昭和天皇のさまざまな発言を分析し、独特の語りを「天皇語」と命名した保坂氏は言う。「『天皇語』を身につけるとは、天皇が自分の言葉の持つ重み、時に威圧を伴うこともある力を自覚することにほかならない。」とし、次の例をあげている。昭和52年、香淳皇后が腰を傷めたとき、不自由はありませんでしたかと尋ねられた昭和天皇は、次のように答えた。
「それはありました。だが、家庭のことですので。記者の人たちも家庭のことはあまり人に言いたくないでしょう。」と、「天皇語」を披露した。徳仁殿下が平成20年の誕生日会見の以下の内容と比較する。「家族のプライバシーな事柄ですので、これ以上立ち入ってお話しするのは差し控えたいと思います。」内容だけでいえば、どちらも言ってる事はほとんど同じである。
が、受ける印象はまるで違う。昭和天皇の言い回しを年齢的なものとか、個性とか以前に天皇ならではの独特の「味」がある。今上天皇も決して饒舌とはいえないが、本質的なことを単刀直入に、卒なく語るところがある。印象的だったのは、昭和59年、天皇皇后両陛下御結婚二十五周年を前にした記者会見の場で、記者が「互いに何点をつけられますか?」と聞いた。
天皇陛下は「点をつけるのは難しいが、まあ努力賞というようなことに」と言ったところが卒がない。普通なら80点、90点などというところだが、具体的な数字は何かと差し障るものだ。それで"努力賞"とはさすがである。それに呼応して美智子皇后は、「もし差し上げるとしたら、御点ではなく感謝状を…」と、返す言葉も卒がない。口調は優しいが威厳に満ちている。
保坂氏は天皇になるためには「天皇語」を習得せねばならないみたいな独善を言っているが、昭和天皇は昭和天皇、今上天皇は今上天皇、徳仁親王は徳仁親王と、時代の推移とともに言葉は変容するものだろうが、物書きは何かに取り付かれたように物事を決め付けてしまうので、偏見に流されないことだ。徳仁親王は「天皇語」を見出していないから気に入らないと保坂氏はいう。
秋篠宮天皇待望論の骨子も、徳仁皇太子殿下に比べたら、秋篠宮殿下の方がましというような、比較をしているだけの内容である。「総力取材」と言いながら記者会見の発言と、関係者の証言がほんの少しある程度では"看板に偽りアリ"といわざるを得ない。とにかく、天皇は昭和天皇も今上天皇も、皇后を従えて外遊・公務をすべしだから、問題は雅子妃の病状である。
平成16年、古稀を迎えた美智子皇后に対する宮内記者会から次の質問がなされた。「皇太子妃は昨年末からの長期の静養を続けておられます。また今年5月の皇太子殿下のご発言をきっかけに、皇室をめぐってさまざまな報道や国民的議論がなされました。妃殿下のことや一連の経過、この間の宮内庁の対応などについて、どのように受け止められましたでしょうか」。この問いに対し、美智子皇后は文書ではあるが、以下の優しい言葉で回答した。「東宮妃の長期の静養については、妃自身が一番に辛く感じていることと思い、これからも大切に見守り続けていかなければと考えています。家族の中に苦しんでいる人があることは、家族全員の悲しみであり、私だけではなく、家族の皆が、東宮妃の回復を願い、助けになりたいと望んでいます。
宮内庁の方々にも心労かけました。庁内の人々、とりわけ東宮職の人々が、これからもどうか東宮妃の回復に向け、力となってくれることを望んでいます。宮内庁にもさまざまな課題があり、常に努力が求められますが、昨今のように、ただひたすらに誹られるべきところでは決してないと思います。」これは宮内庁より英訳としても公開されたのだが、英国で曲解されてしまう。
最後の「宮内庁にもさまざまな課題があり、―――ただひたすらに誹られるべき所では決してないと思っている」と個所で、「insistent criticism(ただひたすらに誹られる)」ところとは、「do not beliebe(思わない)」と強く否定され、庇われる言葉であったのだが、それが「英国のある新聞で、rebuke(叱責する)と誤解されてしまったのです」と、皇后は弁解していた。
これらは「誤解」というより、こうした「曲解」がなぜに起こるかは、受けて側(解釈する側)にある種の決めつけがあるからである。混みいった問題には発言しない、あるいは静かな差し障りのない言葉を用いる方が問題は発生しないが、時に踏み込んだ発言がこういう曲解を生むのを自分もたびたび経験した。言葉は気持ちの現われであるが、気持ちの無理解が曲解を生む。
美智子皇后は国内にあってもしばしば誤解を受けたことがある。昭和天皇や、今上天皇の発言が曲解されたことは耳目にないが、美智子皇后はいろいろ取り沙汰されたのは発言の多さであろう。また、美智子皇后の著作の多さも特筆もので、絵本からエッセイにいたる多くの本を書いている。ひきかえ昭和天皇の香淳皇后は、言葉も極端に少なく、著作などは一冊もない。
