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「自殺」について

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過去、たくさんの自殺に遭遇した。身近な自殺もあったが、遠い人の自殺が圧倒的に多かった。人は自分に近い人が死ぬと深い悲しみにおそわれるが、著名な人でもさほど縁もゆかりもない人の死にそれほどの悲しみは抱かない。「なぜ自殺をするのだろうか?」と、漠然と考えることはある。考えてみたところで、「死にたいから死ぬのだ」という答しか見当たらない。

ある奴は、「死にたくはないけど、自殺する奴もいるんじゃないか?」と言ったとき、言葉の意味は分かるけれども、現実に人が死にたくないのに死ぬだろうかという疑問はあった。「行きたくないけど行く」という人はいた。「自分が自分に逆らうんだよ」という。「したくないけど仕方なくやってる」と、これは多くの人が、仕事について言う言葉である。

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理由としてはよく理解できる。上位者が、「本当は言いたくないんだけど」と前置きして説教・注意をする。これはどういう意味でいってるのか?こういう前置きを好まないので自分は言わないが、そのように言いたい気持ちは分かる。「うるさいと思うだろうが、お前のためを思うから言うのだ」あるいは、「同じことを何度も言わせるなよ」などの皮肉交じり。

あまり小言をいったりして嫌われるのも嫌という弱い心の持ち主、後者の方は、「一度言ったら分かれよ、こんなバカとはやってられん」という気持ちも分からんでもない。が、言ったことをその都度忘れる人間に、「同じことを何度も言わせるなよ」は、言っても仕方がない。こういう人間は、言った後から忘れてるんだから、前に言われた記憶がないのだろうし…。

それでも言った側は覚えているからその言葉がでるのだろう。「言われたことを覚えているのに、コイツはやらないんだ」という思いも上位者にはあるのかも。人の真意はなかなか分らないように、ましてや死に行く者の真意などどうして理解できよう。「死にたいから死な」は分かるけれども、「死にたくないのに死ぬ」という心理は、可能性はあっても理解できない。

吉田拓郎の歌詞に、思ってることとやってることの、違うことへの苛立ちだったのか、というフレーズは、『まにあうかもしれない』という曲で、曲調も歌詞も結構好きだった。今まで自由に生き、自由に振舞ってきたと思っていたが、単にいきがっていただけで、本当はそうじゃない。そのことに気づいたなら、新しく作り変えよう、今なら間に合う。という内容。


拓郎全盛期にあって、いかにも拓郎節全開といえる軽快な曲。好きな歌詞は、「だからボクは自由さを取り戻そうと、自分を軽蔑して自分を追い込んで」と「大切なのは思いきること、大切なのは捨て去ること」のところは、ぞくぞくさせられた。作詞は拓郎自身ではなく岡本おさみで彼には、「襟裳岬」、「旅の宿」、「祭りのあと」、「りんご」、「落陽」などがある。

拓郎とのコンビでは他にも、「蒼い夏」、「歌ってよ夕陽の歌を」、「おきざりにした悲しみは」、「花嫁になる君に」、「ビートルズが教えてくれた」、「地下鉄にのって」、「ルーム・ライト」などがある。「歌ってよ夕陽の歌を」は森山良子、「地下鉄にのって」は猫、「ルーム・ライト」は由紀さおりがヒットさせているし、「襟裳岬」は森進一でレコード大賞受賞。

拓郎の方向付けは岡本によって決められたようだが、拓郎本人は「旅の宿」までは自分と合わないと感じていたという。「自殺」という表題だが、拓郎に『自殺の詩』というマイナーな曲がある。詞も曲もたいしたものではないが、物珍しさもあって、昔レパートリーの一曲であった。自殺の楽曲というなら、井上陽水の『傘がない』ののっけの歌詞には度肝抜かれた。

「都会では自殺する若者が増えている」と、Am⇒G⇒F⇒E7のコード進行で、おどろおどろしく歌うが、グランド・ファンク・レイルロードの『Heartbreaker』のパクリであった。1971年の伝説の後楽園球場コンサートでは打ちこわしの暴動が発生し、チケットを持たない多くの観客が球場内になだれ込んだが、自分もその一人だった。陽水の『傘がない』は72年に発売である。

陽水の非凡さは、どうでもいいようなこと、取るに足りないようなこと、などの泰然たる態度が歌詞に感じられる。あのあまりもバカバカしい歌詞が、彼の美しい声によって違和感のない歌となるところは一種のミスマッチであろう。拓郎はダミ声であり、彼の音楽性はメロディーよりも詞の負うところ多し。これもボブ・ディランの影響で、ディランに正調のメロディーはない。

