狂想曲を世俗用語で、「特定の出来事に対して人々が大騒ぎする様子を描写する際に用いられる言葉」と書いたが、音楽のジャンルでいう狂想曲はカプリッチョ(伊: capriccio)の訳で、現在は奇想曲という名を使う。以前は狂想という用語を使っていたが、すべて奇想曲に統一された。では日本語にいう「狂想」と「奇想」では、どう意味が違うのだろうか?
「狂想」⇒常識はずれでまとまりのない考え。また、 気まぐれな考え。「奇想」⇒奇抜な着想の略とすれば分りやすく、一般的には思いつかない変わった考え。という意味で、「奇想天外」などの言葉がある。が、音楽的に狂想も奇想もカプリッチョの訳ならカプリッチョとはどういう音学形式であろうか。カプリッチョというタイトルの楽曲を挙げてみる。
有名なパガニーニ「24の奇想曲(24 Capricci)」作品1は、無伴奏によるバイオリン独奏作品で、重音奏法や左手ピチカートなど強烈な技巧が随所に盛り込まれ、視覚的にも演奏効果が高い作品となっている。演奏家にとっては難曲に挙げられており、リストは同曲の難度の高い演奏技巧の持つ音楽性に触発され、第1・5・6・9・17・24番をピアノ用に編曲している。
他にも管弦楽作品として、チャイコフスキー「イタリア奇想曲」、リムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」、ピアノ曲ではブラームス「8つの小品 op.76」の第1・2・5・8番の4曲がカプリッチョであり、人気の高い小品でもあるゆえしばしば奏される。ブラームスは1863年、「パガニーニ変奏曲 op.35」を書いた後、この作品まで15年間もピアノ独奏曲を手がけなかった。
4曲のカプリッチョの中では2・8番がいい。スタッカートを特徴とした軽快な曲で、ジプシー的な雰囲気を持つ2番、作品の最後に相応しい、明るく技巧的で華麗な8番といったところか。表題から狂想曲・狂詩曲の解説となってしまったが、ついでに狂詩曲はラプソディー(英: rhapsody)の和訳で、自由奔放な形式を持ち、民族的または叙事的な内容を表現した楽曲をいう。
ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」、ラフマニノフの「パガニーニ・ラプソディ」、リストの「ハンガリー狂詩曲」などが有名。さて、本日の表題を「少年A狂詩曲」としたのは、昨日の「少年A狂想曲」との対比もあるが、無意識のこじつけだろうけれども…、自分の脳裏を横切ったのは、クイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』である。ラプソディは上記したが、ボヘミアンとは?
自由奔放な生活をする人間のことを言うが、"世間に背を向けた者"という文言も相応しい。元少年Aが、自由奔放かどうかは分らないが、定住はしていても定職はおぼつかないのかも。彼はいうまでもない、酒鬼薔薇聖斗の異名も、本名の東慎一郎も隠しているだろうし、中卒であることは隠せないにしろ、出身の神戸市立友が丘中学校であることは伏せるかも。
元少年Aの母校である友が丘中学校は、殺害した淳くんの首が校門で発見された学校。なんでわざわざ自分の通う学校の正門に首を置いたかについて、彼は2つの理由を挙げ、以下の供述している。「淳くんの頭部を放置する場所をどこにしようかと考えました。その結果、僕が通っている友が丘中学校が、警察にとっては一番盲点になるのではないかと思いました。
何故なら、まさか友が丘中学校の生徒が、自分が通っている学校に首を置くはずがないと思うだろうし、そうなれば、捜査の対象が僕から逸れると考えたからでした。更に、もう一つの理由としては、僕自身、小さい頃から親に、人に自分の罪をなすりつけては駄目だと言われて育ちました。それで淳くんを殺した僕自身に対して罪悪感があったので、何とか責任逃れをしたい気持ちもありました。
しかし、人に罪をなすりつける訳にはいかないので、学校が淳くんを殺しものであり、僕が殺した訳ではないと思いたかったのです。単に学校に責任をなすりつけるための理由で、実際に学校に対する怨みや学校の教育によって、こんな僕ができたと思っていた訳ではありません。」と、親のきつく言われて育ったことが、トラウマのように守ろうとされている。
残念なのは、「自分の罪を他人に転嫁してはいけない」という教育は立派だが、元少年Aは人に転嫁ではなく、学校という物に転嫁するのである。まさか、「物にも転嫁するな」というところまで、躾の発想が浮かばない。盲点というより、彼が頭がいい(ズルい解釈ができる)のだろう。在校生が母校に首を置くか?という逆の発想も冷静というか、人をたぶらかす素質が見える。
「ボヘミアン・ラプソディ」(Bohemian Rhapsody)
Is this the real life?