美智子皇后は言葉よりも文書を好まれるのが次の会見で分る。「記者会見は、正直に申し、私には時として大層難しく思われることがあります。一つには自分の中にある考えが、なかなか言語化できないということで、それはもしかすると、質問に対する私の考えそのものが、自分の中で十分に熟しきっておらず、ぼんやりとした形でしかないためであるからかも知れません。(中略)
私にとっての記者会見の意義は、自分の考えをお伝えするとともに、言語化する必要に迫られることで自分が自分の考えを改めて確認できることかも知れません。会見の望ましい形については、まだ考えがまとまりませんが、答の一部だけが報道され全体の意図が変わってしまった時や、どのような質問に対する答かが示されず、答の内容が唐突なものに受け取られる時は悲しい気持ちがいたします。」
なるほど。言葉をはっするということは、気持ちを言語化することでもあるが、発した言葉(自身の考えをまとめたもの)を自身で確認することである。これは書くという行為もまったく同じことだ。つまり話す、書くは自身の考えの表明であるとともに、自分が自分を確認するということ。ブログも同じこと。会話は目の前に相手がいるが、ブログは必要ない。
いつ、何時であれ、自身との対話が可能である。まあブログには"ファン"という常連読者が存在し、双方向のやり取りをメインにする人もいたりと、これは文明の恩恵としての便利さである。「日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば…」の兼好法師に思いを寄せると、全国通津浦々からリアルタイム発信の便利さは驚嘆に値する。
ブログは基本的に自己主張だと思っている。誰に向けて何かを語るのも自己主張であるし、相手の返信も同様に自己主張であるべきだが、どうもそれだと上手く行かないのか、ファンという人の発言は書き手におもねているようである。と、そう考えるのがよくないわけで、批判意見を述べ合う対話というより、気のあう仲間同士によるお喋りの憩いの時間であろう。
それを交流と呼んでいる。Aという人の意見にBもCもすべてが同意するように見えて、実は表面上でそのようにすることも交流の意義であろう。異なる意見を闘わせたり、互いの考えを批判をするのを日本人的交流とはいわないようだ。「バカ同士でもいいから自分の考えに責任を持って議論をしよう」というのが下手な日本人、というよりそれを好まないのだろう。
それだから日本人が無責任ということではないが、確かに責任をもって発言するというのは、互いにそういう意思がないと成り立たない。批判を許容する深い懐もいる。自分は以前、石原慎太郎を好きであったが、あるコメンターは「自分は石原慎太郎は嫌いなんです」といい、その次に「ごめんなさい」と気を使ってくれたのを読んで、ああ、彼も日本人だなと感じた。
と、同時にやさしい人だなと…。もし、自分であったら、「ごめんなさい」の言葉は付け足さないだろうと思ったからだ。「嫌いな自由もあっていいだろう」だから、好き嫌いを提示するのに気がねはいらないと思う。ただ、不思議なもので、相手が好きなものや好きな人物を批判したり、「自分は大きらい」というのは、どうも相手の気分を害することのようだ。
以前にも書いたが、中学一年のときにある歌手のファンがいて、それを批判したら血相変えて怒る女の子がいた。そのマジギレさがおもしろおかしく、だからワザとボロクソいって怒らせたりした。これを悪ガキというのか、怒るほうが心が狭いのか、その後の人生勉強から得た答は怒る人間ばかりであった。怒るには"気分が悪い"という程度も含めてである。
阪神を貶すと怒る。AKBを貶すと怒る。羽生名人を貶すと怒る。それがファンという世界なのだろう。自分も各種方面に好きな人物はいるが、自分の好きを人が貶しても何とも思わない、何の影響もない。理由は、自分の好きと他人の嫌いは無関係だからだ。ただ、中高生の頃にビートルズやベンチャーズを批判する大人や、エレキを不良の音楽と決め付ける教師には頭にきた。
なぜだろうか?一言でいえば若かったのだろう。若さは他人の批判を許容できない。「若さ」がそうであるなら、いい大人が批判にムキになるのは、大人になりきれていないということになる。まあ、怒る側は大人げないといわれようと無関係に腹が立つようで、とにかく他人からの批判を嫌がる。理性を働かせて、「こんなことで腹立つ自分はアホか?」とはならない。
理性とはそういう風に自分を客観的に眺め、感情を抑えるためにある。理屈はともあれ、他人を怒らせたり、嫌がるようなことを無用にしない方がいいと、そういう年齢になった。無用な批判はしないが、有用な批判は躊躇わない。批判が物の道理であれば、批判に立腹する人の心の浅さと切り捨てる。ただ、他人の書き込み批判にわざわざ出かけることはない。
