「羞恥心」は、自我や自尊心の延長にある概念で、自尊心の強い人は実は臆病であったりする。なぜって、自尊心が傷つくのを怖れ、それを隠すために尊大に振舞ったりもする。特別屈折した心情ではないし、人間の中に普通にある感情だろう。肩で風を切って与太歩きするヤクザのチンピラが実は小心の臆病者であったりする。人は見かけによらないは結構ある。
確かに自尊心の高い人は尊大に見える場合が多いが、本当のところは分らない。強い羞恥心の持ち主は臆病風に吹かれて見えるが、羞恥心の塊と思えた女性が一転して大胆、というのも少なからずあった。女は羞恥、男は豪胆というのはどうなんだろうか?男の方が羞恥心が強いという場面も少なからず見た。羞恥心はしばしば罪悪感と比較される感情である。
羞恥心を感じやすい人は、罪悪感を持ちやすい人より攻撃的で、反社会的であるとする研究もあるが、なぜなら羞恥心は、外部への帰属、他者への強い焦点、復讐といった感情や行動を発生させる屈辱感を伴い易いからである。逆に羞恥心をあまり感じない人はその反対の傾向にあると。羞恥心にもいろいろあるが、大勢の人の前で自分が発言をする場面を想像されたし。
この時、ほとんどの人は極度の不安を感じ。うまく発言する事が出来るだろうか。何か言われないだろうか。そういう不安が羞恥心と形を変える。しかし、こういう場合にあって極度の不安・罪悪感・羞恥心を感じない人がいるならば、大勢の前で話す事に慣れている人なのかもしれないし、「自分」をしっかりと認識出来る強い自我を持った人かも知れない。
慣れないから不安に陥るが、慣れたら不安は解消する。スピーチに限らず、多くの事は慣れたら不安はなくなる。マイナビが『20代の本音ランキング』という調査のなかで、「自分が人見知りだと感じる瞬間」を聞いたところ、「初対面の人に自分から話しかけられない」と答えた男性が何と47%に上っていた。さらに、以下のような回答も得られた。
・微妙に知り合いの人でも、2人きりになると話せない
・顔見知り程度の人と世間話をするのが苦手
・買い物中に店員に話しかけられるのが苦手
などという人も少なくない。それゆえ、自分から何か話さなければいけない状況をつくることを極力避ける傾向がある。システム会社に勤務しているS氏(25歳)は、人見知りで世間話が大の苦手である。そのため、仕事で上司や同僚と取引先まで移動する時間が苦痛で仕方がない。先日もオフォスから電車で約1時間半、職場のエンジニアと同行する機会があった。
「同じ車両で横に並んで座って、沈黙が続くのは辛いです。ただ、スマホを見て時間つぶす訳にもいかない状況であるし、そこで世間話を切り出してみたのですが、すぐに話題が途切れてしまいました。その後の到着までの時間がとても長く感じられ、どことなく漂う気まずい時間をどうしていいものやら大変でした。」
「あがり症で人と面と向かって話すのが苦手な人間」が、日本最大の流通グループのトップに君臨し、その「話し上手さ」は財界でも評判である。その人は、国内最大流通グループ、セブン&アイ・ホールディングス会長兼CEOの鈴木敏文氏である。鈴木氏は今でも初対面の人と話すときはあがってしまい、一対一で雑談をするのが苦手という。
「30分も話しているとネタがなくなり、何を話していいかわからなくなってしまう」というから、不思議だ。それでいて、「話し方の名手」としての顔も持っている。社内外で多くの講演・講話をこなす。事前に原稿を用意せず、ぶっつけ本番で臨み、前置きせず、一気に本題に引き込む語り口には定評がある。あがり症でも、人見知りでも、話し下手でも成功できるようだ。
韓信が街の若僧どもの挑発を受けずに股をくぐった時、「なんと、臆病者よ」、「腰抜け」、「恥も知らぬ男め」などと罵詈雑言をあびせられたが、韓信はひと言も発せず、表情を変えることなくその場を立ち去った。韓信は鈍感で恥知らずな男ではなく、無駄な労力を惜しんだといわれている。師でもある栽荘にその時の心情を打ち明けている。「恥は一時、志は一生」のようだ。
