「二十世紀最大の発明」が何かを、日本人が即席ラーメン、カラオケ、ウォークマンとしたが、1903年にライト兄弟が飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功したのも二十世紀である。鳥のように空を飛ぶのは人類の永遠の夢でであるからして、ライト兄弟の飛行機が二十世紀最大の発明というのは異論はない。ただ、彼ら以前にも飛行機を作る試みは行われていた。
飛行機の原理やエンジンの発明も先人の功績であろう。「発明」といえば、何やら偉人が天啓を受けて無から有を作り出したかのようにイメージされがちだが、実際の所は、それまで個々に連続的に改良発展してきた科学技術の成果の上に立ち、①新たな手法によって質的・量的に飛躍的に発展を遂げたもの、②既存の諸技術を組み合わせ、新規に生み出されたものであろう。
ライト兄弟もそれらを研究し、改良し、その集大成として実際に空を飛んで見せたのだが、航空機時代の幕を開けたという事が偉大なのだ。多くのジャンルの中で何が二十世紀最大の発明かの設問は、確たる答えがない以上相応しくないが、ある人は原子爆弾(1945年)といい、ある人はコンピューター(1949年)といい、またある人は三極真空管(1906年)という。
理由は、その後のエレクトロニクス発展の転機となったこと。かつて『ロボット三等兵』というマンガがあり、主人公のロボットの主食は真空管であった。作者の前谷惟光(これみつ)がなぜこのような発想ができたのか?実は彼の父親は『子どもの科学』という児童向け科学雑誌の主催者原田三夫で、前谷自身も東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)中退の経歴がある。
前谷は終戦後、科学雑誌の挿絵画家を経て、1951年『火星の八ちゃん』(「少年少女読売」)、『トッピ博士』(寿書房)で児童漫画デビュー。彼の出世作『ロボット三等兵』は、トッピ博士が造った人間型ロボットである。元はロボットくんと言ったが、陸軍に入隊し、二等兵より下の三等兵に任ぜられ、軍服も与えられず、星無しの赤無地の階級章を胸にぶら下げている。
臆病な性格で、常に上官にボヤキが絶えず、世界各地を転戦し、戦功をあげて上等兵やドイツ軍元帥にまで昇進するが、大体失敗して三等兵に逆戻りしてしまうというオチである。ロボットということで危険な任務に従事させられ、幾度も命の危機にさらされるが、それでも前線で戦い続けるロボットの健気さと悲哀さのバランスが、我々少年読者に微妙な思いを忍ばせた。
当時の主流であった、『鉄腕アトム』や『月光仮面』などの勧善懲悪ものとは違ったユーモアとペーソスが自分にも影響を落としている気はしている。自分の父親と同年で、同じ戦争体験を持つ前谷は、1939年真珠湾攻撃(太平洋戦争開戦)の二年前に召集され、中国、ビルマ戦線を転戦、九死に一生を得た経験から、軍隊の卑劣で非情な世界をユーモアを交え画いている。
真空管は電子機器には必要不可欠な能動素子で、その原理は、電子を放出する電極(陰極)を高温にし、その熱電子放出効果による陰極表面から、比較的電圧の低い電子を容易に放出させ、放出された電子を、電界や磁界により制御することで、整流、発振、変調、検波、増幅などを可能とする。二極真空管は、1884年にエジソンが発見し、1904年にフレミングが発明した。
二極管が発明されたイギリスを中心とした欧州では、その電極の数により、二極管のことをダイオード、三極管をトライオード、四極管をテトロード、五極管をペントードという。二十一世紀になって一般的な電気電子回路にける汎用的(整流、変調、検波、増幅など)に用いる目的の素子としては、多くが半導体に置き換えられ、真空管はその役割をほぼ終えている。
が、2000年前後から一部オーディオマニアによる真空管アンプは人気の的である。真空管自体は信頼できる優れものの素子であり、かつてはコンピュータにも使用されたが、その重量はなんと30トンもあった。トランジスタの先輩であり、軽薄短小の先鞭としてのトランジスタや発光ダイオード(半導体素子)にその座を譲った。マニアのいう真空管アンプの何が魅力なのか?
