「もっと勉強していれば運命が変わっていたかも…」みたいなことをよく聞く。勉強して何がしかになっていたとしても背負った何かで苦しむかも知れない。有能な科学者になったから死なざるを得なかった人もいる。バカだから楽しく人生をやれた人もいる。結局何をしても、それなりの後悔はあるのだし、「後悔」という言葉を事前に消すことなどできないだろう。
予備校講師だった(今もだが)林修が、「今でしょ!」という言葉を流行らせたが、彼の職業上「(勉強するのは)今でしょ!」との意味だったと思うが、イチローや錦織や将棋の羽生やフィギュアの羽生、そして浅田真央やサッカーの本田に言ったところで通用しなかったろうし、誰にでも相応しい言葉ではない。アスリートに限らずやる事のない人間に、「勉強しろ!」は相応しい。
いつも勉強を否定することを書いているようだが、根本的に言いたいことは、上に記した世界になだたるアスリート達もその練習の中で、「今でしょ!」みたいな事は言われたはずだ。錦織の松岡修造がコーチだったときに言われたかも知れない。松岡ならいうだろうし、誰だっていう言葉だ。今やるべきことを今やる、考えてみれば当たり前の言葉だから、別に名言でもない。
「今日の仕事を明日に延ばすな!」を短くしたものが、「今でしょ!」である。とりあえず目標として掲げる野球選手やサッカー選手、フィギュアのスケーターであるなら、コーチは毎日、「今でしょ!」といったはずだ。さぼらせないのがカネを貰う指導者の責務である。親も子に夢を託すなら、言葉以外のいろいろなサポートのなかで、「頑張ろうね」くらいはいうだろう。
フィギュアスケートに長久保裕という名コーチがいる。1946年生まれの彼も元フィギュアの選手で、1966年、全日本フィギュアスケートジュニア選手権男子シングルで優勝の後、1967年から1971年まで、長沢琴枝とともに全日本フィギュアスケート選手権ペア5連覇の偉業がある。競技引退後は千葉県松戸市で指導者となり、1988年から仙台市の「泉DLLアカデミー」のコーチとなる。
荒川静香はしばしば宮城県出身、仙台市出身と紹介されるが東京・品川生まれの鎌倉育ち。静香という名は鎌倉にゆかりのある静御前から取られている。1983年(昭和58年)春、父親の転勤に伴い、1歳4ヶ月で宮城県仙台市に転居し、小中高と仙台市で学んだ。高校はスポーツで名を馳せている東北高校である。荒川がスケートに興味を持ったのは5歳の時であった。
なにげに遊びに行った勝山スケーティングクラブでスケートに興味を持ち、「ちびっこスケート教室」に入会した。それまでは水泳、体操、英会話、書道、そろばん、ピアノなど様々な習い事をしていたいわゆるお稽古事少女であった。そして小学1年生のとき、オレンジワン泉(現・アイスリンク仙台)で長久保裕の指導の元、本格的にフィギュアスケートを始めたのである。
オレンジワン泉を本拠地とする「泉DLLアカデミー」には、長久保裕の指導を受ける田村岳斗、本田武史がいた。二人は東北高校の先輩・後輩で1996年の全日本シングルでは後輩の本田が優勝、田村は二位に甘んじたが、翌1997年度では田村が優勝(本田は怪我で欠場)した。このとき東北高校1年だった荒川は女子シングルで優勝をした。2位は一歳年上の村主章枝であった。
前年度の全日本では荒川はSPで一位になりながらもSP三位の村主にフリーで逆転され、優勝村主、荒川は二位に甘んじた。伊藤みどり引退後、村主・荒川・安藤・浅田と続く女子フィギュアだが、荒川と村主のバトルは熾烈を極めた。全日本フィギュア女子の一覧表で見ると、1997年・1998年連覇後の荒川の優勝はない。この時期の荒川の悔しさはいかなるものであったろう。
そうしたなか、2005年12月に行われた翌年2月に行われるトリノオリンピック選考会を兼ねた、第74回全日本フィギュアシングル女子で荒川は三位に終る。優勝は村主、二位は浅田真央であった。7年間も全日本の優勝から見放されていた荒川が、2006年トリノオリンピックで金メダルを取ったのだから分らない。同じ代表の村主は四位、安藤美姫は十五位の成績だった。
我々は結果だけで判断するが、荒川の苦悩は想像できるし、この金メダルの重みが彼女にどうであったかも想像は可能だ。それに引き換え村主の悔しさも想像できるが、村主は明石家さんまに当時の心情をバラされてしまった。トリノオリンピックから8年後の2014年6月9日、毎日放送「明石家電視台」でのこと。その時のゲストはフィギュア男子の織田信成と町田樹であった。
さんま: 「俺ね、あるフィギュアスケートの選手といっぺん飲みに行ったことがあるんですけど、もう一人の女子の人をすごい嫉妬してはって、あれはあの得点は入るはずがない、私のほうが良かったんだ言うてウォンウォン泣かれた日があるんですけど…」
織田: 「え~?ど、どなた?」
さんま: 「名前言えるか!アホ!」
