「一体に人間とは何なのか?」。「善人」だけ見ていて人間は分らない。「悪人」だけ見ていても分らない。などと人間を善人、悪人と分類をするが、はたして善人だけの人間などどこを探してみてもいるとは思えない。人間の中には誰ですら「悪」というものが住みついている。その悪ちゃんとどう付き合うか?が人間に求められる最大の課題ではないかと…
悪は抑えなければならない。すべての悪をというわけではないが、それが人間にとっての礼儀作法ではないか。礼儀作法?悪にもランクがある。万引きから殺人まで悪の範囲は幅広く、いずれも悪なら抑えなければならない。万引き常習者は万引きが悪だと思ってないのだろうか?あるいは悪とわかっていても、悪の中の「得」に魅せられるのだろう。悪の誘惑だ。
スーパーに陳列される商品は売り物だが、万引き愛好者にとっては「売り物」には見えないのだろう。万引きの経験のない自分は、なぜそう言う事をするかの動機を想像するしかないが、商品棚に置かれているものが売り物という感覚は小学生でもあるとは思うが、お金を出さないで手に入れたいとの利得が先行するのか?これが道理に反した「悪」という。
オカシナことだが、万引きする人はお金がないからやるのではなく、お金を出さずに売り物を手に入れたいというチンケな発想のようだ。それを欲といい、見つかることなど考えちゃいない。「人間のあらゆる行為は、まずは己を満足にするために行われる」という命題において、人間はだれでも自分を利することを考える。「悪」とはこんなに単純な行為なのだ。
実社会を見渡せば、「何でこの人は自分の事しか考えられないんだろう!」とか、「頼むから、周囲・他人の事も考えてくれよ!」など、あまりの無神経、無造作に腹が立つ事しばしばで、周囲に気を使う人、自己中の人、いずれも人間の本質である。何が違うのかというと、万引きも同様、その場限りの思考で後先考えない。人間は対比でみると実にオモシロイ。
人間対比の代表格といえば項羽と劉邦。二人の英雄の出自や性格の違い、人心収攬の差、さらには戦いにおける戦術・戦略を含めて、壮大な人間の葛藤ドラマである。項羽と劉邦の対比が示すものとして、強い奴が最後に滅びる、負けても玉砕せず、焼け太りが如く勢力を拡大する。そういうズルさ、大度のある人物が勝つという典型的な中国哲学がある。
項羽はたえず戦いに勝っていたが、戦に滅法弱い劉邦が最後に勝って天下を取る。判官贔屓か人気は項羽が勝る。実は司馬遷にも項羽贔屓は見え、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』もあからさまに項羽贔屓である。学問も門閥もない劉邦が力をつけていく過程にあっては、そういうものがなかったことが幸いした。曹参、樊噲、周勃、盧綰などの連中は字も読めなかった。「徳」の劉邦、「力」の項羽という対比である。では、劉邦の「徳」とは何?中国の戦争というのは、兵隊さんの後に彼らの一族郎党がぞろぞろくっついて進んでいくのが特徴で、日本で言う兵站とはずいぶん意味が違う。そういう人たちにいかに食料を供給するか、が、政治の最大眼目だといって過言ない。劉邦についていけば飯を食わせてもらえるという民。
そういう人が劉邦傘下に集まった。『三国志』の諸葛孔明は巴蜀の地を押さえ、そこで兵を養うという戦略を取ったように、経済的なものを押さえることに最大の眼目を置いていた。洛陽の含嘉倉という巨大な食糧倉庫の遺跡をみると、劉邦もこうした食糧貯蔵地を押さえて動いていたし、これは蕭何の仕事である。それが劉邦の最大の強みだったのではないか。
項羽とて兵站の重要さくらいは判っていそうなものなのに、あっさり関中を捨ててしまうところなど、項羽には全体を見渡す目がなかったようだ。何より劉邦には蕭何という有能な軍政家がいたのは大きい。劉邦は天下を取った理由として、張良、蕭何、韓信を傑物と評価し、自分はその傑物を使いこなしたことを挙げ、項羽が敗退した理由をこう述べている。
「項羽には范増という傑物がいたが、彼はこの一人すら使いこなせなかった。これが私の餌食となった理由だ」。范増だけではない、陳平にしろ韓信にしろ、元は項羽の幕下にいた連中であり、彼らは項羽のところで能力を発揮する事もできたはずなのに、自身に力があり過ぎた項羽にそれが見えず、無能(?)の劉邦には人を見る能力は自然と備わったのだ。
楚の名門貴族を家系にもつ項羽が叔父の項伯を大事にしたように、一族や同郷の人間には愛情を注ぐが、それ以外の人間は単なる道具としてみていた節がみえる。嫌なやつはとことん憎むというところも項羽らしい。中農出身の劉邦はそういった感情の起伏がなく、とりあえず役にたてば誰でも結構、これが「無学無名」人間の強みである。物事に拘りがない。
