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音楽昼話

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「濃いね~」、「深いね~」、「重いね~」という言葉をちまちま耳にするが、ヒゲが濃いとか、川の底が深いとか、体重が重いというのではない。いずれも自分の記事(文)の内容のことだ。考えてみるに自分は会話における相手の話の内容に、「濃い」、「深い」、「重い」という形容詞をつけたことがない。なぜつけないか?理由はそのように思わないからだ。

濃い内容、深い話、重い話題、という区分けは自分の中に存在しない。他にもある。「エロいね~」、「下系ネタだね~」といわれてたりするのもピンとこない。すべては人間に関する内容であるが、そういう言い方をする人が言う。もちろん、自分は会話中にそんなことを言ったことも思ったこともない。「下系だね~」というなら、なぜ「上系だね~」と言わないのだろう?

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下系を感じる人なら上系もあるんだろうし、あるのかないのか人のことだからわからないが、とりあえず下系のときはそのように言う。わざわざ「下系だね~」というからには、そういう話題を拒否もしくは、話題にする人間を見下げていると解釈する。「あの人は下系話がすきよね~」という言い方は、暗にその人に対する蔑みであろう。蔑まれたら止めるのがマナーというもの。

会話には上と下の境界線があるのだろう。意識した事はないが、意識する人はいるようだ。下系の「下」の意味は下品と下半身のダブル・ミーニングと理解する。言い手によってはどちらかだったりするのだろうが、一般的にはそういうことだ。下半身も人間に所有されるものだし、上系(上半身系)は指摘されないが、下系のみ指摘されるのは話題として問題ということだ。

だから、指摘された時点で止める。斯く言う自分も大衆の前で公然と下半身話は、よほど必然性がない場合はしない。あえてしないではなく、自然にしない。自身に対する制約であろう。見ず知らずの人の前ではエチケットとして意識すべきことはさまざまある。大あくびや、気に障るような行為・態度は普段、気心が知れた人間とそうでない人間とでは飼えるのが当然である。

基本的に上・下(上品・下品、上流・下流、上等・下等)意識はすきではない、また高低においても、高品質や高性能はいいが、人間に関する高低を意識しないようにしている。例えば高学歴、高潔、高尚など。高学歴なる人物は単に低学歴の対比でしかないから、低学歴がいるからこそ呼称されるのであって、もし高学歴を誇る人間がいるなら、それは低学歴者の恩恵にある。

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高潔という人物は歴史上に言われるが、そうそう簡単に言うべき事ではない気はする。高尚という言葉はかつて、「クラシック音楽は高尚だが、ロックは低俗」という言葉を耳にして以降、好きではなくなった。高尚そのものはあっていいが、その対比としての何かを貶すことでしか高尚を存在せしめられない高尚は違うだろうと。「高」はすべて「低」に勝るというのは違う。

「高邁」、「高圧」、「高慢」などは卑下されてしかりであろう。何を持って低俗と言われねばならないんか?ロック音楽やエレキブームの初期にこのような議論が沸き起こったはずだ。それくらいにエルビスやビートルズは社会問題になった。そのエルビスがエド・サリヴァン・ショー出演をめぐってエドは出演の寸前まで反対していた。当時エドは良識の代表であったからだ。

エルビスの腰を振るアクションを卑猥とし、本番では上半身だけのアングルの放送を行うことを要求、さらにエドはエルビスにスーツ着用を求めた。それら一切を受け入れたエルビスの上半身だけのアングルという珍妙な放送であったが、演奏後エドはプレスリーを、「立派な若者です」と称賛、再出演も実現した。エルビス最初の出演時の全米視聴率は82.6%を記録した。

エド・サリヴァンは、カトリックの信仰を持つ保守派として知られていて、人種差別を嫌悪し、人種や国籍、性別を問わず様々な出演者を公平に扱ったが、そんなエドさえもエルビスは異端に映った。エド・サリヴァン・ショーは、1950年代から1970年代の当時の文化と強く結びついた番組であった。エルビス出演は、後のビートルズ、ローリング・ストーンズ出演に道を開いた。

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優等生イメージで好印象のビートルズに遅れること8ヵ月後の1964年10月25日、ローリング・ストーンズはエド・サリヴァン・ショーに出演する。当時のアメリカ国民はあまり彼らを歓迎していず、6月に行った初のアメリカ・ツアーは空席も目立っていた。ストーンズはエド・サリヴァン・ショーで巻き返しを図りたかったが、エドは彼らの不良イメージを快く思っていなかった。

