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「元少年A」に絶句

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「すべてのオトナはみんな子どもだったはず…。なのに、どうしてオトナになったらかつての子ども時代を忘れてしまうのだろうか?」これが自分がオトナになったとき、子を持った親になったとき、絶対に揺るがせてはならない強い思いだった。ビートルズやエレキを不良の音楽とバカにされて哀しい思いをしたとき、親にいたぶられて辛い思いをしたとき、強く言葉を噛みしめた。

「絶対にこんなオトナにはならん。こんな親に自分はならん」と、自らの心に堅く契ったことを忘れない。忘れてなるものか。でなければ、あの哀しみやあの辛さは浮かばれない。即ち、自分はオトナであるが、反面子どもである。子どもの心を忘れないままに強く維持しているという点で、子どもである。オトナの部分はそういう子どもの部分を俯瞰している点においてである。

強い気持ちの裏には当時、自分たちをバカにし、見下した、バカなオトナどもへの痛烈な仕返しである。だから、自分がそういうバカなオトナと同じことをやってしまったら、何にもならないではないかと。感受性の強い子どもだった自分は、その感受性をオトナになっても失わず、引き継いでいるのである。子どもの感受性とはまさに弱者の"呻き"そのものであった。

中村メイコという女優がいる。プロフィールをみると女優、歌手、タレントとなっているが、自分的にいうなら彼女は、自分たちが子どもだったころのアイドルであった。芸能界という場や環境というのがよく分らない頃に、毎朝ラジオから聴こえてくる彼女の声に励まされた。元気のいいうららかな少女であった。ラジオ放送はおそらく『パパ行ってらっしゃい』であろう。


彼女の子ども時代は男勝りの太い声質で、一聴した感じでは女でありながら限りなく男に近い雰囲気があった。それでも男でないのはよくわかる。ラジオ劇でありながら、その物怖じのなさは、「よくあんなふうに演じられるよな」という肝っ玉の太さを感じていた。『パパ行ってらっしゃい』とは、ラジオ東京(東京放送ラジオ)で1960年代に放送された朝のラジオドラマである。

調べてみると以下の記述があった。小沢昭一と中村メイコの2人によるラジオドラマで、小沢がサラリーマン、中村はそのサラリーマンの夫人や子供の役を演じたものである。小沢が生前の『小沢昭一の小沢昭一的こころ』で語ったところによると、早朝番組で、「時計代わりにこの番組を聴いた人も少なからずいる」といわれている。なるほど、そういうことだったのか。

つまり、中村メイコは小沢昭一の妻役と子ども役の二つを演じていたので、妻役の声は女らしく、子ども役は活発な子どもらしい声を器用に対比させていたのだった。また、当時は小沢と中村は多忙であったため、同時に生放送か録音で競演できない場合は、スケジュールの都合の付いたときにそれぞれ別々に録音を取って、それをつなぎ合わせたこともあったという。

イメージ 3さらに調べてみると、中村メイコは小沢演じるパパ以外の全部の声を担当し、当時は「七色の声の持ち主」との異名があったという。七色仮面は七つの顔の持ち主という変装名人であったが、中村メイコのそう呼ばれていたことは、なんとなく記憶の隅にあったようでもあるが、忘れていた。とにかく器用で痛快なマルチタレント、天才少女というのが周囲の声であった。
wikipediaには以下のように記されている。「東京府(現・東京都)出身。2歳の時に、P.C.L映画製作所(現・東宝)制作の、『江戸っ子健ちゃん』に出演し、映画デビューする。その後、映画やラジオに多数出演、複数の配役をこなす七色の声として有名となった。天才子役としてデビューして以来、榎本健一や古川ロッパ、徳川夢声、柳家金語楼、森繁久彌らと共演した。

幼い頃、菊池寛と会食している。NHKにはテレビ本放送開始以前のラジオ時代から出演。テレビ放送においては、1940年に開催が予定されていた東京オリンピックに先立つ実験放送の頃から出演し、黒柳徹子と並んで日本のテレビ放送黎明期を語る上で欠かせない存在となっている。1955年には歌手としても活動し、「田舎のバス」(三木鶏郎作詞・作曲)がヒットした。

そうだったのか、「田舎のバス」は彼女が歌っていたんだ。♪田舎のバスは~オンボロぐるま~ タイヤはつぎだらけ~ 窓も閉められない それでもお客さん、ガマンをしているワ それ~はわたしが美人だから…、と歌詞が素で脳裏から出てきた。オトナにも子どもに楽しい歌で、だから自然に覚えている。それにしても2歳デビューとは凄い、セリフもあったのだろう?

