フェミニズム(英: feminism)とは、女性解放思想に基づく社会運動の総称で、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性差別に影響されない男女平等社会の実現を目的とするが、女性差別は女性自らが選択できないものだから、女性が自ら選択したなら専業主婦であろうが、社会で男と対等に働こうが、露出の高い刺激的な洋服を着ようが、自分の選択である以上自由。
そうした根本理解のない自称フェミニストは、自分たちの理想とする女性像を押しつけるが、これでは女性から支持されることはない。自称フェミニストの多くは孤立し、男といい合いすることで何とか体裁を保っている。彼女たちは男に媚びる女性をもっとも嫌うが、夫に寄り添う女性を弁証法的にいうなら、「夫に従属(中心となるものにつき従う)することで、逆に夫を隷属させている」。
こうした難しい論理を理解せずとも、本能的にそういう特性をもった女性は、男が何を喜びどういう餌を好むかを分かっているからか、「男って単純よね。弄んだりじらしたりすると可愛いくて…」などというが、悪女でもなんでもない。「俺はいつも女に弄ばれ、いつもそれで終わりだ」などの愚痴男には同情するが、相手はその気がないのにあると思い込むのも問題か。
「すべてを自由に選択できるのが女性の権利」と主張するフェミニズムは衰退し、昨今ではフェミニストと自称することが羞恥な時代となっている。女性に支持されない結果、彼女たちは悲惨な生涯(?)となる。似非フェミニストたちの罪は、他人を攻撃することも自分の思想を押し付けることもない普通に活動するフェミニストに対し、社会的偏見を助長させる点においても悪質である。
テレビの討論番組に席を設けられてはいても、完全にイロモノとしてオモシロがられる存在と成り下がっているが、男を敵に回すことが生き甲斐という生き方を引っ込めることはもはやできない憐れさを感じてしまう。「生涯独身でいるのと結婚するのとどっちがいい?」てなことを聞かれて真面目に答えたことも若き日にはあったが、こんなことはどっちもやってみなければ比べようがない。
それでも無節操に答えたりもしたのは若さゆえの無知であった。一度結婚した後に離婚をし、「やっぱり一人がいいわ」という人には説得力がある。話を聞くだけでも男といることの面倒臭さが伝わってくるが、同じ離婚であれそうでない人は、別の相手を探したり見つけて再婚したりする。結婚に離婚はつきもので、“愛情がなくなれば離婚をすべき”は、エレン・ケイの論法だ。
愛情がなくなるばかりか顔をみるのも嫌という夫婦もいるが、同居だからそうもいかず、まさに地獄の日々。「恋愛時代はよかったのに…」、「こんな人とは思わなかった…」などといっても始まらない。たとえどんな成り立ちから結ばれたにせよ、結婚した以上は本人の責任である。嫌になった相手をあげつらい、悪口をいって癒されたところで、死ぬまでそうしているわけにもいくまい。
ゆえあって離婚をし、社会の冷たい視線をものともせずに生きた佐藤愛子は、20歳で見合い結婚した夫は医師であったが薬物に溺れ中毒となり別居、二人の子どもは婚家が引き取る。このころから文学の素養があったようで、2度目に結婚した夫の会社が倒産し、当時40代にして彼女はその借金を背負うことになる。その顛末を題材に書いた小説、『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞。
時代の労苦は想像するしかないが、「あの時は40代だったからやれたんです」と佐藤はにべもない。強く逞しく生きる人は、女性にひとしおであろうか。夫に依存していれば楽でいいというではなく、依存を強いられた時代が彼女たちをそうさせたのであって、依存心希薄な女性もいたようだ。佐藤愛子にはそれをしかと感じる。11月で96歳になる彼女は、『九十歳。何がめでたい』を著した。
母親に苦悩した少年期、彼女の言葉が支えになったのを覚えている。以後、佐藤愛子の名は頭から離れなかった。自分には生き方の糧とする五賢人がいるが、佐藤愛子はそれに加えて、「恩人」といえる。佐藤は借金返済のためテレビ出演・全国講演を遂行して戦後の世相の乱れ等を厳しく批判したためか、「憤怒の作家」などといわれ、「男性評論家」と呼ばれていた時期もあった。
彼女は小説のほかにも、身の回りの事件や人物についてユーモラスに描き綴ったエッセイも多く、「娘と私」シリーズがある。 男の子にはあたたかな母性が必須である。母の死を知らせたある人からのメールには、「母上のご逝去、男子にとっては寂しい限りですね。」とあった。自分たち母子の事情を知らぬがゆえの真っ当な言葉であり、差し障りない言葉を返す。
「ひとりで生きる」といっても佐藤の生きた時代と今とでは世相が大きく違う。こんにち「離婚=出もどり女」という烙印が消えたのは喜ばしい。離婚は決して人生の汚点ではない。独身女性への冷ややかな視線も以前より少ない。「結婚=勝ち組」、「非婚=負け組」などとバカなことをいう者もいるが、「人生、覚悟があればそれでいい!」とは、佐藤愛子らしさが漲る言葉。