長年ブログをやっていて、経年で変わることもあろうが、変わらないこともあろうし、昨日思ったことが翌日は違う考えになることだってあろう。その善悪は判らないし、ただ、見ず知らずな人の気分にいちゃもんつけても仕方がないというのが道理だろう。これが、自分の親とか、上司とか、教師とか、師匠とか、自分の生活に直接影響するような人だと困る。
さて困ってどうするかは、その人が考え対処する問題である。ただし、昨日言ったことが今日は違ってるというような体験は、初めての場合もあるが、そういう相手は慢性化している場合が多いので、「またか…」と別段おどろくこともなく、対処法は心得ている場合が多い。端的に言えば、いうことがコロコロ変わる奴は、「そういう奴」との認識であり、烙印押されている。
その手の人間と出会って、困惑したり、悩んだりで、苦労するのも社会勉強だから、そうい体験はしないよりはした方がいい。いかなる体験であれ、"した方がよい"が正しいのは起こったときの対処が、得ている場合といない場合とでは違うということもある。人によっては体験を得ていても、プラスになっていない人間もいるが、そういう人間を鈍臭いというかは別にして人それぞれだ。
「一を聞いて十を知る」人間もいれば、「一を聞いて二か三くらいを知る」人間もいる。「一を聞いても一を忘れる」人間だっている。簡単にいうとそれらは人間の能力差ということにもなるが、突きつめれば能力差の発生にも要因がある。たとえば、その事に真剣であるかないか、そういう見方もあろうし、真剣であれば頭に叩き込むが、いい加減ならすぐに忘れる。
そういう気持ちの持ち方、在り方でさえ能力差というなら、それはそうかも知れない。親の躾けなどの教育観も影響していると思われる。「一をもって十を知る」ということが、いかに大事であるかを、例を挙げて考えてみる。今の時代では刃物を持ち歩くことはないが、真剣勝負みたいなことはたくさんある。多少比喩的になるが、こういう例で思考してみる。
白刃と白刃を向き合わせて敵と向かい合っているとする。そのときに敵が右足を一寸ずらした、あるいは一寸左足を開いた、ということが、敵がどのように打ちこんでくるかということを示すのが剣術、剣法の奥儀である。相手の微細な動きでさえ行動であり、行動を起こしたことになるなら、その行動がいったいどちらからの太刀筋になって入ってくるか。
そういういうかすかな変化をも少ない情報から察知し、それに対応する構えを持たなければ殺られる。これぞ「一をもって十を知る」の極めつけである。宮本武蔵が一生において一度も仕合で負けなかったのは、こういう極意を見出したからで、だから生きていられ、だから『五輪書』を書き上げることができた。そこには現代に通じる様々なことが記されている。
鬼気迫る命がけの勝負であるなら、できるだけこちら側はいい条件の場所におれと武蔵はいう。たとえば樹木があれば自分が樹木を背にし、相手が樹木の方にかかってこざるをえないようにする。海際であれば、相手を水際の方へ押しやって、自分はそれよりも高い所から行く。塀があれば塀を背中にし、相手には太陽が当たるように、こちらには当たらないようにする。
剣法といえど、さまざまな要素を含んでおり、それでこそ剣法であるのだと。薪を木の枝から紐で吊るして、「えい、やあ!」と打つだけが剣法ではないのだと。今の時代に企業経営者や有能な社員に『五輪の書』が読まれるということは、やはり企業経営とは末端の顧客さまとの話術から、部材の仕入れ・納入にいたる多くの駆け引きを必要とするからであろう。
つまり、「一をもって十を知る」人間こそが能力者であることになる。ついでだから武蔵について薀蓄をいうなら、彼は二刀流で知られている。何故に二刀流であるのか?二刀を使うということが得であるから?という単純な理由では決してない。武蔵の二刀流の真髄は、"あらゆる道具というものは、なんであれ使えるようににしておけ"、ということである。
だからか、実際の仕合においては武蔵はほとんど二刀を使ったことはなかった。が、二刀をもって一所懸命工夫をし、その二本の刀を 同時に持つにはどうしたらいいのか、小刀(短い刀)を敵の体に届かせるにはどうしたらいいのか、そういう平素の練習を欠かさなかった。これは、「備えあれば…」に通じる、人間のあらゆる仕事の場合において大事なこと。
