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人間関係さまざま ⑤

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一口に「人間関係」というが、人間と人間の関係がどれだけ多岐に渡るか。ある人は大都会に生まれ、ある人は地方都市に生まれた。ある人は人口5万人程度の市や町に生まれ、別のある人は自然の恵み多き田舎に生まれた。同じ田舎といっても人口は牛や馬の数もいれて4~5千人の、いわゆるド田舎生まれの人もいる。こうした育った環境が人間に大きな違いをもたらすのは間違いなかろう。

普段考えないことを考えたり書いたりがブログの面白さ。大都市、地方都市、市町村や寒村育ちに分けて人間関係を考えるとどういう違いがあるか。たとえば小さな町や村で育つと、行きかう人みんな知り合い感覚になる。そうした町村では、日々交際するいろんな相手は知るつもりになれば、その素性さえもハッキリする人たちで、狭い地域だからどこかで顔を合わす。

病院であったり、駅や郵便局や学校、公民館、役場などのコミュニティなどで出会うが、そうした環境で育つと、あまり好ましくない人や相手であっても、自ずと親近感のようなものがわいてくる。ならば交際の仕方もあまり気をつかうことなく、それなりに上手くつき合っていけるだろうが、人口の多い大都市でこんなことは有り得ない。往来のなかで出会う人すれ違う人は見らぬ人ばかり。

田舎には田舎の付き合いの流儀が、大都市や都会ではそれなりの付き合いの流儀がある。生活状況のちがいが性格の差となり、それが人間関係の在り方に影響する。それでも同じ人間だから大都市育ちと田舎育ちの人間が付き合えないことはないが、田舎人と都会人の成育環境の違いは、市町村役場と大都市の区役所の公務員という、同じ職種にあっても職場の人間関係事情も変わってくるだろう。

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小さな市町村役場の職員の同僚がどんな家に住み、どこの中学高校を出たかを知るが、都会の職員同士は、聞かないかぎり分からない。したがって、まるっきり知らない正体不明同士の人間関係ということ。上手くは表現できないが、こうした田舎人と都会人のズレが人間関係の感覚の差ということはできよう。適当極端な事例かもしれぬが、徳仁天皇と雅子皇后が育った環境はまるでちがっていた。

雅子妃がハーバード出身のキャリア女性でも、環境のちがいに卒なく対応できる能力は別。だから彼女は長期間適応障害に苦しんだ。「人間関係とは何か?」といえば、「交際とは何か?」ということになる。居住地、家庭環境や職場環境などによって生じた価値観の違いは交際に影響を及ぼす。田舎の居住環境になれきった人が都会に住めば驚き、都会人は田舎に居住して驚く。

驚きの中身はあまりの生活環境の違いで、10代で地方都市から大都市に出向いた自分が最も驚いたのは言葉だった。言葉の差が田舎人に劣等感を与えるのはいいとして、都会に出た女性が妙な男にひっかかった後に転落していった話は多い。そのことを知った者は誰もが、「何というバカな女」と即座に決めつける。しかし、彼女がバカである意味について深く考えてみたことがあるだろうか?

田舎育ちの彼女が田舎流の交際感覚と、大都会における付き合い方の感覚に大きな違いがあるなど思ってもいなかったろう。田舎から都会にでてきた無知で素朴な人たちを恰好の餌食として待ち構える悪人がいる。「こんなに親切にしてくれる人はきっといい人にちがいない」と思う彼女が、それほどに愚かでバカなのか?そういう視点で見なければあまりに可哀相。

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「ローマ日本人女子大生6人強姦事件」という事例もある。1993年1月にイタリア・ローマで起きた日本人短大生の強姦事件で、発生当時、日本国内でマスコミ・識者らによる男に声をかけられて自宅までついていった被害者への危機管理意識の無さに対するバッシングが加熱した。詳細はWikiに載っている。日本人のナンパトークは、「ね~彼女、お茶しない」が基本フレーズという。

「お茶」で誘ってついてきた女性をあわよくばいただくというのが日本人的下心だが、それを承知でついて行く女性もいれば、お茶や食事をご馳走になって、「バイバイ」の女性もいる。ところが外国で、「お茶」は暗黙の、「やる」で、「あわよくば」なんてものじゃない。お茶をOKしたら最後もOKと判断されるが、これは文化の違い。だから6人の女性は現地でも非難された。

彼女たちは親切な外国人と映ったのだろう。これを機にツアーを企画する旅行会社の搭乗員は、「お茶=SEX」ですよと具体的な文化の違いを日本人女性に植え付けるようになった。しかし2012年8月、ルーマニアのブカレストで聖心女子大2年生の益野友利香さんの悲劇があった。「No!」がいえない日本人が被害にあうことは珍しくない。「断る」ことは相手に悪いという意識があるからだ。

「嫌だ」、「結構です」、あるいは「ゴメンナサイ」でもいい、ハッキリと意思表示をすればいいが、それができない。大体において、断る場合は最初にいうのがよい。何かを頼まれいきなり断るのもソッケないからと引き受けてしまい、途中で断る場合は最初に断る何倍もの負担になる。セールスマンに断り切れず、不要な物を買った人の多くは、「何でこんなもの買ったのだろう」と嘆く。

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しかし、その時は買わなければその場を逃れられなかったのだ。それほどに精神的に追い詰められ、買うことでしか解放されなかったことをしかと肝に銘じるべし。もうあのような嫌な気持ちにになりたくないなら、最初に心を鬼にして、「いりません」という。セールスマンたちは、「いらない人に買わせるのが最高の技術」と腹で思っているので、そこを見透かせば餌食にならないで済む。

「断られてからが勝負!」という彼らはだからしつこい。なだめたりすかしたり威圧したりのあの手この手で挑んでくる。断固断るコツは、この人に好かれようと思わず、むしろ嫌われてやろうの心。「この人はヒトがよさそうだ」と思わせないこと。セールスごときに嫌われるのを楽しむ人間を、性格悪しといわれる筋合いはない。だれかれ好かれたいと思う心の卑しさの自覚こそ必要。

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