これは現実なのか
Is this just fantasy?
それともただの幻か
Caught in a landslide
まるで地滑りに遭ったようだ
No escape from reality
現実から逃れることは出来ない
Open your eyes
目を開いて
Look up to the skies and see
空を仰ぎ見るがいい
I'm just a poor boy, I need no sympathy
僕は哀れな男 だが同情は要らない
Because I'm easy come, easy go
いつでも気ままに流離(さすら)ってきたから
A little high, little low
いいこともあれば 悪いこともある
Anyway the wind blows, doesn't really matter to me, to me
どっちにしたって 風は吹くのさ僕にはたいしたことじゃない
Mama, just killed a man
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he's dead
Mama, life had just begun
But now I've gone and thrown it all away
Mama, ooo
Didn't mean to make you cry
If I'm not back again this time tomorrow
Carry on, carry on, as if nothing really matters
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he's dead
Mama, life had just begun
But now I've gone and thrown it all away
Mama, ooo
Didn't mean to make you cry
If I'm not back again this time tomorrow
Carry on, carry on, as if nothing really matters
(訳) ママ たった今、人を殺してきた、あいつの頭に銃口を突きつけて
引き金を引いたらやつは死んだよ、ママ人生は始まったばかりなのに
僕はもう駄目にしてしまった、ママ、ああ…ママ
ママを泣かせるつもりじゃなかったけど、明日の今頃になって僕が戻らなくても
今のままで生きていって、まるで何事も無かったかのように
引き金を引いたらやつは死んだよ、ママ人生は始まったばかりなのに
僕はもう駄目にしてしまった、ママ、ああ…ママ
ママを泣かせるつもりじゃなかったけど、明日の今頃になって僕が戻らなくても
今のままで生きていって、まるで何事も無かったかのように
この歌詞にあるように、人を殺して来て、「ママ、たった今ぼくは人を殺してきた」と打ち明けるであろうか?だとしたら、相当の信頼関係で結ばれた母子である。続く歌詞にも、"この若さで人生を終えてしまった。もし、自分が囚われの身になって家に戻らなくても、心配しないで欲しい”と、有り余る母への愛情が見れる。ここまでの信頼関係のある母子は羨ましいばかり。
実際の彼と母の会話は以下の様であった。検事調書の供述による。「家に帰ると、お母さんが、僕に、『淳くんがおらんようになったみたいよ。』と言いました。僕は、淳くんを殺して来た等と言えないので、お母さんには、『ふう~ん』と返事をしました」。彩花ちゃんが病院で亡くなった時の供述はこうだ。「今日の朝、目が覚めて階段を降りて下に行くと母が言いました。
『かわいそうに、通り魔に襲われた子がなくなったそうよ』。新聞を読んでみるに、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。頭をハンマーで殴った方は死に、お腹を刺した方は順調に回復していったそうです。人間というのは壊れやすいのか壊れにくいのか分らなくなってきました。容疑も傷害から殺人と殺人未遂に変わりましたが、依然として捕まる気配はありません。」
検事:「鉄のハンマーの威力はどうだったのか?」
少年A:「この時は分かりませんねえ。後で新聞を見れば結果が分ると思いました。」
検事:「君は、君が殺した女の子に対して、どんな感情を持っているのか?」
少年A:「どんな感情も持っていません。」