いや、仕事に限らず、すべてのあらゆる条件を一つの目的のために集中する、そういうことが必要であるということ。先を見通すという事ではなく、不意のことにも備えがあれば自然に思考が働き、体が動いたりする。これは人間の体の危機管理意識(危機管理能力ともいう)という本能的な要素でもあるが、野生種であれ家畜同様に飼育すると、本能が退化していく。
「平和ボケ」という言葉があるように、人間が危機管理意識を失い、本能習性に逆行するような行動をするのは、人間そのものが生まれて以後、家畜のように育てられるからであろう。ナンでもカンでも親がやってくれて、本人は食事の時に、ただ箸を持てばいいだけに育てられる。過保護に育った子どもを「箸より重いものを持ったことがないような子」と揶揄する。
「人の心を見通せるんだよ」などと自慢げにいう人がいる。ある種の傾向は読めても、見通せるわけないだろうし、そう思い込むことでかえって危険な場合がある。見通し過ぎると(見通したと思っていると)、何も相手はそこまでも考えてないのに、邪推が災いし、相手をとんと悪者にしてしまうことになるのだが、むか~し、こういうタイプの教師がいた。
直接的には何の理由だか覚えてはないが、職員室に呼ばれ、「すれ違っても挨拶しない」だの、「目をそらす」だの、「人を見たらドロボウと思えという諺が好きなんではないか?」などと、畑違いのことで決め付けて得意満面になっていたバカ教師である。自分は児童心理学の長けているんだみたいな、勝手な思い込みでは指導もヘッタクレもあったものではない。
黙って聞いてはいたが、教師ってのはこれほどバカかと思わずにいられなかった。場違い、畑違い、筋違いなことをさも分ったようにいう奴ほどマヌケはいない見本である。師範学校をでて教師になったにしても、なにぶん人生経験がなさ過ぎる。物事はすべて学問で仕切られる、判断できる、という人間の頭の悪さ、勘の悪さ、屁の臭さは、まさに糞して寝ろと言いたい。
子どもは非力である。大人に上から畳み掛けられれば黙するしかない。何をいっても良い訳でしかなくなる。真実の声、悲痛な叫びはすべて弁解として取られてしまう。すべての大人は子どもを見くびっているのであろう。小4の時、版画の授業があった。今は危険物なのか?あの当時、彫刻刀はふつうに学用品であった。できた版画を担任に見せるために教壇で列を作っていた。
並んで順番を待っているときに、一番前列の級友に机の上にあった彫刻刀で彼の頭をコツンとやった。そうしたらいわゆる知恵遅れのそいつがいきなり大声で喚き、泣き出したのだ。痛かったわけでもない、刃を向けてやったのではない、なのにそうなった。担任が飛んできて大騒ぎになり、コワい先生のところへ連れて行かれた。色の浅黒いコワい先生はいろいろ言った。
憶えてる言葉は、「大人になったら人を殺す人間になるぞ!」である。何をバカなことをいう人だろう、ふざけてコツンとやったのは情況ではんだんできないのか?喧嘩をしていたとか、言い合いの最中とか、何か押し問答をしていた上で手に彫刻刀というなら、それはどう解釈されてもおかしくはないが、順番待ちの際、前列の級友に「コツン」がどういう状況か?
どれほど危険な行為なのか、何の意図があってのことか、そういう判断もせず、聞きもせず、いきなり事情を知らないコワい先生のところに連れて行った女教師も大概バカである。自分はコワい男教師より、担任に罪があると思っていた。情況も何もあったものではなく、ただ相手が泣き喚いたというだけで、自分はその日から「彫刻刀で人を刺した」人間になっていた。
「あいつは怖い」という噂が広まった。よく不良に堕ちる人間がいるが、自分の意思とは無関係に、何かの行為を誤解され、他人が色眼鏡で見るようになったことで捨て鉢になるのかも知れない。まったく事実に反することで危険視されると、「そうかい、そうかい、だったらお前らの言うような危険な人間になってやるよ」と、そういう風なひねくれた心が増幅する。
自分もそういう露骨な噂は辛いものがあったが、言う奴と言わない奴はハッキリ区別があった。言う奴は雑魚に思えたし、言わない奴は頭のよい種であった。雑魚はそういう時にごちゃごちゃいって面白がる。賢い人間はそういう風評に加担せずチャンと理由を聞いてくる。「ちょっとコツンとやっただけなのに刺されたとあいつが勝手に泣いた」で、理解してくれた。
