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Channel: 死ぬまで生きよう!
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「二十世紀最大の○○」 ②

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リンゴ・スターのLudwig、Ludwigはリンゴ・スター、などの言い方はいかにも素人っぽいが、われわれ素人にはリンゴがLudwigを有名にしたように映る。さらには、ジョンがリッケンバッカーを、ポールがヘフナーを有名にしたのは間違いない。ならばグレッチはジョージ?と思いきや、正しくはチェット・アトキンスである。が、アトキンス以降のグレッチをジョージが有名にしたのも事実であろう。

グレッチのドラムを有名にしたのはベンチャーズのメル・テイラーか?始めてグレッチのロゴを見たのはメルであった。もっともベンチャーズ(カーペンターズもしかり)なんてのは、日本だけで人気があったようなもので、グレッチ社も創業は1883年と古いが、後発のギブソン社(1902年)、フェンダー社(1945年)、ラディック社(1909年)に押されて経営危機状態になる。


グレッチは当初、バンジョー、タンブリン、ドラムが主力であったが、ドイツ移民であった創業者のフレデリックが1895年に39歳で死去し、子のフレッドが会社を継いで以降、アメリカを代表する総合楽器メーカーとして成長していく。日本のヤマハも創業者の山葉寅楠(1851年4月20日 - 1916年8月8日)が、1台の壊れたオルガンを修理したのをきっかけに会社を興した。

それが今はピアノ、菅弦楽器、オートバイ、モーターボート、スキー・アーチェリーなどのスポーツ用品、オーディオ、電子楽器、半導体、保養施設などレクリエーション事業、生活リビング機器、音楽教室、英語教室、音楽ソフト事業など幅広く展開している。2008年にはスタンウェイと並ぶオーストリアのピアノメーカーベーゼンドルファー社買収には驚いた。

かくヤマハは大企業でありながら、イノベーションを作り出すことをミッションに掲げている。むか~し、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)を始めたころに当時の川上源一社長が、「楽器を売る前に音楽そのものを売りたいし、埋もれたアーティストを発掘したい」というようなことを言っていた。ポプコン出身者でビッグになった人、一発屋で終わった人、イロイロだ。

文学賞受賞者にも一発屋は多いが、この一曲、この一作にかける情熱が強くても、地道に活動するとか、他人から要請されて、それに沿って曲を作る(プロとしての適応)ことが得意かどうか、で選ぶコンテストではない。オフコース、チューリップ、チャゲ&飛鳥、長渕剛、佐野元春などは入賞どまりで、グランプリ受賞者のみゆきと世良以外は一発屋である。

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それは「イカ天」にも言える。グランドチャンピオンで生き残っているのは誰だ?コンテストというのは、その日、その場が良かったという事であって、将来性のある人間というのは、その日、その場の良さとは別であろう。少し話が反れたが、総合楽器メーカーのグレッチは、1950年代に全盛期を迎えたが、チェット・アトキンスが使用したことによるものだ。

アトキンスにならって多くのカントリーやロカビリーのギタリストが、グレッチのギターを使用し、グレッチはギター業界においてギブソン、フェンダーと並ぶ地位を獲得した。モンキーズのミッキー、マイクがグレッチのドラム、ギターを使用していたが、これは提供されたものである。1960年代後半ギター業界はフェンダー、ギブソンに二分され、グレッチは経営難となる。

2003年、グレッチはギター部門がフェンダー傘下に、2015年にはドラム製造メーカーdwの傘下となったことが発表された。さて、グレッチの代名詞となったビートルズのジョージが最初に手にした「1957 Gretsch 6128 Duo Jet」のシグネチャー・モデルの説明によると、ジョージはこのギターをリヴァプールのタクシー運転手から中古で買い取ったようである。

イメージ 2これを読むとこのギターがジョージの手に入った経緯がまさに歴史を紐解くように記されている。「1957年、イヴァン・ヘイワードはクレッチ・デュオ'57の新品をニューヨークで購入した。タイムズスクエアの近くにある小さなギターショップで、210ドルだった。さらにイヴァンは、ビグスビーのビブラート・ユニットを同じ店で購入、このグレッチに取り付けた。

4年後の1961年の夏、イヴァンは故郷のリヴァプールに戻り、タクシー運転手をしていた。イヴァンは何らかの理由で、持っていたグレッチを手放すことにした。リヴァプールのバンド、ザ・デラカードスがイヴァンの運転するタクシーに乗り込んだとき、イヴァンは自分のグレッチを買い取らないか、と持ちかけた。デラカードスは断ったが、仲間に話してみると約束した。

デラカードスでサックスを吹いていたニール・フォスターは、そのころビートルズでベースを弾いていたスチュアート・サトクリフを知っていた。そこから話が出て、イヴァンのもとにジョージ・ハリスンから電話があった。ジョージは黒の革のズボンをはいていたが、一方で丁寧な受け答えをする青年であった。ジョージは当時「Futurama」という質の悪いギターを弾いていた。

憧れのグレッチ・ギターを手に入れれば、ジョージにとってはめざましい進歩になるに違いなかったが、その時ジョージは70ポンドしか持っていなかった。イヴァンはグレッチ・ギターを90ポンドで売ろうとしていたが、ジョージがとても熱心で、このギターへとても惚れ込んでいたため、70ポンドでジョージに売り、20ポンドの借用書をつけた。後にジョージはこの20ポンドを返済している。

このギターはジョージのメイン・ギターとなり、キャヴァーン・クラブやハンブルグでの演奏のみならず、1963年の『プリーズ・プリーズ・ミー』の録音に使われた。1987年のインタビューで、ジョージはこのように語っている。「これは僕の最初のアメリカ製ギターだったんだ。中古で買ったけどよく磨いたんだよ。これを持っていることはとても誇らしいことだった。」