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陽水の『傘がない』は実はパロディーではないのかと、近年彼の砕けた性格を知るにつけ、あんな歌詞をまともに書き、真摯に歌う陽水の一切が演技ではなかったか、と思うに至った。そもそも、都会で自殺する若者が多いと問題提起し、そんなことより問題なのは彼女に会いに行くための傘がないと。「何だと?傘くらい買えよ」現代人ならその様に思うだろう。

今なら200~300円も出せば傘が買える時代とちがい、傘は異常に高価であった。使い捨てなどととんでもないし、骨が折れても修理して使っていたし、傘の修理屋だけの職業も成り立つほど需要はあった。1970年当時、傘の値段は1000円弱であり、同じ頃、男の調髪料金が500円以下、ラーメンが100円だったのを見ても、如何に傘の値段が高かったかである。

つまり、こんにちラーメン一杯700円なら、傘の値段はその10倍の7000円という感覚である。陽水が、「彼女に会いに行くのに傘がない」と、べそをかいて叫びたくなる気持ちも分からなくもない。自分がパロディーとしたのは、政治問題や国内の深刻な問題と、デートに出かける傘がないを同列にしたこと。これは、一見、陽水のクソマジメさの裏に潜むギャグ性。

拓郎もラジオでアルフィーの坂崎とのコンビで結構笑わせるが、彼は面白いことを意識的に言おうとしているが、陽水はそれがなく、自然に振舞っている(かの如く)ところが面白いのであって、二人はまるで個性が違う。拓郎&坂崎のおフザケを「陽」とするなら、陽水&玉置は「陰」の滑稽さであろうか。陽水は本名だが、読みは陽水(あきみ)である。


実は『傘がない』という曲は、当時は学生運動が急速に終焉に向かっていた時節であり、そういう人たちはこの歌を、政治闘争に敗れた若者の「うつろな心情」を表現したものと解釈する人が多かった。あるいは、政治や社会的な問題に背を向ける「ミーイズム (自己中心主義)世代」の出現を最初に歌った曲、などと捉えていた人も少なからずいた。

情報がない時代の陽水のイメージは、レコードジャケットに見る異様な風貌からしても、拓郎などとはまったく違う異質な芸術家を気取ったシンガーに思えた。後年、彼の喋りを聞くに、「なんという平凡で当たり前のことしか話さないひとなのだろう」と、あまりのギャップである。この曲について陽水は、「自分の意図を超えてさまざまな解釈をされた」と言っていた。

「政治や社会問題に無関心の若者の虚無性を歌ったのでは?についても、「別にそんなふうに考えて作った歌ではないんですよ。ただ単に、周りが政治の季節であったというだけのことで…」という。1972年といえば、5月15日に沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が、アメリカ合衆国から日本に返還された年である。沖縄返還は日本の法令用語では沖縄復帰という。

陽水のいうように、都会で若者の自殺が増えていたというよりも、若者は田舎を捨てて東京に出たことで、田舎に若者が少なくなったのである。「集団就職」、「金の卵」という言葉は死語であるが、義務教育のみしか卒業していない中卒者を送り出す側の事情として、特に1970年頃までの地方では、生計が苦しく高等学校などに進学させる余裕がない世帯が多かった。

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子どもを都会の企業に就職することで経済的にも自立することを期待し、都市部の企業に積極的に就職させようとする考えや動きが保護者にも学校側にあった。こうした状況の中、中学校も都市部の企業の求人を生徒に斡旋し、それを集団就職と呼んだ。チューリップの『心の旅』、『青春の影』、太田裕美の『木綿のハンカチーフ』はそれら少年の心情を歌っている。

集団就職といえば永山則夫が浮かぶ。北海道網走市呼人(よびと)番外地に、8人兄弟の7番目の子として生まれた彼は、博打好きの父の影響で家庭は崩壊状態。現在で言うところのネグレクトの犠牲者であった。1965年3月、逃げ帰った母親の実家、青森県板柳から東京に集団就職する。渋谷の高級果物店に就職した彼は、ひょんなことから不幸の道を辿ることとなる。

生きるか死ぬかの瀬戸際で、自らの生を選んだ彼は人を殺すことで生き延びた。生活苦から犯罪に手を染めた永山と、興味本位で人を殺したあげくに社会で生活苦とのたまう元少年Aとは同列にはおけない。元少年Aにとっての「苦しさ」なんぞは、我々の世代観では「甘え」と断罪するものだ。苦労を知らない者の苦労とは、冷や飯は食えないという我儘である。