村主自身がトリノオリンピックの後、「さんま御殿」に出演し、その後打ち上げに言ったと当時話していたので、おそらくその時の事と思われる。まあ、女の嫉妬だから荒川にも村主に対する嫉妬はあったろう。ただ、荒川は最後に勝って笑った人だ。村主はいろいろ問題があるのか評判がよろしくなく、解説などに呼ばれることもない。なぜか村主に対する悪評は多い。
荒川を憎んで無視し認めようとしない。中野友加里には練習の妨害をし、佐藤夫妻から叱責を受けるも謝罪せず勝手にコーチを変更。安藤にワザとタックルして怪我をさせ謝りもせず、出産には上っ面の祝福。浅田にはキムと比較して嘲り、団体戦敗因の戦犯責任をなすりつける。これら真偽は定かではないが、マスコミ露出のなさが人気の無さをものがたっている。
女の嫉妬というが、男にも嫉妬はある。ただ、男は理性を働かせてそういうモノを追いやろうとするし、嫉妬するなど無様なダメ男と強く自分を戒める。女にだってそういう強い理性の働きかけはあるし、「人に嫉妬するなんて女のやることではない」という風になればいいだけの話。「人を憎む、嫉妬するのはよくない」と思いながらも、情念が災いし、コントロールできないのだろう。
村主に限らず、自分が打ち込んできたある何かが結果的に人を嫉妬する要因となっているなら、「やらなければよかった」と思うかもしれない。しかし、人との比較を止め、競技は自分の向上心の闘いと思えば嫉妬もなくなるはずだが、現実に競技は他人との戦いである以上、感情の起伏に左右される。それを戒める言葉として、「自分との戦いです」と競技者はいう。
誰もが目指すものは、自分の感情・欲望・邪念などにうちかつ「克己心」であろう。村主章枝(33)は2014年11月13日に、日本スケート連盟に引退届を提出、受理されて同日、東京・岸記念体育会館にて現役引退会見を行った。28年の長き競技人生を、「寂しい思いもあります」と言ったのをみると、完全燃焼での引退でもなさそうだ。これ以上生き恥を晒したくないもあったろう。
彼女はトリノオリンピックでメダルに届かなかったことが、その後の自身の競技の目標といい、「オリンピックという場所に魅了され、魔法にかけられて、自分に足りなかったものを発見するためにはオリンピックでなければ解決できないとこだわっていた。」といった。目標や夢を高く設定するのはいいが、オリンピックは全日本の予選通過あってのもの。美学と現実は同居しない。
競技者というのは自分を客観的に見れない。自分の技術や能力が落ちたとは思えないもの。長くやっているほど技術が向上するのが人間(の能力)と、素人には思えるがそうではないようだ。走ったり飛んだり跳ねたりするなら、体力的な衰えは影響するが、ゴルフにしても、5年より10年、10年より20年やってる方が技術を極めれていると思えるが、決してそうではない。
囲碁・将棋なども長くやってる方がさまざまな点で有利なはずなのに、若い脳とくたびれた脳とでは鮮度が違うのだろう。多く詰め込んでいるほうが得というのではない。やはり気力という眼に見えないところの衰えが大きいのだろう。横綱の引退で、「気力、体力の衰えはいかんともし難く…」が定番言葉だが、相撲も体力だけではないし、頭も使うし、気力も重要なのだ。
「大男総身に知恵は回りかね」といった。これは相撲取りをはじめ、体が大きく間抜けな男をからかっていう言葉であるが、体が大きいからと言って、それだけで威圧されるものでもないという警句にもなっている。言われた大男は、「小男の総身の知恵も知れたもの」と言い返せばよい。これと同じ意味で、「独活の大木(うどのたいぼく)」という慣用句もある。
独活(ウド)は食用の野草だが、木のように高く成長するものの、茎が柔らかすぎて使い物にならないことから、体ばかりが大きくて役に立たないことをいう。反対の語句として、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」というのがある。「後悔先に立たずって当たり前」という表題で書き始めたが、これに対義する慣用句は、「終わりよければすべてよし」かもしれない。
つまり、人間は結局どう生きても選択しなかったことへの未練や悔いはあるし、そうはいっても道が二つあったらどちらかを選ばなければならない。二人の異性と付き合って楽しむのを、「二股かける」というが、おモテになる男(女)なら、三股も五股も珍しくない。今日はナオコ、明日はトモコ、次の日はカヨコと、別に器用な人間でなくとも普通にできるが嫌悪する奴はいる。
「そんな器用なこと、オレには無理だ」などというが、今日は日本そば、明日はラーメン、その次はカツ丼というように、毎日同じものでは飽きるだろうに。というと、それは違うという。一夫多妻制の文化圏は、人間の本性を見抜いているが、キリスト教は禁欲によって治安を維持し、だからみんな陰でナニを致すのだ。反抗の美学、違反の刺激も人間のエロスである。
