少年Aに関心を持つのは、人間が社会的動物で、社会から影響を受け、また社会の中で育つことを考えると、社会の様々な問題を思考するのは、既婚・独身、あるいは老若男女の区別はない。独身者にとっては予習となり、既婚者や子を持つ親にとっては、子の年齢によっては予習にもなるし、復習にもなろう。思春期児童を持つ親は悩みの只中で学習となろう。社会は雑多である。家庭と言えども、家庭の数だけさまざまな家庭がある。他人の考えや意見も雑多である。人の数だけ考えがある。そういう中でさまざまな考えや意見に触れ、自分の考えをまとめて行くのが求められる。ファン信仰というのがある。○○のファンだから、すべてを信奉するという考え。気持ちはわかるが、宗教の教祖的な違和感を抱く。
何事も「是は是、非は非」とすることが思考の幅を広げ、ひいては人間の幅を広げると考える。宗教を否定はしないが、"最初から正しいものは一つ"、という考えは便利であるけれども安易であろう。神や仏などを信じる。ある宗教を信じ、 その教えをよりどころとする。宗祖(教祖)の言葉を信用・信頼する。 証拠がなくとも確信を持つ。これらを信仰という。
信仰とは何かを自分は上のような定義で見るが、キリスト教の使徒パウロは、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである」といっている。望むことを確信し、まだ見ぬ事実を確認できるのは、人間なら誰でもそうありたいものだ。それが信仰であるなら信仰に傾くであろう。しかし、確信や確認に疑義を抱くのは悪ではない。
信仰がないというだけで、非人間呼ばわりされたこともある。「人間は人間を信じないで神を信じる生き物なのか?」と、その時に皮肉を言ったのを覚えている。「人間は過ちを犯す動物だからです」と宗教者はいったが、人間の過ちを神の御名や慈悲で許すのが信仰なら、同じ人間として、人間の心で人間許すのが、無神論者の生き方であり、非人間などのいわれはない。
「神の力がないと何も出来ないんか?」、「神の言葉を借りないと話ができないんか?」とここまで言われて顔色が翳ったのが分かるように、普通はここまで言う必要がないのだが、あまりに信仰のない人間を(腹で)見下す言い方は、それが求道者なのかと灸を据えてやりたくなる。互いの存在を認め合い、共生するなら聖書の知識など自慢せずともよい。
無神論者や信仰心のないものが、宗教や神のことに触れたり、話したりすると、神の知識を学習した者は腹で笑っている。それがあからさまであると、お返しに自分も笑ってやる。それが御相子というものだ。知識のある者がない者を笑うなら、学者が素人を笑うのと一緒。そういう学者は尊敬に値しないのと同様に、知識を振りかざす信仰者など屁でしかない。
「屁」とはすかした後に、風と共に消えるという意味だ。無学の者であっても、学者の領域について話していいし、無神論者であっても神のアレコレを話すのは自由であり、それを受け入れられない信仰者は、だから「屁」だという。プロ野球やプロサッカー選手でない者が野球やサッカーの薀蓄を語ってもいい。独身者が子育てについての薀蓄は大いに語っていい。
かつて、子どもの動向や在り方ついて話している時、30代後半のある独身女性が、「子どもを持ったことがないので分かりません」と言われ、ハタと気づいたことがある。自分は結婚していないときに、こういう夫でありたい、こういう夫婦でありたいと思っていたし、それをそのまま結婚生活に持ち込んだ。結婚前の思いと結婚してからの現実が違ったことはない。
ところが、「結婚する前と後ではまるで違った」などと言う人は結構多くて、なぜそうなるのかよく分らない。「蓋を開ければ○○」という言い方は、何事もやってみなければ分らないという意味であろうし、結婚生活もそういうことなのだろう。が、"何事もやってみなければわからない"という前に、そのようにやろうとするから、そうなるのではないか?