中村メイコのことをいろいろ書いたのは、オトナに囲まれた日常を送っていた彼女が、子ども心に当時をこう語っている。「なんとなく自分をゴマカシながら、フワリフワリと日をおくっているオトナどものほうが、ずっとラクそうだ。……オトナのすることをながめながら、私は『きたないなァ』と眉をしかめたり、『ズルイヤ、ズルイヤ』と、こどもっぽく涙ぐんだりしている」

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これは彼女の自伝的処女作『ママ横を向いてて』の中の一節である。生まれたときを「誕生」というなら、思春期は「第二の誕生」といっていいだろう。青年期には、人によって多少の違いはあれど、壊れ砕かれて新しい自分に生まれ変わる時期でもある。両親や教師や、世のオトナに対する尊敬と信頼を抱いていた気持ちが崩れていくと同時に、様々な紆余曲折を体験する。

「偶像破壊」の喜びもあれば、「自己破壊」の喜びもある。が、壊すことばかりでは人生に未来はないし、壊すと同時に新しく建設・増築をしないと自暴自棄に陥りやすい。思春期という波乱期に自己再生が出来ず、不幸にも自暴自棄になって堕ちていったものは多い。青年期には未来を見つめなければいけない。世のオトナ、両親の醜さに気づいたとき、己の無力さを実感する。

社会的弱者である子どもは、親の権威に抗うことはあっても、社会的な権威に抗することは躊躇われる場合が多い。警察も権威、学校や教師も権威であろうし、それに刃向かうことは勇気がいるし、自暴自棄なら可能である。家庭環境から抑圧を犯罪に向けた多くの若者は、ある種の不幸であった人たちである。「神戸連続児童殺傷事件」の犯人とされた酒鬼薔薇聖斗こと少年A。

彼が手記を書いた。タイトルは『絶歌』(太田出版)である。自分はこの手記は容認できないし、批判の対象とする。批判は内容云々ではない。内容など関係ない。被害者の平安を踏みにじることを何の目的でやる必要がある?この手記の功罪の「功」を挙げるなら一点ある。それはこの犯罪が冤罪であるといわれ続けたこと。犯人は少年Aではないと、まことしやかに言われていたこと。

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自分は少年A冤罪説に一行足りとも加担はしなかった。冤罪説信奉者の論を幾度も読んだが、空理空論として納得はできなかったからだ。この手記をどれほどの人が読むのかは分らない。読みたい人には読みたい理由があるのだろう。それによって何かを納得させるのかも知れない。もっとも、少年A冤罪説信奉者は、しっかり読み、過去の空想をゴミ箱に捨ててくるがいい。

自分はこの手記を読まない。読まない理由は読みたくないからだ。読む気も起こらないと言った方がいい。いや、さらには元少年Aが何の理由でコレを書いたのか、納得できる理由が自分には見当たらない。彼はそれなりの理由を言うのだろうが、どんな言葉を用いようと、それが事実であったとしても容認できないし、その自己肯定感は屈折した感情であろう。

太田出版は、「加害者男性側からの持ち込み」というが、事後の社会問題を考慮にいれた口裏ではないか?出版社サイドが少年Aを探し当て、少年に執筆を勧めたと推察する。「一躍あなたは数千万の大金を手にすること間違いない」などと口説いたのであろう。元少年A側から自主的に出版社にコンタクトがあったとは思わない。それは「太田出版」であるからだ。

講談社や新潮社、文藝春秋社というならそれもあると推察するが、こと太田出版は金儲けなら何でもやる"天をも怖れぬ"見境のない出版社である。そんな出版社のそういう編集者の入れ知恵で作られた本など反吐が出るわ。元少年Aに罪がないとは言わないが、最大に罰せられるのは元少年Aをそそのかした太田出版である。元少年Aはオトナどもから二度に渡って罪に要因を作られた。

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元少年Aが、手記の中でどれほどの言葉を使って被害者遺族に謝罪しようと、それは怒りにしかならないであろう。謝罪とは空気で伝えるものだと自分は思っている。口に出す謝罪など、謝罪に見えて謝罪に見せかけたものでしかない。言葉にしなくて伝えるものが謝罪なら、言葉にした途端、それは謝罪でなくなる。空気で伝えるかもしくは腹を切るか、それ以外に謝罪はない。