テニスやゴルフにコーチは重要といわれる。野球やサッカー、卓球にもチームコーチはいるが、個人で雇うコーチはいない。コーチの重要性がもっとも高いのはフィギュア・スケートではないだろうか?2010年のバンクーバー五輪女子フィギュアスケート。この大会で唯一人、最高難度のトリプルアクセルを成功させながら、なぜ浅田真央は銀メダルに終わったのか。
現地で取材したスポーツジャーナリスト生島淳の疑問から審査方法を検証、勝利の戦略を自著『浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく』で提案した。生島はキム・ヨナが金メダルを取れた理由を、高得点が出やすい演目を作るコーチ、選曲から衣装、メイクを担当する振付師の重要性に着目。フィギュア界を支える経済事情に視野を広げて考察している。
バンクーバー五輪後、浅田はフリースケーティングの曲を新世代の振付師に依頼し、メイクも一新した。羽生結弦はブライアン・オーサーコーチについて一年余りで目を見張る進化を遂げた。ロシア功労コーチ、アレクセイ・ミーシンは、フィギュアスケートにおけるジャンプの重要性を指摘する。「私の今までのコーチ人生の全ては、教え子たちに何よりもまずジャンプを教えたということ。
トランジション、足さばき、顔の表情等、私が言うところの『リボンとヒダ』によって、別のフィギュアスケートへと我々をいかに誘惑しようとも、ジャンプは、シングルスケートにおいて重要なものであり、最も面白いものと考えている。四回転ジャンプ無しで上手くやることや、例えば男子世界チャンピオンになれることは理解している。でもそれはたまの例外だ。」
フィギュアスケートの勝敗は、コーチと振付師によって決まる?という世評は偽りの無い事実であろう。荒川、田村、本田、鈴木明子を育てた長久保コーチは、「フィギュアスケートを、スポーツとして一生懸命やります。なんていうような子どもは絶対にダメ、伸びません」という。彼は指導する上で、遊びの要素を取り入れており、それが何より大切だという。
「楽しくなくて何かが続けられますか?僕はスケートを子ども達には一生懸命に遊び感覚を持ってやらせます。でなかったら止める子が多いでしょうね」。彼は根性主義や熱血指導など頭にない。ゲーム感覚で楽しく世界へ跳ぼうという考えである。「荒川は遊びの天才でしたよ。ちょっと目を離すとすぐに何かで遊んでいる。"アクセル三回続けて跳びっこしよーよ"みたいに…」
そういう子どもの心を殺さず生かして、上手いことそそのかすのがコーチの役目であろう。なにしろ遊びたいサカリの少年・少女達である。「どんなに才能があっても張り詰めすぎる子はダメですね。子どもはそれでキレてしまいます」。長久保がいうように、どれだけ好きにさせるかが指導者として大切だし、好きだから一番を目指すし、目指したいのが子どもの心であるのはよくわかる。
コーチがうるさくいい、家に帰ればまた親がうるさく言う。親は子どもに勝手な期待をし、子どもは親から勝手な期待をされてしまう。将棋の羽生善治名人はこのように言う。「宿題や勉強は支障ない程度にやっていた、という感じです。最初から将棋に対して、" これは面白いぞ" というより、よく分らないことが多く、"よくわからないけれど面白い"と思いました。
親が必死にやらせるものの本質的な面白さを、子どもは理解していない。だから上手く行かないと親のせいにしてそれで自尊心をカバーする。こんな子はダメだ。親が頼んで何かをやらせる子どもは、「やってやってるんだ」と優位に立ち、都合の悪いことろだけ親の責任にする。こういうバカげた子育てをなぜやる?なぜこれが良くないか分らない?
子どもに遠慮しながら勉強をしてもらっている親の立場は、親子にとっての主客転倒である。羽生名人は言う。「通った将棋道場に子どもが多かったのがよかった。子どもが多いということは、自分にとっての、"学校以外の遊び場の1つ"という感じだったんです。将棋道場が…。非常に通いやすかったし、子どもにとって楽しい場所だったんですね。」
羽生の親は将棋を知らない。母親は将棋道場に羽生を連れて行き、そっちのけで買い物を楽しんでいただけで、道場の成績など興味もなかった。すべては子ども自身の問題である。「親の干渉や期待がなかったのが良かったと思います」。放っておいてやる子、やらない子、将棋も勉強も遊びと感じる子が伸びる。親の余計な口出しは、子どものためというより、親自身のため。
うるさい親だったら羽生名人は存在しなかったかも…。何事も結果がものがたる。よいと思ってやったことがダメだったり、親が何もしなくても本人が自力で伸びたり。だから、後になって親が後悔してもダメ。本人が何を後悔をしてもダメ。後悔は後からついてくるもの。後悔が先にあってたまるか!である。