日本の武士道は「命より名を惜しむ」世界だから、こういう屈辱には耐えられない。それを知ってか武士に股をくぐれなどという町人・農民はいないが、上の「韓信の股くぐり」と同じ、『神崎与五郎、堪忍の詫証文』というのがある。元禄15年3月、神崎与五郎は、大石内蔵助の内命を帯びて、京から江戸へ向かった。内匠頭に仕えて5年、五両三人扶持の微禄ながら誠実の士であった。
お家断絶ののちも内蔵助の任あつく、堅実な人柄を見こまれての出府であった。与五郎は道中を急ぎ、箱根山のとある茶屋でしばしの憩いをとっていた。そこへ馬方がひとり入ってきた。街道一の暴れ者として人々に嫌われている丑五郎というならず者である。「お侍さん、馬はどうだね」と、丑五郎に呼びかけられた与五郎は、何気なく「わしは馬は嫌いだ」と答えた。
「なに!侍のくせに馬が嫌えだと、ふざけるねえ、ただの雲助とはわけが違うぜ!」罵ったかと思うと、いきなり与五郎の胸をどんと突いた。思わず「無礼者め!」と刀の柄に手をかけた与五郎だが、(いや待て、たとえ雲助一人でも刀にかければ何かと取調べがあり、江戸入りが遅れる)と思いなおし、「いや、わしが悪かった、許せ」と大地に両手を突き詫びた。
ばかりか与五郎は、丑五郎のいうままに詫証文まで書いた。事件の経緯は史実ともなんとも言えぬが、与五郎の自筆の証文が現存している。後に神崎与五郎が赤穂事件の四十七士の1人と知った雲助は、深く後悔し生涯神崎与五郎の墓守をしたという。赤穂浪士の解釈は日本人と西洋人とではまるで違い、ロシア人で海軍士官のゴロウニンはこう述べている。
「『恥辱』が祖父から曽孫にまで伝えられて"復讐の義務"を果たすなどバカげているとし、現今では恥辱も早々に忘れられるようになったようだ」と、恥辱に対する復讐を忘れた武士道が廃れたと証言している。ゴロウニンが日本に来たのは幕末で、その頃すでに武士道は風化していた。人間にとって不自然で脆弱な規範の多い武士道はそうなる命運であった。
「恥辱を忘れた武士道が廃れた」というのは言いえて妙だが、武士道精神を賛美し、肯定した三島由紀夫は、「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東に一角に残るであろう」と書いている。三島のいう日本人観にとって、これらは羞恥の極みであったろう。上の言葉は彼の自殺の4ヶ月前、なくなる日本を見るに忍びない三島は、だから死ななければならなかった。三島には『羞恥心』と題するエッセイがある。その中で彼は、「日本では、戦後女性の羞恥心が失われた以上に、男性の羞恥心が失われたことを痛感する。私自身が知らず知らずの間に時代の影響をこうむって、男の羞恥心を失いつつあるのである」と述べている。
彼のいう「男の羞恥心」とは男らしさの崩壊であり、男の羞恥心の欠落は女の羞恥心の薄れと平等主義がもたらせたものとしている。つまり、女の羞恥心の欠落に男が迎合したということ。淫らな女を戒めてこそ男であると三島は言う。彼がエッセイで予言した、「男女の中性化の時代」は男が女装して面白がる時代にある。三島の14年目の11月25日は間近である。
画面に現れると即座にチャンネルを変えるのが、マツコ・デラックスとジャパネット・タカタのCMである。理由は自分の中にある。「男が女装して何が悪いの」と言ってた時代は過去のもの。それを認めてた世相である。それにしても「男が女装して何が悪いの?」と問えるのは芸能人、もしくはその手の飲み屋の特権で、一般社会の勤務ではあり得ない。
だから、彼らは自分の居場所が芸能界な訳だから、それなら何ら問題はないということ。一般企業のサラリーマンでも女装愛好家はいるだろうから、それは公私で区切ればいいこと。まさか、女装で仕事に行く事はない。嫌悪感を与えるなら、文句を言う前に与えられないようチャンネルを変えれば済むことだ。ジェットコースターが嫌なら乗らなきゃいい。
今の時代に女装が羞恥心とは自分も思わない。あったらやらないし、ないからやってるだけのこと。だから、ない人に「羞恥心」ないのかは言葉の無駄。バカにバカと言って起こる奴は基本バカでないように、「うん、バカです」という人には言葉の無駄だ。また、三島は「羞恥心は微妙なパラドキシカルな感情である」とも言っている。どう逆説的なのだろう?