(殴って死んだ子の)鉄のハンマーは、ナイフと同じように、確か、僕が小学6年生の頃に、Lで万引きしていたものでした。僕は、当時、4、5人の友達と一緒に、よくLに行って万引きをしていたかもしれませんが、僕は、僕の欲しいもの、すなわち僕が魅力を感じていた、かなづち、ナイフ、斧、鉈(なた)、鎌などを万引きしたのです。
検事:「君が興味を持っているものは、何れも人を殺したり凶器となり得るものだが、それらは君が知りたいと欲望していた"人間の死"と関係しているのかね。」
少年A:「関係ありませんね。好きだから好きなんです。」
検事も仕事とはいえ、人(オトナ)を食ったような語り口に対しても、機嫌を損ねぬように言葉に気をつけたり、なだめたり。喋らせる(吐かせる)のが仕事とはいえ、自分の未来の何一つを見つめず、たぐり寄せようという気もなければ、向上心も自制心もない若者…、少年Aはそのように映る。サルトルの『嘔吐』はなぜに『嘔吐』というタイトルであるか。以下引用する。
「私はもう現在と未来とを区別できない。しかしながら現在が継続し未来がだんだん実現されて行く。老婆は人影のない街を進んで行く。履いている大きな男の靴を動かして行く。これこそ時間だ。まったく裸の時間である。それは徐々に存在を獲得する。未来は待たれている。そしてそれがやって来たとき、人びとは嘔気をもよおす。それがそこに、すでにずっと前からあったことに気づくからである。」
『絶歌』についていろいろな人間がいろいろな受け止め方をし、いろいろな風に言っていた。それを狂想曲とするなら、そろそろ集約した意見のまとめの時期か。短い詩にまとまれば狂詩曲。いちばん印象に残ったのは幻冬舎の見城社長である。見城氏の、「切なさと同時に安堵の気持ちがありました」は、元少年Aに実際に会っていろいろ話したことで得た感想だ。
最初、見城氏は手記の出版を引き受けた。それを踏まえて元少年Aは書き始めた。目的がないと書けないだろうし、その意味で出版という目的が彼に手記を書かせた。見城社長の心変わりには、企業人として、人間としての葛藤であろう。部数が見込める酒鬼薔薇の手記は業界人なら垂涎である。それをあえて反故にした心底を「立派」と讃えるのは失礼というもの。
彼は立派なことをしたのではなく人間観に過ぎない。元少年Aに対し、「そんなものは書くべきではない」と言わなかったのも、境遇を理解したからであろうし、だから、「君が書いて出版したいなら書いたらいい」と書かせた。しかし、途中、手記の内容をみるうちに、公益性を見出せなかったのではないか。「これは単に彼の食い口をつなぐだけの内容…」と思ったかも知れない。
元少年Aの手記の善悪は、被害者遺族を傷つける点において間違っている。が、1620円を出して購入する人には、享楽を与える書物となる。傷つくものは極少、楽しむ者は多数、それに相当数の社会批判も頭を過ぎったろう。業界人であるならそれくらいの読みはなんでもない。思考の末に出版を止めた見城氏は、太田出版を紹介することで執筆の責任を取った。
他にも出版社はあるが、太田なら出版するであろうとの読みだ。見城氏は一連の行動で正義感づらをし、得意になるような、器狭き人間ではないし、ホンネは自分が止めたものが活字となって世に出ることを憂えたかも。見城氏が止めた理由は、手記が害悪と断じたからである。とはいえ、善悪は個々によって度合いは変わる。見城氏はそういう広い視野を持った人物だ。
太田出版が止めるというなら、それも太田の判断。たまたま自分と同じであったということ。太田が刷るというなら、それも太田の判断。他人がとやかくいう筋合いではない。そういうフラットな思考と推察する。太田出版の岡社長は怯むことはなかった。何も見城氏が出版を止めたからと言って、重視すべきは己が判断である。公式見解にも「自己責任」の言葉が見える。
二人を並べて、自分の好きを言うなら見城氏である。彼は部下なり人間なり、「褒めて伸ばす」という、お行儀のよい作法が嫌いらしい。裏返せば、他人から褒められることも嫌いのようだ。その辺りは自分とよく似ている。「人に褒められただけで喜んでいるのはただのバカでしょう」、と見城氏は言う。自分が自分を褒められるようでなければ意味がないということだ。
酒鬼薔薇聖斗の手記という金のなる木を前に、それを反故にした彼の真意は、「自分が自分を誇れないことはやらない、やる意味がない」。どうやらこの言葉に隠されているようだ。批判するターゲットを作っておくのも自己向上の材料となるが、範とする人間を持つのも大切だ。真似るのは大変であるけれども…