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「二十世紀最大の○○」 ③

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ビートルズについて述べるならば、それこそ分厚い「聖書」一冊では済まないかもしれない。まさに彼らは「bible」となっている。「二十世紀最大の○○」という言い方、区分けは、冷静に考えると何をもってになるが、そこは美人コンテストと同様に、一種のお祭り的描写と考えたらいい。いちゃもんをつける要素はいくらでもあるが、いちゃもんつけて得るものはない。

いちゃもんにめげることなく、「二十世紀最高の美人は誰だ!」などと言い合うのもオツなもの。男は美人が好きだし、「二十世紀最高のブスは誰だ!」などはやる意味が無い。美人コンテストなどやる意味がないとの意見もあるが、それでも「ミス・ユニバース」、「ミス・ワールド」、「ミス日本」などのいわゆるミスコンが途絶えないのは、やはりやる意味はあるのだ。

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それこそ、「ブス・ユニバース」、「ブス日本」こそやる意味がない。もう30年くらい前だったか宴席で「ミスコンどう思う?」という話題になったとき、決める基準などの様々な意見が乱舞したときに、自分がなんで「ブスコンをやらないんだと思う?」と振ったことがある。明確で納得できる答えはなかったが、「露骨な差別だろ?」は一理ある真っ当な意見である。

それならミスコンとて差別であろうが、あれを区別と考えるのもなまじ間違いではない。世の中にはいいものとよくないものがあって、「いいものを区別して探す」というが、「いいものを差別して探す」とは言わない。ミスコン批判の先頭にあったのがフェミニスト達であり、過渡期には声を大にしてミスコン批判を行っていたフェミニストたちも近年は大人しくなったようだ。

『弱者という呪縛』の中で、政治学者の櫻田淳氏は次のように述べている。「……フェミニストたちから蛇蠍のごとく嫌われているのが、ミス・コンテストですね。しかし、自分の容姿や容貌に自信がある女性にとっては、ミス・コンテストは、女性が周りから評価され、社会的に成り上がっていく機会だという言い方もできるわけです。それが、なぜ、いけないのですか。

また、私には、いろいろと活躍している女性の友人がいますが、一流の仕事をしている女性たちほど、自らの女性性を伸びやかに打ち出しています」。という櫻田氏は出生時に患った脳性小児麻痺による重度身体障害を抱える宮城県出身の50歳。八戸第一養護学校中等部から青森県立八戸高等学校に進み、北海道大学法学部を卒業後、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を修了した。

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櫻田氏は、「入試や論文執筆の際、たとえ答えが分かっていて文章能力があっても、体が不自由なため十分なものが書けなかった。自分には能力があってもそれを十分に生かせる社会ではない」として、福祉政策の再考とバリアフリー社会の推進を主張した。また、乙武洋匡著『五体不満足』が巻き起こしたブームを批判し、論文「『五体不満足』を巡る奇妙な論理』を著した。

本人は、「障害者という立場に寄りかかった活動」を批判したこともあり、福祉を題材にした言論を封印することを表明、それ以降は雑誌媒体では福祉を論じていない。櫻田氏は朝日新聞の「慰安婦虚報」問題の最中、以下の的確な主張をしている。「従来、朝日新聞の論調には、「とにかく、日本のナショナリズムは抑えなければならない」という認識が一貫して反映されてきた。

この認識からは、対中関係や対韓関係でも、「日本がナショナリズムを抑え、中国や韓国に譲りさえすれば、万事丸く収まる」という発想が出てくる。「慰安婦虚報」も、こうした、「日本のナショナリズムを抑える」という意図に沿うものであったからこそ、根拠の乏しい記事が紙面に載り、その後に訂正されることもなく三十余年も放置されてきたのであろう。

しかし、「日本のナショナリズムを抑える」という盲目的な姿勢は、朝日新聞が懸念する「ナショナリズムの危険」に向き合うにはあまり役立たない。それは、アルコールの害悪に対処するために、「禁酒法」制定で臨むようなものであるからである。ナショナリズムは、適度であれば近代国家における、「国民の統合」を担保する条件になるけれども、過度であれば対外関係に無用な摩擦や軋轢を生じさせる。

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ナショナリズムに絡んで大事なのは、その「節度」を見極める議論に他ならない。加えて、朝日新聞は、「慰安婦虚報」で問われるべき事柄の本質が、「女性の人権侵害」にあると主張している。それは、「リベラル・メディア」にふさわしい見方であろう。そうであるならば、たとえばナイジェリアに暗躍するイスラム過激派、ボコ・ハラムの蛮行は、朝日新聞の論調の中では、どのように評価されたのか。」

ナイジェリアのイスラム武装組織ボコ・ハラムは、2014年4月に女子生徒200人以上を暴力で拉致、売り飛ばすことで、日本でもその存在が知られることとなった。これはいわば、朝日新聞が、「慰安婦虚報」を通じて告発しようとした「女性の人権侵害」を現在進行形で再現されたものだが、ボコ・ハラムの蛮行が世界に伝わったのは5月8日であったが、日本にメディアはどうであったか?

