20代半ばで地元豊橋市内で英語塾を開設した磯村氏の学習法は、映画やビデオなどを教材に使いながら英語に慣れ親しむことを重視した。磯村氏一人に小学4年生ぐらいから高校3年生まで60人ぐらいの生徒がいた。1教室は10~20人程度だが全教室は常に満員。塾を開設した直後から指導方法などが高く評価され、入塾希望者が絶えず入塾が難しかったという。
管理教育と称して生徒を枠にはめ込み、従わない生徒の頬をビンタで従わせるのがまかり通る時代だったが、磯村氏は生徒一人一人と向き合うことを大切にした。次男の和人氏は、強権・傲慢な姿勢に憤りを覚えた父の言葉として、「あんな教育に従ったら、自分で考える力が身につかない』と言っていたのを覚えている。教育に問題意識を持つ人の観点は同じものがある。
皆が制服を着用し、同じことをしなければならない全体主義の学校にあって、親の指示とはいえ校則違反であることには変わりない。本人たちは多少なり肩身の狭さがあったと推察するが、当時のことを和人氏はこのように述べる。「兄と私は私服とはいえ黒色のブレザーを着ていました。髪の毛を染めることも、校内暴力を起こすこともない。毎日時間通りに通学し校則も守っていました。
成績もよかったし、教師に逆らうこともない。学校の秩序を乱すことは一切していない。こんな私たちの行動に理解をしてくれる教師や生徒もいましたが、立場上教師は私たち側に立つことはできなかった。ある方から聞いた話ですが、教師の中には私の兄が東大を受験するときに、試験に落ちることを願っている方もいたといいますが、事実ならば残念ですね」。
小1から1年間通ったピアノ教室を辞め、父子でピアノに取り組んだはいいが、教師はまさかこれほど上達するとは夢にも思っていなかったろう。毎年開催される、「中国ユースピアノコンクール」には発表会のつもりで参加したが、初出場の低学年の部でいきなり予選通過、本選で二位の成績を教師はどういう思いだったろう。ピアノ教室生徒で予選通過者は一人もいなかった。
これはピアノ教師の知識や技量というより、教え方や子どもの熱心さの差であろう。毎日の2時間練習は欠かさなかった。確かに練習は大事だが、練習を好きになることはもっと大事である。楽譜も読めずピアノも弾けない父はこれといった何かをしたわけではない。一緒にCDを聴きながら耳を肥やしたくらいだが、心当たりといえば、子どものそそのかしたことくらい。
“そそのかす”というのは言葉が悪いが重要なこと。子どもに限らず女性をその気にさせるための話術と何ら変わらぬそそのかし術。「昔取った杵」ともいうが、そそのかしは受ける側からみると魅力となる。自分がやったことは、それくらいしか思い浮かばない。「子どもをやる気にさせる」のも、「女をやる気にさせる(別の意味)」のもそそのかし術といい切る。
そそのかしに大事なものは相手の腹を読むこと。有能なセールスマンも個々の顧客の腹を読むからこそ、その場に最もふさわしい口説き文句を発することができる。口説き文句は山ほどあるが、今この時点でこの相手に何が相応しい言葉であるかを読み取り、言葉に変える能力で、別の言葉で洞察力というが、自分の生徒が素人なんかに負ける筈がないと思っていただろう。
遂に認めざるを得なかったのか、ピアノ教師は長女の同級生四人を引き連れて最優秀記念演奏会に来た。どんな演奏、どんな技術、彼女自身の目で確かめたかったこともあろうし、父を認める必要などない、本人を認めればいいこと。男に女の自己顕示欲はなく、そそのかし役でしかない父からすれば一切は子どもの手柄であり、灘高~東大三兄弟の母のように前には出ない。
磯村氏は管理教育への反発をどう現すか。学習塾経営者として中学卒業でも大学に行けるし、それも東大・京大といった難関大学であるからこそ説得力となる。管理教育批判=学習能力向上とはならぬが、目にみえない人格形成を周囲に示すことは出来ない。そういう自分も、「教師に習わずともピアノは弾ける」の意気込みで取り組み、気づいたら上達していた。
事実はそれだけのこと。おそらく磯村氏も目的と行動と努力だけが主体で、結果は後からついてきたのかも知れない。学習技術は教えられるものかも知れぬが、ピアノの技術は教えるよりも訓練である。あとは音楽への感性である。コンクールや発表会で分かるのは、ピアノを弾くことだけに必死な子の演奏に何の感動もない。やはりピアノは音楽を表現するための楽器である。
体罰容認管理教育を好む者は、あきらかにコミュニケーション能力に自信がなく、威圧でいうことを聞かせようとするが、それを手っ取り早いと思うところが無能である。人と人には便利な言葉がある。鉄拳制裁を誇示した星野監督もそれが許された時代だった。今季11連敗の原因と目される広島緒方監督による野間選手への暴力行為だが、「お前のプレーはクソだ」というべきだった。