ストーンズは、「Around and Around」と「Time Is on My Side」を演奏したが、サリヴァンはミック・ジャガーの身振りや歌い方に品がないとこき降ろし、なんとカメラに向かって、「2度と彼らをテレビに出しません」と頭を下げたのである。そうは言ったがストーンズは、1964年から1969年まで6回出演したが、ストーンズ嫌いのエドも世論には勝てないということか。

ビートルズにしろ、デイブ・クラーク・ファイブにしろ、サリヴァン受けのいいグリープはみんなスーツを着ている中、無地のトレーナーにズボンという超シンプルなミック・ジャガーのファッションは当時のロックバンドにあっては断然光っていたはずだ。お揃いを着ない、揃った動きをしないという自由さが、こんにちのロックバンドの原型に繋がって古さを感じない。

当時としては異端であったストーンズだが、65年に入ってアメリカでストーンズ人気に火が付き始めると、サリヴァンはあっさりと前言を撤回。65年2月、ストーンズは2回目の出演を果たすも、ファンの暴動を恐れたサリヴァンの指示で楽屋に12時間も閉じこめられてしまったストーンズである。さらに67年には3度目の出演を果たすが、このときも問題が発生した。


Let's Spend The Night Together」の歌詞にサリヴァンが、「セックスを連想させる」と難色を示し、歌詞を「Let's spend sometime together」と変えるよう要求した。ミックは受け入れたが、猛反対のキースと大ゲンカとなり、結局キースが折れたがバンドにとっては後味の悪い結果となる。反逆児ストーンズがエドの要求を受け入れるほど番組の力は凄かったのだ。

一度も出演していない大物はボブ・ディラン。1963年5月12日にはディランが出演する予定だった。彼にとっても初の全米中継のテレビ番組であったが、当日の本番前の午後にリハーサルで予定していた「ジョン・バーチ・ソサエティ・ブルース」という曲は、「赤狩り」に関連づけられた曲(「ジョン・バーチ・ソサエティ」は反共団体として知られている)であった。

そこでCBS側は「放送にふさわしくない」とディランに曲の変更を要求したが、ディランはそれを拒否。「歌えないのなら番組には出ない」と、スタジオから出て行った。ドアーズは1967年9月17日に出演したが、演奏予定曲の『Light My Fire (ハートに火をつけて) 』の歌詞の一節 "Girl, we couldn't get much higher" が、ドラッグを暗示しており不穏当であるとされた。

エドは、 "Girl, we couldn't get much better" と変更して歌うことを要求し、一旦了解したヴォーカルのジム・モリソンが、生放送中にエドたちを出し抜いて本来の歌詞で歌った。サリヴァン側は激怒し、二度とドアーズを出演させなかった。などの暗澹の歴史もある。エド・サリヴァン・ショー23年の歴史の中では上記したディランとモリソンが印象的である。

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歌詞にいちゃもんつけられ、さっさとテレビ局を後にしたディラン、出演はしたものの、生放送をぶち壊したドアーズのジム・モリソンは、反権威的でカッコイイ野郎どもである。「ドアーズ」というバンド名は、ウィリアム・ブレークの詩「忘れがたい幻想」から採られた、オルダス・ハックスレーの『 知覚の扉 (The Doors of Perception) 』が元になっている。

ジム・モリソンの死は、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、カート・コバーンらロックスターの悲劇となった。どういうわけだか、偶然というのだろうが、彼らはまな同じ27歳で死亡しており、27歳で他界したミュージシャン達を「27 Club」といい、ロック界のひとつのジンクスとなっているが、これを科学的に調べた学者もいる。

クイーンズランド大学で統計学を専門とするエイドリアン・バーネットが、1956年から07年までイギリスのアルバム・チャートで1位を獲得したミュージシャンのうち1046名の死について調べ上げ、27歳が死にやすい年齢であるとの説が正しくないことを証明した。これらは単なる偶然であると。ただ、イギリスの一般人と較べてミュージシャンの死亡率が高いのは事実である。

上の5人以外にも、ロバート・ジョンソン、エイミー・ワインハウス、ジャン=ミシェル・バスキアらがおり、「27 Club」は仮説でも、ロックスターが早過ぎる死を遂げるリスクが高いというのは音楽雑誌の通説だ。シドニー大学で心理学と音楽を研究するダイアナ・ケニー教授は、1950年以降のミュージシャンの死を集計し、新たな調査を行った研究を発表している。

