二十世紀生まれのわれわれとしては、表題にした「二十世紀最大の○○」と言うのは結構気になったりする。順位をつけるのも難しいが、順位にはそれなりに根拠があるだろうし、その根拠を聞いたり考えたりするのがこれまた楽しい。「○○」にはいろいろな言葉が入る。「発明」、「発見」、「理論」、「人物」、「音楽」、「文学」、「事件」、「ミステリー」、「選手」…
これらのほとんどは、ジャンルにまたがるし、ジャンルごとに区分けをしないと結論を得るのが難しい。発明も発見も理論も人物も、一切にジャンル分けは必要だろう。また、最大も最高も同じ意味である。先日以下の記事が目に入った。「二十世紀最高のバレリーナ、プリセツカヤさん死去。享年80歳」。彼女はロシアのマイヤ・プリセツカヤといい、自分は知らなかった。
様々なジャンルがあるといったが、バレーについてはほとんど知識が無い。興味が無いと言った方がいい。興味のないことに人は知識を持たないものだ。二十世紀最大の発明はインスタントラーメンという説がある。説というより、これは20世紀最後の2000年、日本人に対して世論調査として行われた結果であり、2位はカラオケ、3位はSONYのウォークマンであった。
インスタントラーメンの理由として、早くて、汎用性が高くて、温かい食事が摂れるし、便利であることこの上ないといわれれば納得する。発明者の安藤百福(日清食品)曰く、「全ての人々が満足に物を食べられる時、世界に平和が訪れる」だそうだ。彼は日本統治時代の台湾生まれで、後に日本に帰化した人物である。日本人の発明にはブルーレイとかCDとかデジカメとかもある。
票は割れるだろうが、やはり即席ラーメンの汎用性、便利さには勝てないかもしれない。一体何人の日本人が即席ラーメンの世話になったであろうか?そこを加味すると、やはりインスタントラーメンは不動であろう。自分はラーメンは思いつかなかったし、ふと浮かんだのは温水洗浄便座である。ビデも便利であろうし、これは性器の、いや世紀の大発明であろう。
日本人だから日本人に目が行くのだろうが、自分に二十世紀最大の影響を与えたのはビートルズである。彼らの世界的な影響力は、バッハやベートーベンに匹敵するであろうし、それくらい彼らの音楽は音楽史において「bible」といわれている。当時思春期全盛の自分にとって、音楽以外にも様々な影響を与えてくれたビートルズは細かく研究され、「学問」にまでなっている。
それら自分の知らないビートルズを、細部までさまざま知りたいとの欲求も兼ね、改めて調べ、新たな発見を得たいとの気持ちにかられた。彼らはどうして出現したのか?どうしてビートルズになり得たのか?彼らの音楽とは何だったのか?彼ら生き様とは何だったのか?知るほどワクワクしてくるビートルズである。そのビートルズはとっくに終っているのだけれども…
ビートルズの原型は、ジョンを中心に1957年に結成されたスキッフル・バンド「クオリーメン」といわれている。スキッフル(Skiffle)とは、20世紀前半のアメリカ合衆国で生まれた音楽ジャンルで、ジャズ、ブルース、フォーク、ルーツ・ミュージック、カントリー・ミュージックなどの影響を受けた音楽で、手作り楽器、即席の楽器を使うことが多かった。
スキッフルは、1950年代にはロニー・ドネガンを中心にイギリスでブームとなったが、ドネガンの成功がなければ、ほとんど忘れ去られていた音楽である。一説によると、1950年代末、イギリスには3万から5万組のスキッフル・グループがいたものと推定され、多くのイギリスのミュージシャンたちが、この時期にスキッフルを演奏することでキャリアをスタートさせている。
ザ・フーのロジャー・ダルトリー、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモア、ホリーズのグラハム・ナッシュらは、スキッフルからスタートして後世に名を残すことになった。中で最も有名なのは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンら、後のビートルズのメンバーが在籍したザ・クオリーメンであろう。
クオリーメンの名称は、リヴァプールのグラマースクールのクオリー・バンク(Quarry Bank)に在籍していた校名から取られたが、クオリーは採石場の意味もあり、石=ロックの意味もあった。以降はジョニー&ムーンドッグス、ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ、シルヴァー・ビートルズと改名を繰り返し、ビートルズと改名するまでに複数のメンバーが入れ替わっている。
ジョンとポールの劇的な出会いは、1957年7月6日、リバピール・ウールトンのセント・ピーターズ教会が開催したガーデン・パーティーに出演していたクオリーメンのコンサートをポールが観覧したことによる。演奏終了後に共通の友人であるアイヴァン・ボーンの紹介で、ポールはジョンと対面する。その際ポールはギターを弾いて、ジョンに歌を披露した。