犯罪を起こし更生して社会に復帰したのは自分だけだと、そんな思い上がりが見受けられる。いったいどれだけの数の刑余者が、社会という現実の中で苦しみ、喘ぎながら生活をしているかを知らない者の言い草であろう。こういう甘ったれた人間が手記を書いて被害遺族を傷つけ、詫びる言葉だけはイッチョ前に吐いて、生活費を得ようなどの魂胆に加勢はできない。

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被害遺族である山下彩花ちゃんの母親のいう、「日本社会の良識」とはこういう事を指す。「苦労は買ってでもさせよ」という言葉も、近年は死語になった。親が子に苦労をさせたくないという思いで育てると、実際に降りかかる苦労という火の子をどう払っていけるのだろう。「何もしなくていい、箸より重いものは持たなくていいから勉強だけしてて」こんな家庭は存在する。

逞しい子を願うなら、「苦労は買ってでもさせる」という親の意識の復活を望みたい。「自殺について」の表題は、このブログのテーマである死生観の範疇でもあるが、正直いって「自殺」はよく分らない。残された遺書や明快な動機から、自殺の意図を判断できるが、それでも分らない。実際に自殺した人間に登場いただいて、説明を聞きたいものだと常に思っている。

それくらいに分からぬ人間の動機の一つである。身近な自殺も経験したが、身近な自殺ほど分らないものだし、現に子を失った親、親を自殺で失った子どもの疎外意識は半端ではない。まさに、「なぜ?」とか、「どうして?」の言葉しか見当たらない。「なんで、相談してくれないのか?」の声もよく聞く。それほどに「死」というのは、個人的なものであろう。

人の「心」が分からなくて、人の「死」が分かる道理がない。人間が現実を認識するのは、人間的現実を形成するためであり、現実を現実として認識し、人間を人間として作り上げるためである。それが「死」であるのはどういうことか?それが現実というなら、人間は死ぬことが現実なのか?人間が死ぬのは現実だが、意思を持って死ぬ現実を現実と認定できない。

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それでも自死という現実がある以上、しかも、事物が、直接的にはその本質を示さないとするなら、認識のためには厳密な推論が必要となる。ユングによれば、意識の機能は「こころ」の総体にあり、個体に備わる四つの根底的な機能に基づく。すなわち、思考・直観・感情・感覚である。思考は、認識の力を借りて論理的推論をし、諸所与を理解し、適応しようとする。

感情は、思考と対照的に、世界の諸所与の理解や適応を、快・不快、受容・拒絶などの概念評価に基づく。また、思考は、真・偽の観点から認識力で評価され、感情は、快・不快の観点から情動によって評価される。人間は生まれつきの資質として上の四機能を所有するが、偏った傾向から性格が決められているし、「素養」や「知識」にもも大きく左右される。

「人は自分の知っていることを見る」と言ったのはゲーテだが、裏を返せば「人は自分の知らないことは見えない」となる。見える人と見えない人があることを判断する際に、だから言い合いや喧騒になる。正しいものは自分が知覚・認識するものだという考えでいうなら、バカにはバカの正解があるということ。バカを無知とし、無知を罪とするなら、バカ=罪となる。

それでは困るので、理知の条件としてバカを説得する技術が必要となる。これも賢いという能力の一つであろう。バカを説得できない自分が賢いとは言えないと、面倒でも人を説得する技術を磨くのが利口になるための方策だが、それでも無理と言えるバカも存在する。これが世に言う「バカは死ななきゃ直らない」といわれる類だが、世の常と諦めるしかない。

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時代はどんどん変わっている。硬い頭ではダメだ。かといって、柔らかい思考で解決できるほど世の中甘くない。世の中が変わるということは、現実が絶えず変動しているということだ。となると、現実を把握しようとする思考も、絶えず連動しなければならない。そのためには、いつも自分自身の限界を自覚し、自らを否定することによって、新しい自分をつくる。

これができなければ、「古臭~い人間」と烙印を押される。自分では押さないつもりでいても、烙印と言うのは周囲が押すものだ。残念ながら押されたら古臭いのだ。ただし、古いものでもイイモノはある、普遍的な価値を持つものもある。それらの見極めも現実認識という学習からもたらされる。人間は一生勉強するしかない。それが学歴信仰のくだらなさである。

今、賢い人が賢いのであって、昔賢かった人の軌跡、業績を問題にするのがオカシイ。昔は賢く、今はバカと言うのはいる。昔はバカでも、今は賢いのもいる。それが正しい現実認識である。「自殺」という現象を認識することは可能だが、その現象(現実)が意味するものが何かは分らない。一人の人間の死が葬式代を必要とするのは、分かるけれども…。


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