つまり、"何事も蓋を開けて見なければわからない"というのは、自分がやろうと思ったようにやっていないのではないかと思うのだが。その原因として、"やろうと思ってもできない"という理由が考えられる。「思ったことと実際にやることは違う」という事をよく聞く。ありがちなことだと思う。が、自分は早い時期から、「知行合一」の考えを信奉していた。
「知行合一」とは吉田松陰が、自身の私塾「松下村塾」の掛け軸に掲げていた名言として知られているが、「知っていることと行うことは同じ」、「知って行わないのは知らないと同じ」という意味。松蔭の名言とされるが、実は、中国の明代の思想家、王陽明がおこした学問「陽明学」の命題のひとつである。陽明は、「知ると行うは、分離不可能」と説いた。
「行動を伴わない知識など、何の意味もない」というのは、ごく当たり前のことであり、よって当たり前に受け入れた。「思っているんだけど出来ない」という言い訳や、ましてや、「思うこととやることは違う」というような、ハナからそういう考え方は承服できなかった。それが、「思ったことは実現すべき、出来ない自分が悪い」という考えになった。
思考にあることを澱みなく行為するのは、確かに難しい側面もあるが、「思う」以上は「行為」を前提にしなければ、「思う」価値がないとの信念を軸に行動に邁進する。それで得たこともあれば、後悔もあった。おそらく後悔は、「思う」ことが幾分利己的であったのだろう。自分の「思う」が独善であれば、それによって他人が迷惑することはあろう。
それが、行為の後に来る後悔である。『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、高利貸しの老婆を殺した。その行為の意図・目的・動機は、「強欲非道」の老婆を個人的に嫌悪したこと以上に、彼女を「庶民の敵」と昇華させ、毒害を撒き散らす人間は、この世から抹殺するのは当然のことと信じた。にも関わらず、なぜ彼は犯行後にあれほど苦しんだのか。
これが『罪と罰』という作品の命題である。人間は完璧にニヒリズムに徹することは出来ない。たとえば、自分の息子を惨殺された親が、「殺した相手を死刑にして欲しい、命を奪ったものは自らの命を奪われて当然の報いだ」と思うだろうが、刑死の場面を直視できるかというと避ける人もいる。「目には目を」が如く、「死には死を」の考えは不動という人がいる。
が、それは自身の道徳的価値基準に過ぎない。自ら下した道徳基準を正しいとし、それを信じようとする人間であっても、人間の生命という深さを思考すれば、それがニヒリズムに徹しきれない要因となる。ニヒリズムは非現実というよりも、現実を受け入れる寛容さの欠如から生まれた思想であろう。精神と肉体を持つ人間に「絶対」というものは存在しない。
自分は少年Aの調書を読み、彼に強烈なニヒリズムを感じた。『文藝春秋』5月号で、酒鬼薔薇事件に対する神戸家裁判決文の全文が公開された。そこでは、当時の彼の犯罪心理として、「母への愛憎」の可能性を指摘していた。《母は生後10か月で離乳を強行した。(中略)1才までの母子一体の関係の時期が少年に最低限の満足を与えていなかった疑いがある》(判決文より)
「愛着障害」の可能性に触れ、さらに母は排尿、排便、食事、着替え、玩具の片付けに至るまで躾には極めて厳しく、後に少年Aの心を歪ませた疑いがあるとした。判決文に書かれている少年Aの生育歴を拾ってみる。少年Aにはいずれも年子の三人の弟がいた。家庭内では玩具の取り合い等で毎日のように弟二人と喧嘩をし、下が泣くと必然的に兄の少年Aが叱られる。
母親は少年Aに軽い体罰を施す。Aは親の叱責を恐れ、泣くことで親の怒りが収まるのを知ると、悲しい感情がないのに先回りして泣いて逃げる方法を会得した。Aは小3の時の作文で、「お母さんはえんまの大王でも手がだせない、まかいの大ま王(魔界の大魔王)です。」と書いている。こういった、"母との歪な関係"が、少年Aの凶行を生んだとメディアは指摘した。
母と祖母はしょっちゅうAの前で言い争いをした。Aは、泣くか、祖母の部屋に逃げ込むことで、母の叱責を回避していた。情緒が育ってない段階でありながらも母親自身は、「スパルタで育てました」と証言する。相談所では、「母の過干渉による軽いノイローゼ」と診断されたことで、その後母は、押しつけ的教育を改め、Aの意志を尊重しようと態度を改めた。
小学校卒業後、Aはナイフを万引きした。両親はそれまでAを、「素直で優しく、隠しごともせず、長男の自覚がある」と評価していたが、万引き事件で、「意志が弱い。表と裏がある」とショックを受けた。中学校1年のとき、小学生の自転車をわざとパンクさせたり、女子同級生上履きを隠したり、焼却炉で燃やしたなどで、再度児童相談所へ行くよう勧められた。