これを社説で取り上げたのは、毎日、産経両紙が最も早く5月11日付、読売新聞が15日付、東京新聞が17日付で続いたにもかかわらず、朝日新聞は、なんと事件露見から2週間近くたった19日付でようやく取り上げている。「リベラル・メディア」を標榜する朝日新聞がなぜに現在進行形の案件に鈍いのか?朝日は看板に偽りあり。これが朝日新聞に対する国民の疑念である。

「朝日は、慰安婦虚報問題で揺れる今が、"『普通の国』のリベラル・ハト派メディア"脱皮への好機かもしれない。もしこの好機を逃し、脱皮が行われないのなら、朝日は『化石』になるであろう」と櫻田氏は指摘する。(2014.9.3 [正論])「従軍慰安婦ねつ造問題」や「吉田調書の問題」に直面する朝日新聞は韓国・朝鮮新聞の日本支局であり、日本人の読む新聞ではない。

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朝日には中立的な記事が書けないイデオロギーが充満しているが、在日や、帰化した人が、多く入社しているに違いない。朝日は過去二度の廃刊危機があったが乗りきっている。いずれも今までの主張を翻し、自社の存続を優先させたからである。「チャライぞ!朝日新聞!」。いずれ、「集団的自衛権賛成」、「原発推進」、「靖国参拝賛成」、「憲法改正推進」を言い出すはず。

日本国憲法の改正の是非を問う全国世論調査の結果を、マスコミ各社が伝えているが、本年5月2日までに報じられた結果は、以下の図表に示すが、朝日とNHKでは、2014年から反対が増加して賛成とほぼ拮抗する傾向。安倍政権の発足と集団的自衛権の憲法解釈変更や安保法制の論議などに世論が敏感に反応し、戦争放棄を定めた9条などの改正に慎重になっているのが伺える。

朝日新聞社の2015年3月の世論調査(郵送)では、「変える必要はない」が48%で、「変える必要がある」43%を上回った。2014年に「変える必要がある」が大きく減少して、「必要はない」を下回り、2015年もほぼ同様の傾向。NHKは4月17日から19日まで、RDDによる電話世論調査を実施。「改正する必要あり」28%、「改正の必要なし」25%、「どちらともいえない」43%だった。

2013年までは、「改正する必要がある」が「必要はない」を大きく上回っていたが、2014年からほぼ同数になった。産経新聞とFNNが4月25、26の両日に実施した調査では、賛成40.8%に対し反対が47.8%。共同通信社も4月29、30日の両日に電話世論調査を実施した。それによると、憲法改正に「賛成」は46.7%、反対は42.3%だった。憲法改正の要点は何はともあれ第9条である。

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積極的な国際貢献のために、今の第9条が重荷になっていると考えるなら、もう少し9条という「リード」を緩めた方が良いとなる。他にも、首相を国会議員が選ぶとする第67条。首相を国民が直接選べるとする首相公選制にあっては、第67条を変える必要がある。その他にも条文の多くには問題点もある。国民の権利を守ると同様に、国民の義務もしかと条文に明記すべきであろう。

いずれにしても戦後70年の節目に憲法改正論議は高まってしかりだ。主婦感覚でいえば、暮らしに直接結びつかないが、このままではよくないという部分は変えて行くのが慣わしというもの。「自分たちの国民の安全、命を他国の人たちの善意に委ねていいか、このこと自体を疑問に思わない方がおかしい」と安倍首相の言うように、独立国家は自主防衛が当然である。

安倍首相の、「もちろん第9条では『自衛軍保持』を明記すべき」に対し、憲法9条を守ろうとする勢力(「護憲」とは主にここを言う)は、憲法9条が、「軍の暴走で先の戦争に突っ込み、無残な結果になった反省に基づいているので守り抜かねばならない」と主張する。どちらの言い分が正しいというよりも、護憲派の人たちは、上に記したように基本的に9条のみ躍起になっている。

それ以外はさほど意識が無いにもかかわらず、「他の改正すべき条文を改正するにしても、改憲の一連の過程で憲法9条も改正されてしまうことに繋がるから」。などとまるで駄々っ子の主張する。もう少し9条以外の憲法全般をシビアに眺め勉強もし、真摯に憲法改正論議に加わらないとダメだ。「護憲」というレッテルを剥がしてテーブルに着く必要あり。

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確かに第二次世界大戦はその犠牲者数からして、「二十世紀最大の戦争」であろう。軍人・民間人を含む日本人の死亡者数は、約300万人といわれ、6千万〜8千5百万人といわれている。 戦争は人類が起こす何よりも愚かな行為であり、それを遠ざけ、自分たちも他者も傷つかないようにしてきたのが憲法9条ということになる。人は都合のよい理由を持ち出して争いをする。

正義の戦争などはこの世にはない。正義の聖戦も都合のよい論理であるが、人間がバカであることが戦争を引き起こす。二度の大戦を経て人間は賢くなったはずだから、憲法9条の箍を緩めてもいい時代になっていると信じている。もし、次の世界大戦を起こすなら人類はとてつもない悲劇に見舞われるはずだ。9条に拘っている人たちは自分も周囲も国家も賢くなったと思うこと。