「羞恥心」を抱いている時の人間は、あたかも罪悪感のようなナルシシズムを抱いているかもしれず、「憎悪」と「愛」とのアンビヴァレンツ (両面感情) を隠しているかもしれない、という説明はよく分るし、納得できる。女がある状況で、恥ずかしくはなくとも、恥ずかしいと思い込むことによって、ナルシシズムを得る事は大いにあり得る。実際そのように行動してる女は多いはずだ。
「憎悪」と「愛」も同じことが言える。斯くも「羞恥心」は、人間の深層における心地よい隠れ家のようなものであろう。古人はコレを称して「嫌よ、嫌よもいいのうち」と悟っている。しかるにこんなものは、本当の「羞恥心」にあらずと誰が言える?「羞恥心」は体現者の感情であり、みだらに他人如きが越権するなかれ。女は男の前にて知恵者であるからして、羞恥演ずる也。
羞恥心なき女と、羞恥心ある女とどちらがいい?などと男に聞くだけ愚問である。美人なのに謙遜する女がいる。それが本心なのか、作為なのかは分る、本心である場合は羞恥心に思えるが、作為である場合は虚栄心。以前、友人が「わざとら心」という造語を使っていた。つまり、「わざとらしい女」が多いという意味で、称して「わざとら心」と言う。
美しい花でさえ引け目を感じて恥らうというのが、日本的である。これが「花も恥らう17歳」の語源だが、近年は12歳くらいに下がったかもしれん。正確には「花も恥らう乙女」と言う。「おとめ」は「おとこ」から派生した対語だが、かつては処女を意味した。「乙女心」は死語だろう。コレだけ情報化社会にあって、「乙女心」を維持するのは至難の技。
人に「美しい顔」があるように、「美しい心」もあり、「恥ずかしい心」の持ち主もいる。「顔」は見えるが「心」は見えない。それは時に現れる。自分の中にもあって、時に人前に現れるだろうが自分には見えない。なぜ人の心は見えるのに、自分の心は見えない?答えは簡単、見ようとしないからだ。「美しい心」はともかく「恥ずかしい心」は見なければいけない。
自分の中の恥ずかしい心をどうすれば見れる?人前に出される前に現れないようにできるのか。自分はこう考える。恥ずかしい心を寸前で止めるには、恥ずかしい心が何かを分析する。卑しさ、身勝手さ、醜さ、貪欲さ、ズルさ、意地悪、卑怯、倦怠、横着、などと把握し、理解して自身に居座るそれらを嫌悪する。人のそういう心を嫌悪するだろうから、自分の心も嫌悪する。
そういう感情が沸き立つ前に歯止めをかける。「つまらん欲をだすな」、「見栄をはるな」、「自慢をするな」、「カッコつけるな」、「横着するな」、「意地を張るな」、「相手を見下すな」、「相手を思いやれ」、「卑怯な振る舞いをするな」、これらを自分に言い聞かせている。「徳」のある人は言い聞かせなくても自然にできるのだろうが、それは無理というもの。
人間だから腹の立つ事もあるが、すべてに我慢をするのがいいとは思っていない。「いい人」ぶって自分に無理する事はすべきではないが、その無理の度合いがだんだんと広くなっていく。30年前には看過できないようなことが、10年前には何でもなくなり、10年前に腹が立つようなことが、こんにちでは許せるようになる。それを"人の成長"と呼ぶのだろうか?
大人になっていくとは、そういうことなのだろう。ある20代の女性が幼児に「おばちゃん」と呼ばれてむかつき、「おばちゃんじゃない、オネエチャン」と言い直させている。子どもの他愛ない言葉に目くじらを立てる幼児性、こういう光景はあちこちに見れる。もしその幼児が、「しょうもない事で目くじらたてないの、ガキんちょだね~」と言われたらどうする?
大人は子どもをあやせてこそ大人だ。親が子どもにむかつくのも同じこと。"あまりに大人気ない"という言葉は親にも当てはまる。自分は小学高学年で、母親の言動を見下していた。それはもう、親の体をないしてはいないということ。以前、中国を支那と呼ん石原都知事に「支那と呼ぶな」と楯突いた中国。中国は「China」。古代インド人が中国を「シーナ」と呼んだ。
秦の始皇帝の名声がインドまで届き、「秦」の音である「Chin(シン)」の後ろに母音の「a」がくっついて「China(=シーナ)」と変化したもの。それが英語のチャイナ(China)となる。日本に支那の語が入ってきたのは江戸時代で、新井白石が「支那」と表記した。このように支那という言葉は単に音訳された外来語、差別的意味はなかった。中国の怒りは戦勝国の奢りだろう。
戦争好きの中国が、いちいち日本に干渉し、あるいは仕掛け、「平和憲法を維持せよ」なんか余計なお世話。こういう恥知らず国家に怒りをもたない方がどうかしている。日本は戦争のない国、戦争を放棄した国家だが、それをいいことにチャチをいれる中国・韓国のような羞恥国家には、断固精神的な戦争を廃さない。現行憲法下で日本のとるべき態度はそれしかない。