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クイーンズランド大学のエイドリアン・バーネットは統計学的見地からの調査研究であったが、新たな研究者は「心理学と音楽」についての研究者である。ケイ教授は、米国の一般的な人々と比較した結果、男性ミュージシャンは平均して50代後半、音楽業界以外では男性の平均死亡年齢は75歳だと判明した。女性ミュージシャンの場合はそれより若干長い60歳代前半だった。

それでも、米国の一般女性の平均死亡年齢80歳には大きく及ばなかった。ケニー教授の研究は、ロックスターたちの早死について調査した最初のものではないが、過去60年間に死亡したミュージシャン1万2665人を調査した大規模な研究はこれまでなかった。教授はジャズからロック、ブルース、テクノ、ラップ、バラードに至るジャンルのミュージシャンについて調査をした。

1950年代のロックンロールの隆盛以降、教授が死について集計したミュージシャンのうちの90%以上は男性だった。教授によると、音楽業界では一般国民の平均と比較して死亡事故は2倍、自殺は3倍に達していた。ケニー教授は、「音楽業界自体が極端な行動を支持しているところがある。特に若いミュージシャンは薬物を使用してステージに上がるのは半ば常識である。

その後はアルコールと薬物で、一晩中パーティーに興じることがしばしばだ」と指摘。ツアーのストレスも早死ににつながっていると続けた。教授は心理学の経験に基づき、出自が崩壊した家庭であることが多かったり、ある程度の感情的混乱を経験したことのある若い傷つきやすい新人たちに、音楽業界は感情面での支援や指針を十分提供できないことが多いと指摘する。

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上下いう区分けは好きでない。下品を意識しないから上品も意識しない。ブログを始めて9年半になるが、下品な話題を書いた気は一度もないし、上品な話題も同様である。巷で言う「下ネタ」の定義とは排泄・性的な話題だ。早死には動かない事実であろう。「27 Club」は神話であっても…。カレン・カーペンター(32歳)、ホイットニー・ヒューストン(48歳)、エルビス・プレスリー(42歳)

デニス・ウィルソン(39歳)、カール・ウィルソン(51歳)、マイケル・ジャクソン(50歳)、トミー・ボーリン(25歳)、マーク・ボラン(29歳)、キース・ムーン(30歳)、ジョン・ボーナム(32歳)、ジェフ・ポーカロ(38歳)、ロリー・ギャラガー(46歳)、アンディ・ギブ(30歳)、フレディ・マーキュリー(45歳)、マイク・ブルームフィールド(37歳)…。日本人では、尾崎豊(26歳)、坂井泉水(40歳)が悼まれる。

他方、クラシックの指揮者・ピアニストは総じて長寿である。レナード・バーンスタイン(72歳)、ウィレム・メンゲルベルク(79歳)、ヘルベルト・フォン・カラヤン(81歳)、ゲオルク・ショルティ(84歳)、カール・ベーム(86歳)、アルトゥーロ・トスカニーニ(89歳)、イーゴリ・ストラヴィンスキー(89歳)、オットー・クレンペラー(88歳)、ブルーノ・ワルター(85歳)、クラウディオ・アバド(80歳)。

ウラディミール・ホロヴィッツ(86歳)、アルトゥール・ルービンシュタイン(95歳)、マルグリット・ロン(92歳)、アルフレッド・コルトー(84歳)、シューラ・チェルカスキー(86歳)、クラウディオ・アラウ(88歳)、スヴャトスラフ・リヒテル(82歳)、ヴィルヘルム・バックハウス(85歳)、ヴィルヘルム・ケンプ(96歳)、リリー・クラウス(83歳)。それにチェリストのパブロ・カザルス(96歳)。

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同じ音楽家なのにこうも違うものかと。やはり、薬物や不摂生が要因なのか。「クラシックは高尚、ロックは低俗」と言うのは充てはならないが、クラシックは高寿命、ロックは低寿命は事実のようだ。80歳過ぎてもステージに立ってピアノを弾き、指揮もするが、ロックミュージシャンは80過ぎて、ステージで、「I Can't Get No Satisfaction」とはやれないか?

エド・サリヴァンに嫌われたミック・ジャガーは現在71歳。2012年に結成50周年を迎えたザ・ローリング・ストーンズは、ロンドンとアメリカで記念公演を行ない、レディ・ガガも出演するなどノリノリであったようだが、高齢ゆえにワールド・ツアーは期待できないだろう。そろそろギネスブックに認定されそうな気もするのだが…。日本人のギネスは内田裕也か…?



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