音楽は「聴く」ものである以上、それが音質であるのはいうまでもない。トランジスタと比べても信頼性やデータで勝っている部分はほとんど無いが、それでも真空管アンプの音質、音の違いとはどういうものか?感覚的なものを文字にするのは難しいが、一般的傾向として巷言われているのは、デジタル系アンプが寒色系、真空管アンプは暖色系の音といっていい。
デジタルアンプのクールでクリアーな透明感のある音も捨てがたいが、蛍光灯の冷たい色に比べて白熱灯の家庭的な温かさという比喩も当てはまるかもしれない。周波数特性的には高音域の美しい伸びやかな音がファンを魅了するが、電源を入れてしばらくしてから点灯する真空管の灯りというのも、の癒しの世界感、またアンティーク感をかもし出すことによる人気もある。
エジソンが白熱電灯の実験中に発見したエジソン効果(加熱されたフィラメントから電荷が放出される現象=熱電子放出現象)で、その特許をとったがそれ以上の実験は行わなかった。それを後にイギリスの電気技術者、物理学者の右手・左手の法則で有名なフレミングが研究・実験の結果二極真空管が発明された。テレビのブラウン管も厳密な真空ではないが原理は踏襲はある。
蛍光灯、ネオン管や、プラズマディスプレイ、いずれも真空中放電(内部にある低い圧力の気体の中での放電により、気体原子が電離してプラズマ発光が起こす)を使っている。二極真空管発明の2年後、リー・ド・フォレストによって三極真空管が発明された。電子工学の発展に寄与したことから、ド・フォレストもエレクトロニクス時代の父と呼ばれる一人である。
交流→直流の整流効果しかなかった二極真空管に対し、そこに電極を一つ追加しただけの三極管が持つ電圧増幅効果が、その後の無線通信やコンピュータも含めた電子工学の発展に大きく結びついた。1929年のテレビ以降の発明品の殆どはこの発明の上になり立っている。発明というのは閃きもあるが、試行錯誤の末に生まれることが多い。ド・フォレストもそうであった。
ところが彼はその動作原理を完全に理解していず、彼が製作したオーディオン管はガス封入管であり、本人は、「封入したガスがイオン化することで増幅作用を生じている」と主張していたが、実際にはほとんど真空だったために機能したことが後に判明した。ゼネラル・エレクトリック社のアーヴィング・ラングミュアが三極管の原理を初めて正しく説明し、大幅な改良を成し遂げた。
ド・フォレストは様々な予言をしたことでも有名で、1952年には、「マイクロ波の領域では、1つのチャンネルを複数の番組が共有できるような通信方式が工夫されると予測する(中略)マイクロ波はキッチンで瞬間的に焼いたり加熱したりするのに使われるだろう」。後の電子レンジのことだ。電気は光として照明、エネルギーとして調理、信号として通信、モーターとして運動に活躍する。
どれだけ便利であるか計り知れない。電気のある時代の暮らし、ない時代の暮らしをくらべて、人間の労働一つとっても軽減されているし、肉体酷使から解放されたことも平均寿命の延びに寄与している。薩摩や津軽から江戸まで歩くのが当たり前だった時代の人間の肉体の強さ、精神の強さは、むしろ逆に学ばなければならない。東京まで歩くなど人間技と思えぬという現代人である。
いつも思うのは、便利の恩恵に預かることで人間は弱くなっているはず。最近、なにげに40kmを歩いてみた。脚が痛くなると思ったが、スニーカーという文明の利器であるにもかかわらず、足の裏の皮が剥離し、水が溜まって歩けない状態になってしまった。水を出すことで痛みは軽減したが、歩ける状態ではなくなり、残念なことに乗り物を使うハメになってしまった。
スニーカーなどなくて草鞋で江戸までと思うと、昔の人の凄さには脱帽である。子どもの頃、電気が何か不思議で仕方がなかった。今なら「電気とは銅線という金属の原子構造の自由に飛び回っている電子に電圧を加えると、一定方向に力線という流れ起き、様々な力として働くもの」と、小・中学生に説明するが、それでも分るまい。人間は自らが分ろうとする意欲あるのみだ。
面白いことに興味をもつ、知ろうとする、それが勉強(学問)の基本であろう。知りたくもないことを無理やり押し付けられるのが学習とは思えないが、それも勉強なのか?何だか嫌々勉強させられる子ども見ると、つい可哀想だなと思ってしまう。知識は欲求でなければならないし、「勉強したくないなら遊んでていい」と、言う親のどこがいけないのか?何が間違っているといえるのか?
