と、ゲーテは『格言と反省』の中で述べている。人間はその人個々の命運(学問や学習や素養など)によって、獲得された概念的ともいえる様々な関連が、おのずから「理論」を導き出す根源であろう。「私は何も考えないで生きている」あるいは「生きてきた」を標榜する女がどういう理論を持っている?

すべての感性的行為が正解なら「理論」など要らない。それが正しいかどうかを、客観判断をするための「理論」である。直観は正しいというなら、間違った時に、「もう少し考えればよかった」という言い訳をしてはダメだろう。「理論」とは、そういう言い訳をしないためにある。それでも人間は間違うものだ。しかし、考えて出た結論なら悔いはない。

「高野山の決戦」として歴史に名を残している、第7期名人挑戦者決定三番勝負の第三局において、勝勢であったが手拍子の大悪手を指して、頓死を食らい、「錯覚いけない、よく見るよろし」という有名な言葉を残した升田幸三。人間は第一人者といえども感情に左右される動物だ。理性とはそれを戒めるためでもある。自殺も高ぶりではないかと察する。

断崖から、ビルの最上階から、人は理性的に飛び降りることができるのか?手足が逆に折れ曲がり、頭骸骨が砕け、脳があたりに飛び散るような凄惨な状況を、人は理性で最後の姿にしたいものか?自殺者の心情は精神錯乱で、夢遊病が如きとも言われるが、そうでなくて、地を蹴って人は空に舞うことができるのか?ユーミンの『ひこうき雲』のエピソードがある。

自著『ルージュの伝言』の一節。「私が高校三年ぐらいのときに、うちの近くのすごい高い団地で高校生同士の飛び降り心中があったの。それがけっこう新聞をにぎわしててさ。若いときの死というのをすごく感じたのね。(中略) だけど、自分でやるって思ったことは一度もないよ。でもするとしたら、ガスでもないし、睡眠薬でもないし、飛び降りだなって思ってるわけ。

 実は死についての歌が今までに、「ひこうき雲」入れて四つぐらいあるの。この飛び降りの事件がパッと耳に入ったときに、思い出したことがあるのよ。小学校のときの同級生の男の子に、筋ジストロフィーの男の子がいたわけ。(後略)その子が高校一年のときに死んだの。お葬式に呼ばれて行ったら、写真が、もう知らない写真になってるわけよ。(後略)

それでそのことがけっこうインパクトがあってつくった歌が、『ひこうき雲』って歌。高校の終わりか大学の頭に作ったのよ。話はちょっと変わって、飛び降り自殺なんだけどさ。(後略)」


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