エディ・コクランの「トゥエンティ・フライト・ロック」、ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」、リトル・リチャードのメドレーを歌う。(John meets Paul for the first time - History.com This Day in History - 7/6/1957)。トランペットやピアノも演奏でき、楽曲の歌詞を完璧に覚えているポールにジョンは感心し、彼をクオリーメンに勧誘した。
数日後、ポールはクオリーメンへの参加を承諾した。翌1958年2月6日、ポールの紹介でジョージ・ハリスンがクオリーメンのオーディションを受ける。「ローンチー」を完璧に弾きこなした事と、2人よりも多くのコードを知っていた事でジョンに認められ、バンドに加わる。1959年になると他のメンバーは辞め、バンドはジョン、ポール、ジョージの3人だけになる。
同年10月、バンド名を「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」とした。1960年1月、スチュアート・サトクリフがジョンに誘われベーシストとしてバンドに加入する。同年4月、ジョンとスチュアートによりバンド名をビートルズとする提案がなされるが、クラブ出演の仕事を依頼してきたブライアン・キャスがその名称を嫌い、出演条件として改名を要請された。
その際、「ロング・ジョン&ピーシズ・オブ・シルヴァー」という名前が提示され、互いが譲り合う形で「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」に決定する。その後ロング・ジョンがとれ、「シルヴァー・ビートルズ」と名乗る様になった。が、同年8月の最初のハンブルク巡業における「カイザー・ケラー」出演広告に、「The Beatles」と記載されている。
ロング・ジョンとはジョン・レノンの芸名で、ポールは、「ポール・ラモーン」、ジョージは、「カール・ハリスン」、スチュアート・サトクリフは、「スチュアート・ド・スタール」とそれぞれ芸名を名乗っていた。あの吉田拓郎も入江剣という芸名を考えていたらしく、所属事務所の社長に、「バカか、お前!演歌歌手じゃあるまいし」と反対された。彼は、「吉田」も「拓郎」も嫌だったという。
「The Beatles」の名称は今や知らぬものはいない、「bible」となっているが(Beatlesフリークならだが)、いわゆるbeatと、かぶと虫などの固い昆虫beetleの造語で、ジョンとスチュアートが考えた。ジョンは尊敬する、「バディー・ホリー&ザ・クリケッツ」のクリケッツ(こおろぎ、スポーツのクリケット)にあやかり、昆虫の名前で2つの意味を持つバンド名を考えた。
当時のジョンのヘアスタイルはいわゆるソフトリーゼントで、バディー・ホリーにそっくりである。バディーといえばフェンダー・ストラトキャスターが代名詞で、1954年にフェンダー社が発売以来、60年間もその地位を形を(ヘッドは多少変わったが)守っている。1960年代にデビューしたミュージシャンには、バディーの影響でストラトキャスターを手にしたと語る者は多い。
そんなバディー信者であったジョンが、なぜにストラとキャスターでなく、リッケンバッカーであったのか?ジョンとリッケンバッカーとの出会いは、デビュー前に巡業に行っていたドイツのハンブルグである。当時のイギリスでは保護貿易政策を堅持し、アメリカ製品が国内に入ってくるのを制限していた。ギブソンやフェンダーはイギリス国内では買えなかった。
しかしながら、リバプールは貿易港であったため、船員を通してアメリカの製品が手に入った。ジョージのグレッチ(アメリカ製)も、船員が手放した中古品を買ったもので、ジョージはグレッチ愛用者チェット・アトキンス信者であった。ポールのトレードマーク、へフナー社のバイオリンベースはドイツ製だが、このへフナー社のものはイギリスでも買えたようだ。
したがって、ジョンやジョージもへフナー社製ギターを使ったりしていたが、彼らはアメリカ製のギターに強い憧れていた。そんなジョンが、ハンブルグの楽器店で見つけたのが、リッケンバッカー325だった。これを選んだ理由というより、当時彼が買うことができた唯一のアメリカ製のギターが、リッケンバッカー325だったといった方が正しいかもしれない。
それに加えて当時ジョンが好きだったベルギー出身のギタリスト、トゥーツ・シールマンスがリッケンバッカー製ソリッドギターを使っていたということもあった。当時は高価なものであり、買った当時は木目の見えるナチュラルだったものを後日、黒に塗り替えている。最初の325はリッケンバッカー社で3本試作されたうちの1本で、1958年にNAMMショーにて展示されたもの。
それがサンプルとしてヨーロッパに渡り、巡り巡ってハンブルグのスタインウェイ・ミュージックの店頭に並び、たまたま立ち寄ったジョンが見初めて彼の愛器となったということで、リッケンバッカー325とジョンの出会いは運命としか言いようがない。なぜ体や手の小さい人向きショートスケールを選んだかの理由は不明だが、写真に見る感じがカッコいいからか?