2008年3月27日に「怒りの本質 vs 謝罪の本質」という記事を書いた。この中で「謝罪の本質は、まずは逃げ隠れせぬということ」と、記したように、姿も所在も名も公式に明らかにしないで何かを発したいならネットで書くべきだ。それなら許される部分もあろうが、ただ、被害者がいることには変わらないし、事の大きさに鑑みて無報酬といえども沈黙を守るべきである。


それが出来ないで、30過ぎても自己顕示欲丸出しの元少年Aは、こんなことをやるならこの世から消えているべきであった。同様の声は「いま30歳過ぎている訳でしょ?自分の責任で本を書くのであれば、実名で書けばいいじゃないですか。そのぐらいの責任はあってしかるべきでは?」(小倉智昭)、「もう匿名は許されないのではないか?」(紀藤弁護士)など相次いでいる。

元少年Aが真摯な反省をする機会を周囲のオトナが奪ってしまった。いい金ヅルとして群がるオトナどもに利用された感が強いが、人間として最低守るべき「良心」親からも誰からも教えられないで育った元少年Aは、30を越えた年齢になってもアイデンティティをもてないでいるのは、日陰で生きるしかできない自身への後ろめたさであろう。今回も利用されたのである。

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東野圭吾が犯罪者遺族の立場にたって書いた『手紙』の中で、殺人犯の兄のせいで周辺差別を受けるなど苦渋の日々を過ごす弟に、勤務先の会長はいう。君の兄が殺人犯との理由で、犯罪者やそれに近い人間を排除しようというのは、真っ当な自己防衛本能だ。まして元少年Aは犯罪を犯した当事者である。気持ちは分るし、自分を世間に晒せないなら社会の隅で小さく生きるしかない。

犯罪者が檻から世間に出てきたが、皆が冷たい、耐えられないと、わざと犯罪を犯して刑務所に戻ろうとする者もいるという。檻の中には周囲の冷たい視線はない。『手紙』の弟も兄は刑務所だからいいが、社会で生きる自分は周囲の視線で苦しまなければならないと、兄を憎む。「何で家族(兄)が行った事なのに、自分が差別を受けなければならないのか?」当然の疑問である。

元少年Aが社会の隅でひっそりと生きなければならないのは、理不尽というよりも、それが死んだものに対する責任の取り方であろう。そうすべきである。社会の偏見を背中に受けて生きていくべきである。罪の重さとはそういうものであろう。なのに、今回のようなことをして騒ぎの担い手になるなど、言語道断である。彼の再生を阻んだ貪欲な企業人の責任ではあるが。

責任を取るべきは太田出版である。国民はこのような社会悪太田出版の刊行物の不買運動をすべきであろう。元少年Aの地獄の苦しみ、泣き言、言い訳を聞きたいものがいようか?彼はそれら一切を己の懐にしまい、汗を出し、血へどを吐いて生きるべきで、その覚悟がないなら死んだ方がいい。それが彩花ちゃん、淳くんへの供養である。それなら彼を利用する者も出てこない。

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「すべての犯罪は、人間が孤独でいられないと言うところから起こる」。E・H・フロムは、人間のもっとも根源にあるのは孤独を避けたい欲求であるといった。広大な砂漠を生きていくべく元少年Aは、そういう状況下であることが贖罪であると認識しなければならない。無言の贖罪こそ謝罪である。自分は如何に生きるべきかという疑問に答を出すのは自身である。

安易な誘惑に乗ってしまったことは過ぎたことだとしても、元少年Aは版権を持つ以上、絶版を申し出るべきである。自分は如何に生きるべきかの疑問から逃れ、そういう疑問を振り払って生きようとするなどあってはならない。それは贖罪を頓挫することだ。自己への追求だけは絶対に避けることをせず、砂漠の中で生きていくべきであり、それは彼が自ら作った運命である。

自分に何らかの関心を寄せてくれる人に心を委ね、託そうとした気持ちは彼の切ない望みと考えれば理解できる。たとえ自分の心が本質的にそこにいる人と結合していなくとも、自分の心がその人たちの心とつながっていなくとも、その人たちに受け入れられたいと思うだろう。出版社の思惑が知りたいなら、ネットの批判を読むがいい。残念ながら君は受け入れられなかった。

本質的に受け入れられないと分っていても、それでも社会に受け入れられることを望むのが不良である。ヤクザや暴力団も同じことか。贖罪の任を負う犯罪実行者はそうであってはならない。つまらぬ虚言に酔ってはならない。喉元すぎれば罪を償うのはしんどいにしろ、陽の目を浴びようなど言語道断。出版社には早急に絶版を申し出て、静かに生を全うしてほしい。

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