Quantcast
Channel: 死ぬまで生きよう!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

教養と健康の関係

$
0
0
表題に何をもってくるか、気まぐれで決めている。小説のタイトルに思うは、タイトルとは目的でも結果でもなく、膨大なストーリーの中から両手ですくいあげたオアシスの水のようだ。山ほど存在するタイトル候補から、すくいあげた水を最終決定とするのだろう。最近、タイトルで騙された書籍があった。加藤諦三の『自分に執着しない生き方』(1988年:大和書房)である。

中身は『かしこい生き方』(1985年:大和文庫)そのまま。『かしこい生き方』は『体当たり人生論』(1970年:読売新書)そのままだ。『自分に執着しない生き方』、『かしこい生き方』、『体当たり人生論』は同じ本である。同じ中身でタイトルバラバラなら、タイトルなんかどうでもよいことになる。『自分に執着しない生き方』に何が書かれているかと買ってみたが騙された。

イメージ 1

『幸福論』にお金持ちになるのはどうすればよいか書いてあるようなもの。加藤諦三の名にあやかった小賢しい手法である。加藤の新装丁書籍はすべて過去に出版されたもので、今回を機に買うのは止める。同じタイトルで新装版と明記されているのは、装丁が新しくなったと感じとれるが、タイトルを改題して中身が同じというのは、同じ本で儲けようとする汚い商法である。

加藤に罪はなく出版社の言い分は、「中身を読んで購入して欲しい」であった。こんなことでは近年のネット通販時代に対応していない。ネット通販の特定商取引には、「誇大広告などの禁止」、「前払い式通信販売の承諾などの通知」、「契約解除に伴う債務不履行の禁止」などの規制がかけられているが、タイトル改題で中身が同じという著書の法的規制はどうやらなさそうだ。

通販を開始するにあたって許認可はないので誰でもできるが、かつては詐欺取引の温床でもあった。業者もいろいろ、顧客もいろいろ、人間社会に問題の発生しないことはない。それはブログをやった人なら判ろう。狭い社会でも人のいろいろなら、ネットはその比どころではない。人の被害もあれば商品の被害もあり、中でも笑ってしまうのは健康食品による健康被害の実態。

健康食品に、「医薬品に該当する成分を配合したり、医薬品と紛らわしい効能を表示したり広告などは薬事法で禁止されているが、各メーカーはギリギリのところで上手い表現方法を用いてCMなどをやっている。もっとも顕著なのがサプリメントで、この用語には行政的な定義はなく、通常の食材から菓子や飲料、医薬品と酷似した錠剤・カプセルまで多岐に渡っているのが現状。

イメージ 2

ビタミン、ミネラル、アミノ酸という語句は使用されるが米国ではこれらを、dietary supplementsと定義、ヨーロッパでは、food supplementsとする。どちらも意味は、「栄養補助食品」。日本も含めてサプリメントは、「健康食品」と考えて問題ない。誰もが自身の身体の健康を重視する時代にあって、健康食品市場は拡大の一途だが、「健康にいいですよ」というCMを信じる人は多い。

何のためらいもなく購入する前にこそ、教養を発揮せねばならない。この場合は教養というより知識だろうが、「健康食品で病気が治る」わけないし、「健康食品は病気の治療に使えない」という知識に加えて、「薬を一緒に使うとダメ」というのは重要なこと。健康食品に添加されている成分と医薬品の相互作用の組み合わせから様々な疾患や副作用があらわれることがある。

あるサプリメントや健康食品が、本当に自分に必要かどうかをどうやって知るかは難しい。それならと安易に健康食品に飛びつく前に、本当の健康とは何かを考えてみたとき、自分の場合は過食改めと運動が身体によいと結論した。「健康に勝るものなし」というが、「歩くに勝るものなし」ともいう。地道だが血流が促進され、脳にも酸素を含んだよい血が届く。

脳の衰えは人さまざまだが、せめて脳卒中や痴呆で他人に迷惑をかけたくないものだが、つまりは自分の健康=他者の心の健康である。脳は人間の司令塔であるから、脳が元気になることは体にもいいばかりか、ウォーキングなどをすることで、景色や空気や触れ合い、べっぴんさんが目や肌を刺激し、それがさらに脳への刺激となって神経細胞を活性化してくれる。

イメージ 3

「どうすれば痩せられるか」の理屈満載本も多い。ボクサーを見ればわかろう、体重を減らすのは食べるのを減らすが理に適っている。ジョギングやウォーキングなどの運動による消費カロリーなど微々たるものだから、食事制限すれば確実に痩せられる。ところが横着で欲な現代人は、生活を変えずに魔法の言葉や方法を求める。努力しない方法を模索する。

一事が万事の時代である。理屈を記した書籍は山ほどあるが、理屈どうりに行かない。食べなきゃ痩せる実践はしないで理屈に頼るのは、食べる欲求を変えることなく、何かいい方法はないかを模索する。現代人は家事や交通その他とにかく楽をしたい。「苦痛を伴わぬ悦びはない」という教えは過去のもの。現代人は、「苦痛を伴う悦びなんか冗談じゃない」となる。

宗教も手っ取り早い幸福願望に映るのは、「入信したら幸福になりますよ」と言い含められら信者は多う。宗教がどう人間をどのように幸福にするかを知らないが、神仏に助命嘆願を祈りて戦場に赴き、人を殺して生きて帰れば神仏の前にて感謝の祈りを捧ぐ。なんとも穢れた行為であろうか。宗教が人間を汚すのか、それとも人間が宗教を汚しているのか?

宗教は教養か?宗教についての知識は教養であれ、信仰を教養といわない。キリスト教を止めてマルクス思想に入った亀井勝一郎は、マルクス思想からも脱した。「自分の信仰や思想に危険性について常に疑いの目を持つべき」と、遠回りながら辿り着いた境地。信じたものの否定は自己否定とは思わない。人間は過ちを犯すもの、過ちに気づくのは勇気である。

イメージ 4

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

Trending Articles