不足の劉邦には多種多様な人材が参集してくる。韓の宰相の家に生まれた張良、口弁さわやかな遊説家の陸賈、読書量が半端ない陳平や驪食其、国士無双韓信に勇将彭越、彼らは生え抜き連中と違って同郷意識はなく、劉邦の人間的資質を認めて集まった連中だ。そういった「烏合の衆」を的確に見抜く眼力、適材適所に配置する能力が劉邦にあった。
組織のリーダーたる人物は下層の出であれ、どこか拠り所がある。幼少時のガキ大将的体験、遊びから得た人間関係から身につけた素養が、人を動かすリーダーとして大いに役立っている。「燕雀いずくんぞ~」、「王侯相将~」の陳勝、呉広も傭耕出身でありながらも上に立つ資質があった。でなくば、一時的にせよあれだけ大規模な組織に号令し動かせないだろう。
項羽や信長のような独断専行型のトップに仕えるは大変、仕えるなら秀吉、劉邦タイプ…などの巷の声を耳目にするが、劉邦、秀吉のような人間に仕えるのは実は大変で、自身を無にし、出世を望まず、主人に献身型の人間であるなら、秀吉、劉邦は理想のリーダーだが、いかんせん彼らは「猜疑心」の塊。対立心や謀叛気が少しでも見えると危ない。
天下を手に入れた後に劉邦は、功績のあった韓信、彭越、黥布を殺した。いずれも独立心強く、謀叛気のある連中である。その一方、挙兵時から付添った者は最後まで大事にしている。劉邦は献身的人間と独立を狙う謀叛気ある人間をしっかり見分けていたようだ。好評のNHK大河『軍師 官兵衛』も佳境に入ったようで、しかし、なぜ官兵衛はあれほど冷遇されたのか?
秀吉が家康以上に官兵衛を怖れたのは与えた異常な石高にも現れている。秀吉が側近に自分の次の天下は誰かとの問いに、如水であると言ったという。真偽はともかく、嫡男長政の石高への不満、朝鮮出兵の際の不満が関ヶ原に繋がった。史実的にいっても官兵衛が三成方に組するなどありえない。「猜疑心」が高じるとみなが敵に見えのは孤独な王の定めである。
劉邦や秀吉は人間を見る目が鋭い。仕える側はたえず気を使っていなければ、いつなんどきあらぬ嫌疑で捕らえられ兼ねない。張良も陳平も蕭何らも、殺されはしなかったが、生き延びるために非常に気を使った。そこを考えると項羽に仕えた方が楽かもしれない。ヤツならいくらでもごまかしがきくし、見えてるところだけ気をつけていればいいわけだ。
「猜疑心」という見えない怖さは、勇猛で単純な項羽には持ち合わせない情動だ。仕事においても厳密な管理はせず、逐一評価などなくとも、勝手にやらせてくれる項羽型の方が力を発揮できそうだ。収入や出世や地位といった欲求願望より、自分の好きに生きたいという環境が自分には合う。性格は異なるがいずれ劣らぬ能力保持者の、いいとこ取りはムシが良すぎる。
女三人を前に、顔はA子、ボディはB子、性格はC子と言っても挿げ替えは無理。ならば三人もらえばいい。劉邦陣営の三傑は韓信、張良、蕭何だが、頭の良かった張良は仙人になるといい、蕭何はわざと隙をつくり、一たん捕らえら、投獄されて危ういところを助かった。軍事には長けていたが、小ズルさ、大ズルさのなかった「猜疑心」の網にかかって殺された。
劉邦と項羽とどちらが頭がよかったか?断然劉邦だろう。頭のよい(偉い)定義はいろいろあるが、自分の定義でいえば劉邦ということになる。名門貴族の家系に生を受けた項羽は、幼いときから叔父項梁の影響下に育つも、なかなか手を焼かせる子どもであったらしい。項梁が読み書きを教えても、「読み書きは自分の名がかければ充分」とうそぶく。
将軍の家柄であるから武術の鍛錬が課せられるが一向に上達しない。項羽は言う。「剣術というものは、所詮相手一人だけを倒すもの。そんなものを稽古して何になる?どうせやるなら万人相手に戦う術でなくては…?」。それではと項梁は兵法を教えた。項羽は喜び勉強したが、要点だけを掴むとそれでオワリ。少年期の項羽はそういう利発さがあった。
司馬遷は『史記』で項羽の生涯を総括し、古の賢者の言、古の歴史の事例を学ばなかったことを批判した。一方の劉邦は生来の怠け者で、農工などは一切やらず、手下を使っての盗みに乗じていた。こそ泥ではなく、金満宅からゴッソリ奪って仲間に分ける。気前がよくて大らかな劉邦のところへ人は集まった。30歳で役人に採用され泗水の亭長に任命された。
