「死ぬまで生きよう」のテーマは死ではなく生である。生を美化する必要はないが、仮に美化するのなら、何をどう美化する?自らの生を美化するのは結構だし自由だが、美化の理由など大層もないだろうに。生きることは特段美しいことではないし、生きようとすることは生命の本質である。生命とは生きてることに価値があるわけだから、生きることが価値である。
死を美化するのもオカシイし、間違っている。何をどう思うのは個人の勝手だけれども、どうも「美化」という言葉自体に胡散臭さを感じる。神風特攻隊を美化するのも胡散臭い。、"御国のために散って行った英霊"などと、それこそ最高の言葉で称えたとしても、国家が国民の命を奪いことをなぜ美化する。特攻兵は死にたくないのに死んで来い、死ねといわれたのだ。
死を前提に作戦を立てる戦略というのは、いかなる国とて下策である。神風特攻ですら発案者自身が「作戦の外道」と最初から評している。その一方で、いざと成れば命を賭けてでも目的達成しようという個人の姿勢は高く評価されるが、それだからといって特攻が許容されるかどうかといえば、それは違う。特攻を「命を賭けてやる行為」というのは間違っている。
兵器(艦上戦闘機)そのものが、人が死なないことには機能しないということだ。「作戦の外道」の意味はここにある。作戦の成功そのものが「死」であり、こんな強制的命令を敢行させた国家は日本以外にはない。特攻は志願といわれているが、それは例外で99%は強制(命令)であり、志願を英雄と煽った部分もある。撃墜王の坂井三郎、岩本徹三はこう書いている。
「出撃したら絶対帰ってこられないと分かっていて士気が上がるわけがない」「特攻命令が出たら部隊の空気は目に見えて暗くなった」と、これは当然であろう。10代、20代前半の若者は、それで戦争に勝てるわけのない事を知りながら、必死に自分を納得させようとしたが、納得仕切れなかったものも沢山いた。国家によって未来を奪われた若者達の何という悲哀であろう。
故郷を捨て、親兄弟、妻、恋人たちへの思いを断ち切って出撃していった彼らを、英霊と祀ったところで何が癒されよう。誤解なきよう言っておくが特攻に殉じた兵士を批判するのではない。国を守る、親・兄弟を護る美名の元に軍部に借り出された彼らである。どれほどの効果があったというすべもないし、当時もやけっぱちで無謀な作戦というしかない。
特攻の現状を知った天皇陛下が、「そこまでせずとも、もう戦争は終りにしよう」の声を引き出すために始めたという。大西瀧次郎の言葉がある。「特攻は統帥の外道。この戦争は負ける。米軍の本土上陸前に、敗北を認め、講和をしなければならない。それには天皇の決断が必要である。特攻をやっても勝算はないが、特攻を見た天皇は、必ず講和に動くであろう。」
定かではないが、言い伝えられている資料によると、昭和19年10月、レイテ沖での「敷島隊」こそ最初の特攻である。これを聞いた天皇は、「かくまでやらせなければならぬということは、まことに遺憾であるが、しかしながら、よくやった」と述べたと言う。特攻は時代の生んだ不幸である。バカな人間が軍部の上層部にいたことも災いした。"神国日本"という驕りもあった。
多くの人が死に、建造物は破壊され、自然環境にもダメージを与えるような戦争をなぜやるのだろう?中学時代からの疑問であった。「歴史を勉強すればわかるよ」と教師はいうが、歴史は「なぜ戦争に踏み込んだか」という時代考証であって、忌避すべき戦争をなぜ人間はやるのかについて、アインシュタインとフロイトの往復書簡を公開した『人はなぜ戦争をするのか』も読んだ。
ところでこの書簡だが、あまり興味のない友人に無理やり貸してやったところ、返却されず、読んだから別にいいやと、そのままになった思い出がある。まあ、本を貸しても、お金を貸しても、相手から返却がないからといって、"今はいいや"というのはよくないと知った。緊急性なくとも、ある程度の日数を経て相手が返却しない場合、返却の催促すべきである。
相手が望まぬ本を無理やり貸したとき、相手はなかなか読もうとせず、日数が経ってしまう。望まぬ本は押し付けたり貸さない方が賢明だ。さて、『人はなぜ戦争をするのか』だが、「人間には生を望む欲動(エロス)とともに、自らの死を望む欲動(タナトス)が存在する、としたフロイトの「欲動論」を要約。死の欲動は外部に向けられると破壊欲動になることなどを指摘する。