それでボロ学校に行くことになったとしても、その学校こそが子どもに相応しいのではないのか。偏差値40の高校にもたくさんの生徒がいるが、その子たちの何がいけないのではなく、勉強が嫌いだっただけで、みんな自分にあった学校に行ってるだけ。子どもに「勉強しなさい」というのはいい。口癖なんだろうから。しかし、言われてやるものでもないし、言っても効果がないなら諦めること。
勉強の嫌いな子を偏差値の高い学校に入れようとする親は間違っている。と、この際ハッキリ言っておこう。したがう義務もないのだし。飲めばガンが消滅する特効薬と、ハゲに塗れば毛が生える軟膏が、二十世紀最大の発明などと言われたものだが、どちらも叶わなかった。二十一世紀になってはや15年、夢の特効薬は二十一世紀中に叶うのだろうか?
今、ブログを書いてる人も、自分も、読んでるほとんどすべての人も二十二世紀を迎えることはできない。ガンは深刻だ。ハゲも病気ではないが、いっときほどではないにしろ、深刻には違いない。エルトン・ジョンは植毛に莫大な費用をかけた(費用は定かではない)し、サッカー・イングランド代表のウェイン・ルーニーも植毛をしたが、こちらは約230万円と安い。
ヘディングするときにツルっとすべるからではなく、視覚的な理由だという。アメリカのプロゴルファーで、現在賞金ランキング第一位($5,173,819)、世界ランキング第二位のジョーダン・スピースに以下の記事がある。スピースはラウンドを終える前、帽子を取ることを躊躇しているようだった。彼は明らかに気にしている。「こんな髪のラインだからね。ストレスが溜まる」と語っていた。
1993年生まれの22歳、スピースはまだ青春真っ盛りなのに、どういうわけか薄毛である。どんなに稼いでいても、世界ランキング二位であっても、いかなる事情とはいえハゲは気になるらしい。一時期、アメリカ人はハゲを気にしないといわれたが、大嘘である。ブルース・ウィルスもニコラス・ケイジも、最近は常にズラ着用で映画に出演しており、役としての必然性はない。
アメリカ人には若くしてハゲが多いようだが、理由はあるのだろうか?その前にハゲと言っても分類がある。①完ハゲ、②ハゲ気味、③M字型ハゲ。もともと毛髪が絹糸のように細いので毛量が多くても薄くみえる。したがって少し減ってもかなりハゲに見えてしまう。②のハゲ気味はスピースがまさにこれ。③のM字型はアメリカ人の頭髪の特質で、ハゲと定義していいものか?
昔から「精力が強い(男らしい)」男はハゲが多いという。医学的に証明されており、男女共に頭髪には「女性ホルモン」が関係し、頭髪以外は「男性ホルモン」が作用する。したがって、比較的ナヨナヨした男は頭髪が濃く、たくましい精力絶倫の男性は、頭部においても男性ホルモンが女性ホルモンに影響を強めるために、それが毛根を破壊した結果ハゲるというもの。
勢力絶倫男は、実は日本人より欧米人が強いとも言われている。また、肉食がメインになっているのでホルモンバランスが崩れているのがハゲが多い理由と聞いたこともある。またハゲは文明病と聞いた事があり、その証拠に未開人や後進国にハゲはいないという。これはストレスの度合いのことであろう。誰もすき好んでハゲたわけでもない。なのに、ハゲ、ハゲと嘲笑される。
世の中、さまざまな疑惑があるが、ズラ疑惑は常に話題の中心となる。汚職や贈収賄にくらべてズラ疑惑はいたって害がないし、どうでもいい疑惑なのに誰も少しは気になる。やはりどこか不自然で、どうしてもバレる命運にある。バレた時がさらにカッコ悪いので、それが着けない理由というのは懸命であろう。二十一世紀最高のカツラというのは、はやり無理がある。