母親はAを病院へ連れて行く。医師は母親に対し、発達障害の一種の注意欠陥(多動)症で認知能力に歪みがあり、コミュニケーションがうまく行っていないので、過度の干渉を止め、Aの自立性を尊重し、叱るよりも褒めた方が良いと指導した。母親が医師の指導に従った結果、Aは表面上は落ち着きが出て、学校からも、よく成長したと評価されている。
中学二年生のとき、母親がAに将来の希望を聞くも、「何もない。しんどい。」としか言わず、母親はAの気持ちが理解できなくなった。以上、主だった生育歴だが、『絶歌』の中で元少年Aはこれら一切を否定した。いわゆる、「他人が分かったようなことを言うんじゃない。当たってないし、俺の事は俺が一番わかってる」という、ありがちな反抗態度であろう。
《母親を憎んだことなんて一度もなかった。母親は僕を本当に愛して、大事にしてくれた。僕の起こした事件と母親には何の因果関係もない》、《事件の最中、母親の顔がよぎったことなど一瞬たりともない》こう綴りながら、母との関係から事件を読み解いた報道の全てを事実誤認と断じた。神戸家裁でこの事件の審判をし、判決文を書いた元判事・井垣康弘氏が語る。
「Aが長年母親に愛されていないと感じており、厳しい躾を虐待と捉え、それらが自己肯定感を欠落させる原因になったことは、裁判時の精神鑑定からも明らかです。鑑別所に初めて面会に行った母親に対して、『帰れ豚野郎!』と怒鳴り、心底の憎しみをもって睨み付けたこともありました。Aは、手記の中で家族に関する部分だけは敢えて嘘をついたのでしょう。
この手記が、将来的に現れるかもしれない友人、恋人への"家族紹介"の役割を担っているからです。同時に、彼が家族に対して徐々にオープンになってきている証でもあります。母の存在が事件の伏線になっていることを隠し、良い思い出だけを選び抜いて書いたのだと思います。実際、父や弟を含め、家族のことについては一切悪いことを書いていませんからね。」
意図的に嘘をついたか、無意識の虚実と気づかず本人的には真実としたのか、上に記したような自分にまつわる周囲の放言に対する苛立ち、腹立ちからの否定なのかは分らないが、自分にもよく分らないことを、さも関連づけてあれこれ言われると頭にくるものだし、この可能性が強いと自分は見る。ウザイ周辺よりも、自分の手記を「正」としたい心理も働いている。
人間は自分のことを自分でいうのが正しいと限らない。なぜなら、人間は自分が自分のことを一番分かっていないからだが、ましてこのように書籍に手記をしたためるとなると、素朴な日記に比べて必然的に修飾が多くなる。人間はどんな悪党でも、自分をよく見せたいものだ。元少年Aの文章には比喩表現も多いという。立花隆も柳美里の所感も交えてこのように言う。
「はっきり言って、これだけの文章(酒鬼薔薇の『懲役13年』)を書ける人間は、大学生でもそういない。この作文について芥川賞作家の柳美里さんはこう書いている。『私がこの事件に強い関心を持っているのはひとえに少年の文章力であると、"懲役13年"と題する作文を読んで確信した。不謹慎を承知で言うのだが、私は少年の文学的才能に魅了されている。(中略)
作文がニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』、ダンテの『神曲』から引用したものであっても、彼の文章力に対する評価は変わらない。(中略) 彼には信じられないほどの客観性、自己批判能力があると思うべきであり、この作文は自己の内面の葛藤を綴った告白文ではなく、精巧に構築されたフィクションであると言い切ってもいい。
自分のことを振り返っても、14歳の私には『懲役13年』のような文章を書く能力はなかった。(『新潮』97年11月号『絶対零度の狂気』) 私も彼女の意見に賛成である。この少年は大変な文学的才能を持っている。(後略)」 立花氏に限らず多くの人が元少年Aの文章力を賛美し、今回の手記はそうした部分に触発された要素もあるだろう。が、最大目的はお金であろう。
自分の欲求を叶えるためには、他人の迷惑など考えない。足蹴りにしても実行するという事なら、その目的が何であっても、彼に贖罪もなければ、更生もなされていないと見るのは当然であろう。「あれはあれ、これはこれ」という手前勝手な言い分けを認めない自分としては、元少年Aは、そうそう簡単には更生できないほど精神に「毒」があったと断じざるを得ない。
「さあゲームの始まりです。」に始まる酒鬼薔薇の挑発的なメッセージが思い出される。「所変われば品変わる」という言葉に添っていうなら、元少年Aの手記『絶歌』を出版した後も、酒鬼薔薇と同じ気分で社会の動向を眺めている、そんな薄気味悪さを覚える。そろそろ『絶歌』も下火になった向きもあるが、彼の世間を騒がせたい情動は、今後何かの形で露呈するであろう。