「人間の攻撃的な傾向を廃絶しようとしても、実現できる見込みはない」と、悲観的な見解を示すフロイトだが、戦後にゴジラ映画が人間の破壊願望を満たしてくれているというコラムを目にし、フロイトの見解に同意を得た。戦争は、家族や知人や同胞など、「愛する人々」だけでなく、敵兵という「憎むべき人々」の大量の死という惨劇を体験させるものである。
つまり、愛・憎しみ・死を一体のものとして経験させるのも戦争である。フロイトは、愛と憎しみの両面をもつ「他者の死」を、自我の構造に内面化し、愛する者の死は我々に深い喪失感をもたらすが、そこには対立する二つの契機が葛藤している。彼はこのようにいう。「わたしたちにとってこれらの愛する人は、内的な所有物であり、みずからの自我の一部である。
しかし同時にある意味では見知らぬ人であり、ときには敵でもある。もっとも濃やかで親密な愛情関係のうちにも、ごく稀な状況を例外として、わずかな敵意がこびりついていて、無意識のうちに相手の死を望む動きをかき立てるのである。このアンビヴァレントな葛藤から、原始人においては霊魂の理論と道徳的な掟が生れたのであるが、現代ではそこから生れるのは神経症である。
そしてこの神経症は、正常な心的な生にたいする深い洞察をもたらすことができるのである。この文言を要約するなら、「一つは、愛する者は私の所有物、即ち私の一部であるから、私の中で他者は生きているという、死を認めない気持ち」。もう一つは、「愛する他者といえども、私の自由にならないよそよそしさ(敵対性)があり、憎しみのゆえに私は、彼(彼女)の死を望みさえする。
「現代人は無意識のうちに愛する者の死を強く望んでいる」という驚くべき逆説を提起するフロイトは、愛には必ず憎しみが含まれると洞察する。無意識だから「誰もそんなことはない。誰が愛する者の死など望むべくもない」というだろう。人間の無意識は、否定的なものを認めないので、無意識のレベルでは、人は自分が死ぬ存在であることをも認めたがらない。
つまりそれは、「現実的」なものではないということのようだ。見知らぬ人の死についてわれわれは、それを見て喜んだりする。同情したりする。無関心であったりするが、いずれにせよ、それらは死を現実体験しているわけではない。では、われわれは死という出来事を現実的に体験することがないのか。そうではない。「身内」や「愛する者」の死を考えてみるがいい。
そういう人たちの死に接して、我々は悲しみ、打ちひしがれ、自らの心に深く、死とは何であるかということ、また自分もまた死ぬ存在であるということを、現実として知らしめる。日本人は無理心中をする民族である。これは以前、子どもは神からの授かりものという西洋的崇拝心がないからと書いた。子どもは親が作ったのだから、親の所有物という考えが日本人的である。
「無理心中」を英語にすると「murder-suicide」。直訳すれば殺人自殺。相手を殺した後で自殺するということだ。先に死ねば相手を殺せない。「murder-suicide」は、なるほどである。障害をもって生まれた子どもを親が子どもを殺すと、世間の多くの人々は、「それでも親か」と激しく指弾する。が、その後で親も自殺したら、「無理心中」と位置付け理解に及ぶ。
誰も「親が子どもを殺した」とは言わないし騒がない。が、現実に殺しているのである。障害をもった子どもが生まれて、将来を悲観して殺すのは親の愛情か?つまり、悲観=愛情ということだが、そうなのか?殺した後で自殺するのは、殺した罪滅ぼしで、それしか考えられない。人を殺して自分がのうのうと生きているなどできないし、自殺は殺人の対価である。
「子どもは親の所有物」、全面的に親の責任であるという意識が感じられる。ゆえに、自分が生きて子どもだけを殺すのは、「子どもへの愛情の欠落」と意識し、また指弾されることも想定している。親が自分も一緒に死ぬ覚悟で子どもを殺すなら、「愛情からの行為」だと情緒的に許容されると考える。この考えは大いに間違っているが、結局親はショックなんだろう。
この手の無理心中の親の気持ちはさまざまあるが、障害をもって生まれた子どもは不幸であるけれども、運命として育てるべきである。子どもが将来、それは5歳か10歳か、20歳か、30歳か、いつの日か自身の障害が生きるに耐えない不幸であると感じ、自ら命を絶つのはその子自身の選択である。障害者が障害を悲観して自殺するなど、あまり聞かない。むしろ健常者の自殺が多い。
ということは、障害者は一生懸命に生きているということだ。障害児を生んだ全責任は親にあるから、すべてを親が抱え込め、というのが違うと思う。だったら不細工も親の責任だけど、とりあえず赤ん坊の頃はかわいいから、殺すなど考えもしないが、障害者は乳児期から普通ではないし、忍びない、親の責任を強く感じるのだろうが、実は親の責任ではないのよ。
