ドラマは磯村家の奮闘を描いたもので、俳優の菅原文太や坂上忍が親子役となり、敵対する中学校の教師役として長塚京三さんが出演したらしいが、これを書くにあたるまで自分はそのドラマを知らないし観てもいない。連続ものというのがどうにも好きでないから、朝ドラや大河ドラマですら大義くなる。長塚京三が主演の『ザ・中学教師』という映画はビデオで観たが結構面白かった。
共依存の母子家庭親子に向け、「断ち切るために子ども出すかあなたが家出するしかない」といい切り、母親が数日間家出したのに笑った。あれから40年、現在中央大学教授の磯村和人氏(53歳)は、「管理教育と闘う父」をどう見ていたのか?父は、学校との闘いや息子への思いを「奇跡の対話教育―高校へ行かないで、東大・京大に合格するまでの記録」(光文社)に書きあげている。
懋氏の真の思いは、子どもの学びとは本来どうあるべきかを、磯村家での実体験をもとに訴えたのだった。同じような体験は自分にもある。町のピアノ教師の態度や方針に疑問を抱いた自分は、楽譜も読めないピアノも弾けないにもかかわらず、子どもの師を買って出たのは、何はともあれ教師への反動である。音大出のピアノ教師が何だというのか、楽器を弾けるのは習わなくたってできる。
自身の経験と信念に基づいて熱心に取り組んだ結果、それなりの技術を習得することが出来た。コンクールでピアノ教室の生徒たちの演奏を聴いても、こんなものか?と感じたのは自分の耳が肥えている証拠であり、音大出はただの暖簾でしかなかった。親と子とどちらが熱心かといえば子どもそっちのけで前者であった。懋氏の反骨心や男としてのロマンや熱意は手に取るようによくわかる。
中卒で東大?京大?なんら不思議なことではないと思うのは、楽譜も読めないピアノも弾けない自分の熱意は、長女を小6、中1、高1の三度にわたって、中国地方のピアノコンクールの頂点に立つことができた。単純な比較はできないが、多くのピアノ教室の子たちがムキになって賞を狙うことを思えば、かなりの関門だったかも知れない。もう一度あれだけのことをやれる自信も気力もない。
あった事実だから決して自慢ではなく、「町の教師よ、今にみておれ」というバネや反骨心がなければ絶対にできなかったことで、それは磯村懋氏も同じであったろう。音楽を職業にする気は毛頭なく、子どもを犠牲にした悔いも覗いて唯一得るものがあったとするなら、どんなに難しいことでも一生懸命に取り組めば身につく。著名なギタリストもドラマーも技術とはそういうものである。
「父は意志が強くブレない人でした。明確な考えを持ち首尾一貫していたし、責任感や使命感も強く、「独立自尊」という言葉がふさわしい感じでした。一方でよく考え抜き、準備を抜かりなくして行動をとっていたのだろうと思います。あの頃(1970年代後半)、兄や私が通学していた中学校の管理教育への抵抗も、父としては決して思いつきや衝動的な行動ではなかったでしょう」と和人氏。
「今、会社に勤務されている方は、私の父のようにはならないほうがいいと思いますよ。もし、父のようになるとご本人もご家族も大変なことになるかもしれません。自分の考えや思いを大切にし、筋を通そうとすると敵が現われるかもしれませんね。そこで多くの人は、ある種の妥協をして生きていくのではないでしょうか。おそらく、父はそれができなかったのだろうと思います。
ただし、父は慎重なタイプですから、家族を養えるだけの経済的な基盤をきちんと固めたうえで行動をとっていました」。懋氏の長男が小学6年生のころに生徒指導の教師が、「我々は子どもが中学にいっても不良にならぬよう厳しく指導する」という言葉に対し、「あれが教師のいうことか!」と立腹していたようで、軍隊のような厳しい規律のある組織にも好意的でなかった。
ふと松下村塾の吉田松陰が過る。彼は塾の規律を書くには書いたが、机の引き出しにしまったままだった。その松陰はこんな言葉を残している。「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」。それ以上に印象的な松陰の言葉は、「諸君、狂いたまえ」であろう。こんな言葉を吐く松陰は奇人である。
磯村懋氏もある種の奇人であったように自分も奇人であった。人と同じことをしないという意味において…。イチローの父も申し分のない奇人である。イチローは、3歳~7歳まで一年の半分を野球の練習に費やし、小学校低学年の時は放課後にお父さんと毎日練習。小学校高学年になると毎日バッティングセンターに通い、ついにはイチロー専用のバッティングマシンが出来たという。
奇人で有名なのがスティーブ・ジョブズである。「Stay hungry, stay foolish」という言葉は常人にはいえるものではない。経営者時代のジョブズは部下に対し、「お前の仕事はクソだ」と平気で口にしたという。こんな言葉を普通は口に出していいわけないし、口先まで出かかっても理性で止める。いじめのようにもとれるし、「クソ」なんて言われて相手との信頼が築けるとは思えない。
その言葉をあまりに頻繁に口にするジョブズにジャーナリストが尋ねた。「『お前の仕事はクソ』とはどういう意味か?」。「仕事がクソだって意味。でも、僕が正しいとは限らない」としながらも、「はっきり伝えて理由を説明し、そして本来の軌道に戻す。相手の能力を信じていることを伝えながら、解釈の余地を残さないよう指摘しないといけない。すごく難しいことだ」と説明する。
回りくどさより率直は大事。汚い言葉だがジョブズは感情的にならず、効率重視であった。「お前の仕事はクソだ」と言われたら大抵の人は自分の能力を疑われたと思う。上品とはいえず正当化される言葉ではないが、この言葉が見かけほど悪くない場合はいくつか考えられる。例えばすでに多くを達成したキャリアな人物には、その能力を認めるがゆえ容赦ない。