そもそもリッケンバッカー325がなぜ超ショートスケールで生産されたかというと、当時325の対象ユーザーは初心者向けであったといわれている。つまり、弾きやすいという理由でショートスケールであった。また、小柄ではあるが一部中空のセミソリッドゆえに生音は以外に大きい。生音の大きいソリッドエレキを良いギターという定義はあるが、価値観は人によって違う。
ショートスケールのハイポジションはフレットがつまって弾きにくく、リードギターで使う人はいない。ピックアップとボディの間にはゴムパッド(グロメット・ラバー)が、サスティンを押さえ、伸びの無い乾いた音を出すよう設計されている。低音をカットする装置が付いていて低音域に迫力もなく、325はフレット音痴と言われるほど場所によってチューニングが合わない。
こんな実用的価値の低い(?)ギターが新品で4~50万円、中古でも2~30万円というのも、いわずもがなジョンの偉大さであろう。ビートルズの初期の写真にみる、ジョンのリッケンバッカー、ポールのヘフナー、ジョージのグレッチ、リンゴのLudwigのブラック・オイスターカラーのセット、これらすべてがこだわりというか、自分には革命的に思えてならない。
いろんなギターを試したい、いろんな柄のドラムセットで金のあるところを見せたい(?)、彼らには一点豪華主義というのか、一途なところが見受けられた。それにしても、リンゴはなぜLudwigのブラックオイスターカラーに拘ったのであろうか?普通なら別なカラーで気分転換したいと思うが、バスドラムやタム類のインチアップをした以外カラー変更は無い。
細かい点ではリンゴはタムホルダーを替えている。Ludwig社に標準装備のレール式タムホルダーは、使うと分るがセッティングが非常にやりにくい構造で、そのためかリンゴはセッティング容易な、Rogersの「Swiv-O-Maticドラム・マウント・システム」に変更している。Rogersのボールクランプ式タムホルダーは当時としては画期的で、セッティングを容易にした。
ビートルズマニアにとってLudwigは幸運なことに、ビートルズ関連の楽器の中では恵まれているかもしれない。と言うのも、60年代であればほぼ同一の仕様で手に入るからで、これがギターやベースだと1年余りの差で、仕様が変わっていたりするが、Ludwigは守備範囲が約10年間と長期間のため探しやすいが、リンゴはどんなスネアを使っていたのかも興味深い。
リンゴはごく初期には英国Premier製のセットとスネアを使っていたが、以後は一貫してLudwigで通す。Premierといえば真っ先にアニマルズのジョン・スティールが浮かぶが、ザ・フーのキース・ムーンが有名で、現在もキース・ムーンモデルがNAMMショーに出品されている。他には、バディー・リッチ、フィル・コリンズらで、抜けのいいスネアの評判はいい。
リンゴのLudwigのこだわりは一穴主義といっていいほどで、Ludwigのドラムセットを手に入れてからは、解散するまでLudwigの同一モデルのスネアを使っていた。それがJazz Festivalモデルと呼ばれるウッドシェルのスネアである。リンゴ研究者によると、カタログでは5"×14"サイズとなっているが、当時のリンゴの写真では、Jazz Festivalは5.5インチくらいに見える。
研究者によると、ブラックオイスターの模様や、特徴あるストレイナーの位置からして、同一のスネアであることが確認されている。いいもの、気に入ったものが一つ見つかると、やはりそれでなきゃいけないようになるし、だからそればかり使い続けることになる。良い物一点の音に慣れてしまうこともある。リンゴはそうであったはずだし、ジョンもポールも、もちろんジョージもである。
もしビートルズがステージ毎に、ストラトやレスポールや335、プレシジョンやジャズベースや、ブラックオイスター以外の赤やグリーンやゴールドなどの派手なドラムセットであったなら、ビートルズという不動のコンセプトは生まれなかったかもしれない。現にビートルズが初来日した時のギターがエピフォンで、なぜかガッカリした記憶がある。これがビートルズって?