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独身を貫く覚悟 ②

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年頃を迎えた自分は独身を貫く意思もなく、理由もなく結婚は自然なことと考えていたが、独身でいたい理由があれば貫いたろう。「結婚は全く考えない」という女性と話し込んだことがある。当時自分は30代前半で二人の子どもに恵まれていた。結婚経験者としていうなら、結婚に踏み出す理由は愛情だけではない。男には社会的信用という側面があり、そのことは認識していた。

結婚後の生活は亭主関白というより、夫唱婦随が理想と考えていた。女性もいろいろだから相応しい相手を見つける必要があった。自分にとっての結婚の第一条件は婦随の妻と血を絶やさぬこと。そのこと以外に結婚の目的はなかった。仕事にしろ何にしろ、一切を委ねられ、任せられる方が力を出せるし、失敗の責任も取る性格だからか、家庭もそうあるべきと考えていた。

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生態には種族保存本能というが、自分の子孫を残すこと。結婚すれば幸せになるだろうの意識は特になかった。適齢期になれば自然と結婚はするものと考えていた。例えば仕事と比べてみても、仕事はそれなりの職務をやり遂げる目的はあるが、結婚生活にそうした目的はない。一緒になった以上夫婦仲良く暮らしていくのが目的といえば、結婚式の祝辞は大方そんな風である。

恋愛と結婚は違う。分かり切ったことだが、そう考えない者は少なくなかったが、自分的には結婚をシビアに考えていた。「結婚には愛があってもいいが、なくてもいい」という考えは周囲にはあまり受け入れられなかったが、この考えがシビアといわれたようだ。結婚に楽しさを求めず、その思いはむしろ恋愛に強かった。「愛のない恋愛」は変だが、「愛のない結婚」は肯定される。

お見合い結婚については愛のない結婚の形式であり、愛がなくても結婚は可能であること端的に示す。最初は愛があっても、いつしか愛のない結婚生活を送る夫婦は珍しくない。それでも結婚生活は続けられる。恋愛が恋愛であるのは二人の間に愛があるからで、結婚が結婚であるのは、愛の有無に関係なく制度を維持しているのは間違いないが、それでもやれるのが結婚か。

話が前後するが、「結婚する気はまるでない」という女性のこといったが、結婚そのものに目的はないという考えは自分と同じだった。親しい関係ゆえに、「SEXに便利だろ?」とか、「子どもを欲しいと思わない?」などをぶしつけに聞いたが、「SEXはどうでもよい」と答えたのが印象的。「子どもを欲しいといっても、その前に婚姻という事実が必要となる」などといっていた。

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いろいろ聞いて分かったのは、彼女は自分の母を見て結婚を望まなくなったようだった。男の傲慢主義と母親が自由と主体性を奪われていたことが強く影響したのだろう。「やさしい男もいるとは思うけど…」と彼女はいったが、自分の眼目に適った男が現れるなら、その時に考えると結論した。血眼になってあえて探そう、探したいというのはまるでないのが分かった。

不思議に思ったが、本人になり変わらねば分からぬことだと自分も結論した。多くのことはそういうもので、人は他人のことは根こそぎ理解はできない。分かったような言葉をだせども、妥協の部分が多い。だから、結婚が普通とかも思わず、女は子を産むのが仕事であるなどの機械的な考えは自分にない。結婚はすればしたで、しないならしないで、どちらにも後悔に属すものだろう。

言い換えるなら、すればしたで、しないならしないで満足ということにもなる。婚姻の楽しさ、一人者の楽しさ、これは当該者以外には分からないもの、それが結論である。結婚に倦怠もあるように、独身生活にも倦怠はあろうが、それらは該当者個々が解決する問題だ。ただし、相手のいる場合と一人身の場合と、倦怠の解決が自由に思うようにいくのは後者の方であろう。

夫婦生活に飽きたから、別の異性を求めるというのも倦怠処理かも知れぬが、迂闊にやると身の破滅になりかねない。独身者が恋愛と称して異性を渡り歩くのは特段支障はなかろう。「独り者の身軽さ」と表現するが、夫婦が自由が利かないのは束縛し合う関係である以上仕方がない。それでも近年の不倫天国は、箍が外れて歯止めが利かなくなっている。

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結婚してよかったと思う最大の理由は、母の面倒を見なくてよかったこと。結婚した当初は、そんな先の事など考えることはなかったが、それは考えないというだけで現実問題として覆い被さることでもある。気丈な母ゆえに妻は幾度か涙したことは子どもから聞いたが、そうした労苦も過ぎてしまえば良き想い出か。「良き」というのは、悪い思い出も良い思い出となるということ。

思い出はなぜにか美化されるもの、そこにはどういう心情が働くのか。考えたことがないので考えてみる。悪い記憶が良い方に改変するのもしばしばある。これらは人間の防衛本能と考える。嫌な出来事の記憶は人の心にダメージを与えるし、思い出す度にダメージを受ければ心は壊れてしまうだろう。だから、そのような嫌な出来事は忘れられるように脳が仕組んでくれている。

「いいことは覚えてるけど、嫌なことは覚えてない」という言い方をする者は多かった。そんな風に思わぬ自分は不思議に思っていた。自分はいい思い出も悪い思い出も同じ程度に覚えており、悪い思い出を忘れたい、忘れようなどはしたことがない。どちらかというと、悪い思い出はよい思い出以上に忘れないようにすべきと思うが、意識的にそれを計らなくとも忘れることはない。

「嫌なことは覚えてない」という人は、おそらく心のどこかに、「よい思い出でなければ嫌だ」という気持ちが強いのではないか?転んでもタダでは起きない根性持ちの自分は、経験をプラスにしようと、嫌な思い出も悪い記憶を大切にした。子ども時代の嫌なこと、苦しいことを思い出す度に、「よくぞ耐えたもの」とし、その時の心の動きまでハッキリ記憶に留めている。

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