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Channel: 死ぬまで生きよう!
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人間関係さまざま ③

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人と上手くつき合うなんて生易しいことではないのは多くが実感する。前回述べた「あや」についてだが、あらためて、「あや」とはタテ・ヨコではない関係のこと。上下関係は、「上意下達」というように率直であるべきであやの必要はない。同僚同士の横(水平)の関係もあやの効用は少ないが、縦でも横でもない斜めの人間関係が大切であり、またそこは、「あや」の宝庫となる。

一筋縄ではいかない関係ながら拒否のない関係も「あや」とする。例えば、「異質な人」、「変わり者」、「出る杭」、「個性的な人」、「奇抜な人」を尊ぶ関係でもあるが、「異性」の関係も縦、横以上に斜めが多い。中島みゆきは、貴方は縦の糸、私は横糸というが、二人の世界は実は斜めが多い。なぜめぐり逢うのか、いつめぐり逢うのかだけは誰にも分からない。
 
こちらはこちらの都合で動き、相手は相手の都合で動く。こちらの気持ちは相手に伝わらず、相手の気持ちを理解するのも難しい。伝わったとしても聞き入れられず無視されることもある。要求を遠慮なく押し付ける相手もいて、自分と他人はどこまでいっても自他でしかないが、折り合いをつけるために必要なのが、「あや」ではないだろうか。「なだめる」も、「あや」の範疇と考える。

「自分をなだめる」、「互いをなだめあう」。「なだめる」は気晴らしだけでなく自分を正しく知ることになる。だからか、自分について何かを書けば自分を客観的に見つめることになる。人は毎日同じ生活の繰り返しで、同じ電車に乗り、同じ駅で降り、同じ会社で同じ同僚や上司と顔を合わせ、家に帰れば同じ住人がいて、同じ妻とベッドでお決まり行為を繰り返している。

普通は飽きるだろうが飽きてはならない定めが一夫一婦制だ。だからか自分をなだめる必要あり。野菜を売る八百屋がいい加減飽きてきたからと明日から肉を売りたい、金物を売りたいという訳にはいかない。妻や夫をとっかえひっかえできないから不倫が横行する。相手を変えても違うのは最初だけ、慣れれば同じ相手となる。束の間の刺激がささやかな楽しみか。

友情という関係がある。友情を育てるには互いに尊敬の心をもって接することだが、キケロ(前106~43)はこう述べている。「友情において次の掟を守るべし。恥知らずなことを要求せず、要求されてもこれをせざること」。例えば、友人に借銭を頼まないし頼まれても断る。では借銭が恥知らずなことではない人間ならどうすべきか?恥知らずだと教えてやればいい。

紀元前からいわれることを2000年経っても守れぬ愚かなる人間。堀秀彦は『友情論』の中で以下の3つの愛情を示す。① 一つになりたい愛情、② 離れたくない愛情、③ 平行線を保つ愛情がそれで、それぞれを恋情、母性愛、友情と定義した。確かに恋情は生活のすべての点で相手と一つになりたいと願う。愛は惜しみなく与え、愛はまた惜しげもなく奪うというように。

相手を独占したい相手を自分に隷属させたい、あるいは相手の奴隷になってもいいと、きわめて視点が狭く閉ざされた愛情である。これにくらべて友情は、互いの独立した人格を認めて尊重し、敬愛心からしても相手を独占するなどは考えず、相手の精神の自由を認め合う。ありのままの自分を示して励まし慰め、人間として成長することに喜びを見出す愛情であろう。

哲学者カントは友情を、① 生活の必要を満たす愛情、② 趣味の友情、③ 心の友情の3つに分けている。さらには哲人アリストテレスも、有用性、快楽、徳をそれぞれ目的とする3種類の友情をあげているが、一般的に友情とはそれぞれが一番後のものだと考える。友情とは友人と醸し合うものだが、友人といっても遊び友達ももいれば職場仲間もいて、友情はそこを出発点とする。

心と心が混じりあい、少し大げさにいうなら真理の探究において共に語り学び合うが、共に学ぶというのは若い世代の特徴として共に迷うことでもある。そうした迷いのなかに結ばれた友情こそが深いというのが、自分の経験則である。いろいろな型の友情が浮かぶが、エベレスト登頂を成し遂げたヒラリーとテンジンの友情は、小学校の頃に本で知ったが今でも心に残っている。

彼らは1953年5月29日、エベレスト人類初登頂に成功した。冒険の話が大好きだった自分は、誰も興味のないこんな本を沢山読み、人に話したりもした。おかげでヒラリーとテンジンや、南極探検のアムンゼンとスコット、深海艇のバチスカーフ号などは小学生時代から知っていた。バチスカーフ号はフランスの深海潜水艇で、1958年日本海溝に潜水し深度3000メートルに達した。

未知への好奇心が人一倍強く、宇宙のことも含めて人と話が合わなくても知りたいことだらけで、なかでも冒険者の伝記は読み漁ったが、ヒラリーとテンジンのように死に直面する局面にあって、友情の結びつきは一層強まろう。エベレスト初登頂後、どちらが最初に頂上に足を乗せたのかは、当時マスコミの大きな話題となったが、二人はお互いに、「同時」としか答えなかった。

ニュージーランド出身のヒラリーは冒険家の肩書を持っていたが、チベット人のテンジンは、シェルパ(登山支援を行うネパールの高地民族)である。二人は主従の関係にあったが、この世界的な偉業を二人が分け合ったことに感動させられた。「優れた師は、弟子を友人のように扱う」という言葉があるが、上下関係や主従意識の強い日本人にとって、先生とは偉いの代表格。

『徒然草』の第十三段。「ひとり灯のもとに文をひろげて、みぬ代の人を友とするぞ、こよなう慰さむわざなる」。意味は、「ひとり灯の下に書物を開いて、自分の知らなかった時代の人の書いたものに接し、心と心とのつながりを味わうことほど慰められることはない」。これこそ読書の本質をあらわす言葉で、「みぬ代の人」と友情を結ぶのが読書の楽しみであろうか。

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