自身のブログでの批判は、要旨の流れから有用であればぼかすことはしない。それを読んで気分が悪い人はいても、罪の意識までは感じない。ただし、捨て鉢、投げやりな批判はしないし、批判については論理的に丁寧に説明するようにしている。これは自分に対する言い分でもある。好き嫌いは感情的、感覚的なものだが、理性的に嫌いであるというのもある。
女がよくいう、「生理的にいや」、「理由云々より本能的に無理」みたいな言い方だが、それはいかにも女だからであろう。自分は男だからか自分自身に納得できない言い方はしないし、なぜ嫌なのか理由を考える。女が考えないで上記の言葉を吐こうと、異性として許容すべきであろう。確かに「女のココが解らない」と言ったところで、解らなくても許容は必要だ。
自分が理解できないことは許容できないというのは若い時分に多かった。が、それは若さゆえの未熟さ、知識や素養のなさであろう。ただ、分らない、理解できないことを考えようという姿勢の有無は後の人間のキャパに影響すると考える。解ろう、理解しようとに考えることを課した人間と、どうでもいい、と排除した人間はおそらく違いとして現れるはずだ。
考えることは何が正しいかを見つけようとすることだから、囲碁・将棋の棋士の商売道具でもあるし、世の中を何とか間違わないで生きたいという凡人の思いでもある。また、国や国民を間違った方向に進ませない国家的な命題も、思考から生まれるものである。それぞれの立場に、それぞれの思考の軽重があってしかりだ。昭和天皇は戦前は神と崇められた。
人間宣言をし、日本中をくまなく巡幸をし、敗戦国家の国民に蘇生の力を与えたのは事実であろう。あれは昭和天皇の戦争に対する責任であったろう。天皇の言葉も国民の象徴であり、いったん発すれば取り消すことのできない重みがある。となると、あらゆることを頭に入れておく必要がある。天皇の失言などあってはならないし、独特な言い回しも「天皇語」である。
また、天皇は国民を癒し、希望や活力を与える任を負っているように映るが、おそらく自主性であろう。サイパンや沖縄、硫黄島の慰霊碑にたたずんで献花もなさるが、今上天皇も今上皇后も、それが慰霊などとは思ってはいないだろう。生き残って今の時代を生きてる人たちの経験を知り、その悲しみに寄り添うことも平成天皇、皇后に与えられた使命であろう。
両陛下は傷ついた人たちの声、無名の人たちの声を熱心に聴かれている。「自分の話を聞いていただいた」、「興味をもって質問をいただいた」という国民は多い。「民族としての日本人」の記憶をとどめ、内包することが天皇である。昭和天皇の巡幸もまさにそれであった。その役割を引き継ぎ、果たしている現在の両陛下。徳仁殿下は、49歳の誕生日の記者会見でこう発言した。
「両陛下のご健康とご年齢とを考えて両陛下に過度のご負担がかからないようにとの考慮が重要と思いますが、同時に天皇陛下としてなさるべきことを心から大切にお考えになっていらっしゃる陛下のお気持ちに沿って、私を含めて周囲がよく考えて差し上げる必要もあると思います。その上で、私としてお助けできることは何であれ、お手伝いさせて戴きたいと思っております。」
その前年、48歳の誕生日においても、「私としては、陛下がもう少しお休みになれる機会をお作りし、ごゆっくりしていただくことを周囲が考える必要があると思います。この辺のことは、周囲が、陛下とよく相談しつつ…」と発言。50歳の時も、「ご高齢になられた両陛下をお助けしていくことの大切さにも思いを強く致しております。」と同様の発言である。
51歳の時は愛子内親王の登校拒否問題、雅子妃の療養も8年目の質問にふれ、どちらも長い目で見るしかないとした。この辺は、愛子、雅子のことがどうしても主眼になる。公務を単身で行う皇太子も、国民目線からすれば惨めなものだが、病気であるなら仕方がない。が、それにしても長い…。54歳の誕生日前の会見では、愛子、雅子に関するある発言が問題になる。
「やはり雅子にとっても<外国訪問が治療上も良いのであれば、そしてまた、愛子にとっても視野を広めるという意味で外国の地を見ておくことが良いのであれば、様々なことを考えて,今後ともどのような外国訪問ができるかということをいろいろ考えていく必要があると思います。実際,私たちもそのようなことをいろいろ考えているところではあります。」
問題というのは、徳仁殿下が愛子、雅子にべったりという批判だが、なにもこういった発言を取り上げなくても、べったりは誰の目にも明らかである。まあ、外国の公務が治療のためという皇太子だから、何をかいわんやである。公私混同。国民、公務よりも、家庭・妻子優先と受けととれかねない発言は、自分のお立場をお分かりなのか?と考えさせられる。