先般、上野千鶴子が東京大学入学式で述べた祝辞が波紋を広げた。「2割の壁」を超えない東大の女子学生比率の低さに触れ、「どうせ女の子だから…」と女性の足を引っ張る社会の問題を指摘した。「どうせ女だから」という考えの女性がいないでもないが、10年前の東大大学院の入学式で女性を取り巻く社会環境について祝辞を述べた女性研究者が中根千枝である。
中根の問題意識は上野と同じで、「本業としての研究者や確立された組織の管理職についている日本の女性の割合は先進国などと比べて一番低い」と述べている。フェミニストの上野に比べ、「日本で女性が役職につけない一つの理由は、学がないからです。世間のことと学問のこと。その両方で訓練された女性が日本では全体的に出てこないのね」と中根は手厳しい。
進学における男女差について、「息子は大学まで、娘は短大まで。どうせ女の子だから…」と考える親の意識の結果と上野はいうが、そういう側面もないとはいわぬも、勉強嫌いな娘に親が積極的な時代でもある。向学心の強い女性はキャリアを志向し、短大志向の女性はとりあえず大学行っておこうレベルの頭脳だろうし、向学心の翼を折られたわけでもなかろう。
1926(大正15)年生まれの中根は、弁護士だった父親の仕事の関係で幼少期を中国の北京で過ごした。津田塾専門学校(現・津田塾大学)卒業後、終戦後の1947年に女性に門戸を開いた東京大学に入学。東洋史学を専攻した。父親は、「東大に行くなら法学部」を奨めたが、東洋史がやりたいという中根を尊重してくれたという。中根はそのことに感謝したと述べている。
中根の代表作は、『タテ社会の人間関係』(1967年)であろう。同著は120万部のロングセラーとなり世界各国でも翻訳された。その中根が東大初の女性教授になった時、「タテ社会のトップに立つ」と新聞は報じている。女性がトップに立つこととタテのシステムはどう関係するのか?これについて中根は、「男女のことでうるさく言う人も、先輩後輩は大事にするでしょう?
後輩が先輩になることはないし、どんなに意地悪をしても先輩後輩の関係は絶対に変わりません。これがタテのシステム。だから、タテのシステム、序列のある社会は本来、女性にはプラスなんです。タテのシステムとは別の話ね。日本は先輩後輩の社会なので、女性だからといって入れないことはないの」。なるほど、中根は自身の経験から独自の見解を述べる。
つまるところ、どんな人にも先輩後輩はある。が、力のあるタテのシステムに入れるかどうかでその後が変わってくる。「東大のシステムに入れなかったというのは、勉強ができなかったからでしょう。私自身は東大の「さつき会」(1961年発会の女子卒業生の同窓会団体)に誘われたこともあったけど、一度も行かなかった。同じ女性だけ集まったってしょうがない」。
中根は自らが、「女」に逃げていない。だから女性に手厳しい。女性に甘く女性の肩を持つフェミニストの了見はどうであれ、フェミニストの本質は女性を甘やかせるではなく、女性に厳しさを求めるもの。以下中根は女性に辛辣に述べている。「私がアメリカやイギリスで大学院を担当した経験からみますと、日本の女性は研究に対する心構えが弱いように感じました。
私が接した外国の女性たちには、個人を取り巻く障害に対する強さがありました。日本の女子学生にも不利な条件に対して賢く対応する術を持ち、努力をしてほしいと思います」。生涯独身の中根は以下に理由を述べる。「もし結婚していたら、これだけ研究に没頭はできなかったかもしれない。だって、何カ月も一人でジャングルの奥に行っちゃったりするから。
やっぱり相手がいたらちょっと気を使うでしょう。いい人がいたらと思うこともありましたが、1952年に東大に助手になった時は教授会では反対の意見も多かったそうです。『女性は結婚したら、研究をやめちゃう。だから、研究職にしなくてもいいだろう』って。私はたまたまいい相手がいなかったことと、研究に没頭する時期が一致したのよね」と正直に述べている。
彼女の話からして、結婚に否定的でなかったのが分かる。近年は女性も様々な職業につき、独立して事業を始める人も多くなった。結婚して亭主や家庭に束縛されるより、ひとりで自由に楽しくのびのびと暮らす方がサッパリしていいという女性は多い。それでも女性の独身者に偏見が消えない理由は、「女性は子どもを産む機械」という観念が消えないからだろう。
何かを貫くために別の何かを犠牲にするしかないが、貫く何かがあまりに強いと、別の何かを、「犠牲」とは感じないのかも知れない。楽しみが多いと時間を犠牲にしたと思わないように…。独身女性は男と肩を並べて存分に働き、そこに生き甲斐を感じるが、さて家に帰ってひとりになれば、母にもならずに生涯を過ごすのかというような、一抹の淋しさにおそわれることもあろう。
一日の時間のなかではいろいろな思いに駆られる。結婚を夢見る女性も、束縛のない自由を横臥する女性のどちらの側にも、“ないものねだり”はあろう。幸福には必ず何らかの辛さは必然で、それが人生というものだ。どっちもどっちが選択である以上、結婚した方がよいというのでもなく、独身も結婚と同様に当たり前のこととすべきで独身者への偏見は間違っている。
先日、52歳のとある女性が、「この年になって結婚もせずに…」といった時、何がしら微笑ましさを感じた。自分は既婚であるかを聞かなかったし、気にもしていなかったが、彼女はそれをいっておく必要性を感じたのだろう。そのことに気配りを感じた。結婚も目的なら独身も目的だろうし、どちらも選択であるなら、結婚しない人には少数派として貫く何かを感じさせられる。