育てる責任はあるけど、できたものはまずは産む責任が発生する。手足がない子どもが生まれたら、頑張って親が育てるべきだ。安易に殺すのは、親自身がショックだったり、育てることを嫌がってると感じる。殺す愛情などはまったくあり得ない。だから、愛情で殺すという考えは思い込みか、すり替えか、親自身の悲観だろうな。強い気持ちで障害児を育てた親は多い。
「愛で人を殺せる」なら、「憎しみで人を救える」というのが成り立つはずだ。2014年4月18日にイランで、殺人罪で死刑判決を受けた男が、絞首刑の執行直前に被害者の母親によってその罪を許されたのである。バラルという名の死刑囚は15日、絞首台の周りに集まった大衆の目前で、刑執行の直前にその命を救われた。母親は、死刑囚の頬を1度だけひっぱたき、その罪を許した。
この劇的な展開は、イランのみならず世界中の人々を驚かせた。母親の名はアリネジャドさんで、彼女は言う。「夢に私の息子が現れ、自分は安らかで良い場所にいると私に言った」、「それからは親族が全員、私の母でさえも、犯人を許すよう圧力をかけてきた」と話している。「あの平手打ちは、復讐と許しの中間にあるもの」、「彼を許したことで、私の心は楽になった」という。
誰もができる事ではないが、この母親はそれができた。夢に出てきた息子に従ったのだろう。よく聞くのは、憎き殺人犯が死刑執行されたとしても、気持ちが晴れたわけじゃない。納得が行き、すべてが解決したわけじゃない。処刑されても憎しみが晴れないなら、許すことも無理だ。アリネジャドさんは、処刑されても気持ちは晴れない、だから許したのだろう。
「復讐と許しの両方の意味をもつ平手一発」で、心が楽になったというのだ。「菅原さんは死にたがっていた」とは、福井大准教授による教え子殺人事件における前園容疑者の言葉だが、これは信じられない。2005年6月20日、東京都板橋区で15歳高一が両親を殺害した事件で、少年は憎しみを抱いていた父親はともかく、母親の殺害動機はまったく分からず謎であった。
少年は以下の供述で容疑をみとめた。「父親が自分をばかにしたので殺してやろうと思った。母はいつもハードな仕事をしていてかわいそうだった。母がいつも死にたいと言っていたので殺した」。母親を殺したことにイロイロな学者の意見がある。①子どもによる親殺しの場合、父親だけが中心的な殺人のターゲットだとしても、他の家族も皆殺しにすることは良くあること。
②自分に優しくしてくれる母や、祖母にしても、父親側の仲間であると考えてしまうと、両親、祖父母皆殺しを実行してしまう。③死にたがっていた母親という存在は、子どもの心を不安定にしたでしょう。もしかしたら、死にたいと語る母への思いやりの心ではなく、激しいイラつきを覚えていたのかもしれません。それが、殺人の遠因になったのかもしれません。
④母親の刺し傷の方が多いのは、両親殺しの場合、母親への加害のしかたが激しいことがある。母親との親子関係のほうが深く、それだけのことをしないと、母親殺しが達成できないから。⑤親殺しは、単に親を殺すと言う意味だけではなく、自分が親から解放されたいという思いの現われ。心理的に自分にまとわりつく母親を、何回も何回も刺しながら、心の中の親殺しを達成し、親から逃げ出そうとしていたのかも。
少年は、周囲から礼儀正しい、普通の子、おとなしい、生真面目、と評価されていた。もし彼がもっと乱暴で、「悪い子」であった場合、この事件は起きなかったかもしれない。親への文句を直接言えるような子であれば、犯行はなかったと考える。感情を抑えすぎ、ため込んでしまうことが様々な心の問題を生む。親殺しの多くは中流以上の家庭で起きている。「ワル」は親を殺したりしない。
人間に喜怒哀楽があるように、子どもは親を憎むこともある。うるさいと感じることもある。いなければいいと思うこともある。同時に親に世話にもなり、感謝もし、愛してくれていると感じることもある。子どもの心の中には、嫌いな「悪い親のイメージ」と、大好きな「良い親イメージ」が同居・融合し、嫌な部分もあっても、大切な親だと感じることができる。
この融合ができず、「悪い親のイメージ」だけが大きくなってしまったのが、親を殺す子どもたちであろう。ただ、親をころすなんて、どんなに仲の悪い親子だろうかは正しくなく、その日、その場の状況で多くの犯罪は起こる。人間の理性が感情によってコントロールできないのも、また人間の悲哀である。