やがて様々な問題を解決する沛県知事(沛公)に担ぎ出される。劉邦も項羽も学問には無縁であった。近年頭のよい子どもというのは学校の成績といわれている。自分はこの場で子どもの勉強を批判する書き込みをするけれど、勉強をしたい子どもにするなとは思わないし、一言もいっていない。勉強嫌いに無理やりさせるのは「どうだ?」と言ってるつもりだがよく誤解される。
「嫌いだからやらないでいいんでしょうか?」という母親がいた。「あなたは嫌いな勉強を一生懸命やったの?」、この言葉にうろたえる母親は、決まって「わたしがしなかったから子どもには…」と言う。こんな都合のよい論理って誰が考える?あの時代は、無理やり塾に押し込んで強制的にやらせるシステムがなかったから、この母親は無理強いされずに済んだ。
そもそも勉強とは教科書を記憶すること。だからか、今の小学校でやっているような勉強というのは一種の「芸」に思えてならない。猿回しの猿に芸を教えるようなもの。不要とは言わないが、目くじら立ててやるものか?100点取ったというのは、教科書を覚えたということだから、教科書を丸暗記した子が頭がいいなどとは全く思わない。「芸」を覚えたという認識だ。
学問とは社会で物事の有りようや、その展開や、応用など、必要性に鑑みた有益な知識を持つこと、身につけること。必要なときに必要な知識を持っていないと、これほど困る事はない。学問から得た知識がない人間は確かに無知であるが、経験でカバーできる。が、どうしても知識がないと収拾できないことが多い。そういう人はそんな事案から逃げるしかない。
逃げてもいいけれど、逃げないで向かっていける方がオモシロイ。結局、様々な知識を持ち、様々な相手と対等に渡り合うのはオモシロイということ。逃げてオモシロイわけはなく、勝ち目がないから逃げるに過ぎない。正論吐くなら誰でもできる。らしき事は書物やネットに乱舞する。それを覚えるのは勉強だろうが、正論は相手に納得させてこそ頭の良さである。
自分の意見が正論であったとしても、突き崩す理屈や意見ははいくらでもあるが、それらの意見を論理的に排斥できてこそ正論所有者であり、相手を納得させてこそ賢者である。学問とは知識を携えておけばいいのではなく、交渉術、説得力、洞察力も含めた総体である。勉強は「芸」と言ったが、本からのみ学ぶという学問も、それだけでは「芸」に近い。
体験も学問である。人間学、社会学、自然科学、人文科学、歴史、哲学、様々な要素が体験の中に存在する。極論すれば体験こそ学問である。「体験=生きた知識」という言い方をするが、レシピを読んで頭で作る料理と、実際に厨房でこしらえる料理といえば分りやすい。知識だけで満足いく料理はできない。そこには加減や技、感性の要素が必要だ。
勉強はたんに入試などの目的のための学力向上のためで、終れば用済み。学問はよりよく生きるための実践的な知恵。教科書を丸暗記した人間が決して賢くないといったのは、暗記は暗記、応用力ではない。勉強が嫌いな人間には、まずは学問の重要さを説く。学力は受験のために向上させるという目的はあるが、東大に入って「勝ち組」なら、ごくろうさまでした。
製造者の特権意識が満喫できてよかったね、その事は素直に喜んであげられる。決して羨ましいとは思わないが、人の価値観を人が達成できて、それを喜べない人間は卑屈だろうな。あとは、親が子どもに手をかけ過ぎたこと、そういう密着型の子育ての最大の欠陥は、子どもに「個」が芽生えるのを摘み取っていること。そこが気になるといえば気にはなる。
人間は基本的にも、最終的にも「個」であって、他人は自分に何もしてくれないとぼやく人間、不満を抱く人間は、親の子への癒着が甚だしかったのではないかと想像する。人が自分に何もしてくれないのは当たり前のことなのに、共依存で育った子どもにはそこが分らない。依存心ばかりが育まれて、他人に何ごとかを要求ばかりする大人になる。
「個」の確立」が如何に重要であるか、キチンと自立がなされたもの同士が上手く協調できる社会である。ワガママに育った夫や妻が、協調家庭を築けない理由の一つに「猜疑心」という心の闇がある。携帯電話盗み見のトラブルが多いが、そういうことをするように育ったのは間違いない。受動的な言い方だが、親の視点でいえば、そういう子どもに育てた。
人の生の目的は、「個」を確立させ、集団に溶け込み、社会に馴染んで行くこと。「個」対「個」にあっては警戒心や疑念も必要だが、それらを含めて「猜疑心」という。「猜疑心」が多くの誤解を生み、争乱を生んだことは歴史に学ぶ。「私」と「公」、「自」と「他」、「個」と「集」を上手に存立させること。確かに「個」対「個」は、最小単位であるだけに難しい。