ということでミスコンに話を戻すが、「世界三大美女」というのが、一体誰がどういう方法で決めたのか?まさか投票というわけでもあるまいに…。というのは友人との宴席談義でも出たが、世界一美女も二十世紀最高の美女も、決められるはずがない。ミスコンにしたって審査員数人の中での趣味・嗜好という投票でしかない。戻ってミスコンは差別だというなら、出なければいい。

出場する女性は差別と思わないから出るのであって、何も男が止めることもない。女性が出なければミスコンなど成立しないわけだ。努力しないで得た容貌も、努力の末に得た体型もあろうし、その努力の部分、先天的な部分について、何がしかの評価を競うのは受験勉強と似た部分がある。自分は知らないオリラジというお笑い芸人の妻が学歴自慢をして物議を醸したらしい。

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オリラジとは「オリエンタルラジオ」といい、その一人の中田敦彦が慶応大学卒、妻の福田萌が横浜国立大卒であり、その福田がとある番組で、「私たち夫婦は、自分の力で学歴を掴み取ってきたという誇りがあります。努力の証明書として学歴がある」と発言したことが学歴自慢と叩かれた。自慢かどうかに関しては人それぞれだし、叩く人は自慢と感じたのだろう。

そもそも自慢というのは感じる側の思いで、何を言っても、「バカなことを言ってる奴」と思われたら、言った事は自慢にならない。本人がどういう気であれ、受け取った人間が自慢と思えば自慢、バカと思えばバカ、それだけのことで、自慢話なんてのは相対的なものだろ。香山リカのように、嘘とかすっとぼけは、確信犯なら批判されるべきだが、自慢の定義は無い。

本人が、「これは自慢です」と言えば自慢のつもりで言ったことになる。「私たち夫婦は、自分の力で学歴を掴み取ってきたという誇りがあります。努力の証明書として学歴がある」という言葉に自慢の文字は無い。あってもなくても、自分一人で何かをやってきたみたいな言い方はバカというより無知である。無知をバカと言ってもいいが、正確には無知であろう。

同じようなやりとりがマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」であった。サンデル教授が、「皆の中で、長男(長女)は手を挙げて」と声をかけると、なんと7、8割ぐらいの人が手を挙げた。サンデルは、「皆は自分の努力だけでハーバードに来てると思っているようだが、もちろん努力はあってもそれがすべてではないし、さまざまな要素がある」と広い視野で指摘した。

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「総領の甚六」という言葉がある。総領息子(跡継ぎの長男)は大事に育てられ、将来の不安がないので、弟や妹 より凡庸に育ってしまうということ。をいったものだが、サンデルは長男(長女)の利(親が後先考えずにお金を継ぎこむ)ことを言ったものであろう。とかく親というものは初めての子に力を入れるモノだし、サンデルのいうように、第一子の利は確かにある。

そういうことを含めて、「親のレールに乗ったわけじゃない。自身の意思で進路を決めて、自身の努力で学歴を得た」(福田の発言)は、無知も甚だしい。何を言ってもいいが、聴く人によっては、自慢と思う人、無知と思う人、嫌味に思う人、無関心な人、それぞれである。だから、何を言うにしても、言い逃げするのではなく、相手の反論にはキッチリ向き合うこと。

つまり、自分の発言に責任を取れということだ。相手がどういう反応をするか分らないのが雑多な人間社会だから当然と言えば当然。そういう人間が広い視点で周囲を見渡せる頭のよい人間であって、学歴がどうの、勉強が良くできた、などはすべて過去のこと。もっとも単純にいえば、学歴は目的ではなく、(何かを成すための)手段だから、それ自体を自慢できるものではない。

弁護士や医師も学歴(学問)が手段で、今さら自慢することもないが、サッカーやテニスの選手や、囲碁・将棋の棋士や歌手は、手段ではない学歴を自慢する者はいない。タレントやお笑い芸人は学歴は手段か?お笑い芸人を目指して大学に行ったのか?違うだろう?人と違う何かで、自分の優れた点を主張したいのだろうが、理性で押さえておけよ、人にいうことか?

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最高学府の東大出身者は、「東大です」というだけで様々な反応を得る。それらに適切に答えるのが頭のよい人間かも知れない。特段、無視するのもある意味知性と自分はみる。知性のなさはさまざまにみることができる。誰かが何を言った、どうしたと、その事だけをガヤガヤいうこと自体が頭の悪さ、知性のなさ示す。小田島の著書を内田樹は以下解説する。

学歴は、ワインのラベルか。誰もふれない、最後の「日本の陰険な謎」。 「学歴はワインと似ている。中身を鑑定するより、ラベルで判断する方が面倒が少ない」、「学歴は環境問題と似ている。抽象的な正義に賛成しながら、現実面では野放図なままである」――就職、恋愛、結婚、出世、人間関係から、有名人学歴スキャンダルにいたるまで、学歴という踏み絵をテーマに、縦横無尽に著した刺激的書。


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