理由なんかどうでも人を悪人にして騒ぎたい連中など、ほっておけばいいし気にもならなかった。こんにちその時のことを思いだすと、何であんな大事件になったかは、担任の状況分析がなかったからだ。理由もないのに人が人を刺すわけない。3、4年、5、6年と女教師だったが、女教師は男の子を理解できていないようだった。もしくはいい子で育ちすぎたか。
いい子は本当に困ったものだ。ちょっとしたことでもすぐに悪事にしてしまう。ちょっとした悪ふざけでもすぐに悪人にしてしまう。5、6年の女担任にもずっと心は伏せたままだった。おそらく4年生の時の事件が生徒の個人情報として報告書に記載されていただろう。自分を色眼鏡で見る奴はすぐに分る。予断と偏見で人は人を見てはいけないが、学校はそれが踏襲される。
問題を起こさないようにするところだろうから、問題児はマークされるのだろう。「○○は彫刻刀で○○を刺した」となっていたのかも。どういう状況の中、どういう理由でそういう事が発生したのかは記す必要はないのかもしれない。結果的に5、6年の担任は教育熱心で子どもに愛情を抱くよい教師であったし、自分に関わった全教師の中で一番心に残っている。
邪推は危険である。相手の実態よりも先へ突きぬけてしまうからだ。当時の教師は(今もかもしれぬが)世間知らずの、実体験不足の、世俗人というには少しばかり歪な人間であろう。経験を補うために世俗の勉強で本は読むだろう。が、本を読んで人生勉強しようとなんてのは虫が好すぎる。人生勉強にしろ、人間学にしろ、人生論にしても、社交術にしても…。
こればかりは実地修練で苦労をし、試行錯誤の結果、やっとのことで身につく感覚なのである。本を読んで身につくのは、畳の上で水泳の練習をした程度のものであろう。人間が本当に学ぶべきことにおいて、基本中の基本と前置きしてみてもたくさんあるが、自分が思うことをあげれば、他人に優しくすること、他人に好意を持つこと、他人の長所を認めることであろう。
他人に優しくできない人間は自己中心であり、他人に好意を持てないのは自信過剰であり、他人の長所を認められないのは自己愛に蹂躙されたひとであろう。自分にない能力や素養をもつ人を尊敬し、未熟な若者を可愛がり、俊才を友人に持ち、威張らないことである。「言うは易く行うは難し」かも知れないが、難しの要素や部分を取れば、「難し」もそうでなくなる。
それから最初に言った「一をもって十を知る」こと。これは「知ろうとする心構え」が必要だ。これには幼少期からの親の心構えが大事で、「アレはダメ、コレはダメ」ではなく、「アレもやりなさい、コレもやりなさい」がいい。勉強だけやってくれればいいなどという親は親ではないな。自分がどんだけ勉強したと思ってるんだ。そのうち子どもに言われるよ。
「おかん、あんたどんだけ勉強したんね?」⇒「私がしなかったからしてほしいのよ」と、お決まりの言葉で返すのだろうが、それに対して頭のいい子はこのようにいったらいい。「自分はおかんのような人でええよ。それで満足じゃ。おかんのように生きていたい」と。コレはいわゆる褒め言葉である。これにおかんはどう反応する?デレ~として、うるうるなら効果アリ。
ためしに孫に言わせてみよう。息子の中間テストの成績が悪いといって長女(孫の母)がイラついていると妻が言う。子どもに勉強しろと口癖のように言う母親って一体何なのか?それだけ言っても成果が上がらないなら、勉強、勉強と口酸っぱく言う効果はないんだなと気づかないのだろうか?気づく、気づかないというより、言わなきゃ気がすまない母親の宿命なのか?
勉強のできる子(成績のいい子)を賢い、勉強できない子(成績の悪い子)をバカという言い方をするが、自分はそうは思わない。学校の勉強をしない子は、単に学校の勉強が面白くないからで、子どもは面白くないことに興味を持たない。勉強というのは面白くなくてもやらなきゃいけないのか?するなとは言わないが、そこそこ、ほどほどでいいのではないか?
人間はイロイロなのに、何で親は学校の勉強ばかりに躍起になるのか?そこを考えると、勉強以外に子どもが興味を持つことに熱心に、積極的になった親は、いろいろの世界で子どもが成功する原動力になっている。子どもに面白い事を気づかせるのも親の影響である場合が多いが、それすらできなかった凡親が、これと言って何もない凡庸な子に、勉強、勉強と吠えまくっている。
「ブログに何を書こうがそれは自由」との表題で、ぜんぜん違うことを書いたが、これもまたブログに何を書こうがそれは自由ということでもある。ということで、目的が収まらなければまた続きがある。