その後、ジョージはこのギターをクラウス・フォアマンに譲った。クラウスはベーシストであり、同時に『リヴォルヴァー』や『アンソロジー』シリーズのジャケットを画いたイラストレーターである。クラウスはこのギターを大切に保管していた。ジョージはある日、クラウスにこのギターのことについて話をした。「まだ持っているなら僕に戻してくれるかな、って聞いてみたんだ。

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僕の昔の思い出が詰まっているからね。クラウスから返してもらった後、ピックアップやスイッチをオリジナルの状態に戻したんだ。」ジョージはその後、自身のヒット・アルバム『クラウド・ナイン』のジャケット撮影のとき、このギターを持ち出し、いっしょに写真におさまった。こうして、名実ともにジョージの代名詞的ギターのひとつとなったのだ。

胸が熱くなるようなまさにビートルズの歴史のワンページである。歴史をたどることの意味は知識を持つことではない。地図をたどって見知らぬ地に足を踏み入れるように、歴史をたどる事はそれと同じこと。見知らぬ地(事)に足を踏み入れ、新しい体験をする。新しい体験は未来だけにあるのではなく、過ぎ去りし日に同じように存在する。まさに歴史はロマンである。

このことを知った後にジョージのグレッチを持つ姿を見れば、思いも深まるし、知るということはその人となり、あるいは物となりの共感を深めさせてくれる。ジョージが知人に一度は譲ったギターを返してくれといったのは、決して金に困ったわけではないし、それなら非礼と批判されてしかりだが、返却したクラウスもジョージの気持ちを理解したはずだ。

物はお金で購入するが、物はお金以上の特別な価値になっていることが多い。それを愛着と言ったりもする。「まだ持っているなら僕に戻してくれるかな、って聞いてみたんだ。昔の思い出が詰まっているからね。」と、この言葉はジョージのけれんみのない、正直な言葉であろう。われわれはシグネイチャー・モデルという形で、先人と同じ楽器にあやかる至福を得る。

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ジョージ・ハリスンが所有していた1957年デュオ・ジェットのシグネイチャーは30万~40万はするけれども、ジョージファンは値段以上の価値を体現するのだ。実際に使用したものがオークションなどに出回ることもあるが、数百万、数千万、さらには数億という価格になるし、これはもうファンというより、マニアあるいは金持ちの道楽、あるいは利殖と言う域である。

ビートルズ関連でいうと、ポールが初めてコードを覚えたギターが62万ドル(約7100万円)、「ペイパーバック・ライター」をレコーディングした際にジョンが使用したというグレッチ6120は従兄弟に渡っていたが、オークションで100万ドルの値がつくと思われていたが落札されなかった。ジョンのグレッチといえ、レコーディング一回限りでは興味の対象外だったのかも…。以下記事。

2014年11月23日にTracksAuction.com主催のオークション「Beatles And Rock 'n Roll Memorabilia Auction. November 2014」が開催されました。目玉はジョン・レノンが「Paperback Writer」の録音に使用したというGretsch 6120ギターでした。開催前は1億円を超える落札の予想もありましたが、結局は最低落札価格(40万ポンド=約7300万円)の入札が無く落札されなかった

このギターはジョンのいとこのDavid Birchがジョン・レノンからもらったものだそうで、David本人は、今回のギターよりさらに有名なブルーのストラトキャスターを所望したそうだが、ジョンは承諾しなかったという。そういう意味ではグレッチ 6120は、ジョンにとって価値の低いギターだったのかも知れない。オークションにはそういった要素も付加価値となる。

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出自が明確で、かつてはリバプールの博物館「The Beatles Story」やクリーブランドの「 Rock And Roll Hall Of Fame」に提示された実績や、ビートルズ研究の大家マーク・ルイソンのお墨付きがあるとなれば本物であるのは間違いない。とはいえ、このギターのジョンのキャリアへの貢献度と出品者側のつけた価格が折り合わなかったのか、落札ならなかった。

ジョン・レノンの楽器関連ではもう一つ目玉の出品があった。こちらの方が歴史的価値からいっても高いといえよう。ジョンが始めて手にした1本目のRickenbacker 325のピックガードとベグ(チューナー)。1972年にこのリッケンバッカーの調整を依頼されたRon DeMarinoがジョンから譲り受けたものとのことで、調整の結果要らなくなったパーツをもらった。

以前日本のジョン・レノン・ミュージアムに展示されていた同ギターは、ビートルズ現役時代と大きく様変わりしていたらしく、これを手掛けたのがRon DeMarinoであった。このギターは世間のイメージ通り黒色であるべきだとジョンに進言したものの、ジョンたっての希望で色フニッシュを変えたという。こちらは無事22,000ポンド(約400万円)で落札されている。

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他の出品物ではポール・マッカートニーがビートルズ時代に使用したピック。1964年10月16日A.B.C. Theatre(イギリス ハル)公演終了後にステージに上がった人がスタッフからもらったもの。こちらは3,200ポンド(約60万円)で落札された。同日の公演を収めた録音テープも今回初めて出品されており、そちらは2,000ポンド(約37万円)で落札された。収録曲は下記の10曲。


 1. Twist And Shout
 2. Money (That’s What I Want)
 3. Can’t Buy Me Love
 4. Things We Said Today
 5. I’m Happy Just To Dance With You
 6. I Should Have Known Better
 7. If I Fell
 8. I Wanna Be Your Man
 9. A Hard Day’s Night
 10. Long Tall Sally




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