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Channel: 死ぬまで生きよう!
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五賢人 加藤諦三 ④

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加藤は長らくラジオニッポン放送の「テレフォン人生相談」をやってきた。1970年代前半より出演しているが、正確な初出演日は本人も覚えておらず、ニッポン放送の記録にも残っていない。2005年、ライブドアのニッポン放送株大量取得に反発し、ライブドアが経営権を握った場合「テレフォン人生相談」を降板することを表明したが、騒動が落着したことで続投が決定した。

忌憚なく率直な物言いをするので、相談者にも批判されることはあるようだが、相談の種にも様々あって、本当に解決を望み求める人もいれば、聞いてもらいたいだけの人も少なくない。その辺のことは加藤自身にも分かっているが、どういう相談者であろうと相談者の意図がどうであろうと、加藤は差別や区別をすることなく真剣に対処をする。ただ聞いてあげるだけなのも仕事であろう。

相談者にいろいろな人がいるように、何が気にいらないのか、上記のような横やりを入れたい人もいる。こういう書き方は批判というより気晴らし的だし、横やりの多くは腹いせであろう。加藤に、“人を救う”などのおこがましさはないが、他人を蹴落とすことを意図する人間は、勝手な抗弁言葉を創作する。また、年代の若い人には、「もうお年なので考え方が古い」との意見もある。

女性だからと甘くない加藤は、辛辣な意見をいうことで女性に嫌われることもある。相談というより聞いてもらいたいだけの人は女性に多く、そうであっても加藤は適当なことはいわないで真剣に向き合う。だから、うっとうしいクソジジイと思われるのだろう。他人に依存する人は基本的に自分の意図する考えを良しとするが、これが自ら考えようとしない依存の実体であり本質であろう。

他人に何かを頼んで文句をいう人に、頼む資格はないと思っている。これが長年で得た自分の考え方である。つまり他人は、自分の期待通りにならないということだから、頼んだことをやってくれただけでも礼をいうべきで、期待通りにならないからと文句をいうのは、そのように思った時点でバカである。と、このように自分に言い聞かせると、バカにならないで済む。

加藤の半生は教職に身を投じたといってよい。したがって、若者向けの直作が多く、これは先人が後人への必然的な老婆心であろうが、他人からの忠告や助言は、たとえ師であれ親であれウザイものであろうから、加藤は押し付けるのではなく、彼のもつ知識や素養を軸に自己啓発を促すようアドバイスをする。それでも自分の思考にない事は受け入れられないもの多し。

「受け入れろ」とはいってないが、そういう反発心が若者の特質である。青春期というのは、様々な可能性を含んだ混沌の時期である。自分が何になるかわからないが何かになれそうだと思うのは大事だ。夢も抱きロマンチックになるのも若者に共通する要素である。ただし、夢は大事でもその実現のためにいかに努力と苦痛が伴うかで、その時点でしり込みしてしまう。

未知の可能性がある点において、青春は甘やかされるべきではなく、自分で自分を甘やかせてもいけない。そのためには苦労を有難いものとし、光栄と考え、厳しく自己鍛錬をすべきではないか。しかし、こういう考えがそもそも「古い」というなら、努力もせずに自分を甘やかせて生きるのが良いということになる。顕著な例が親に依存したニートなどの実態であろう。

誰でも自分に厳しくしたくはない。他人からも厳しくされたくない。その結果がどうなろうと受け入れなければならない。厳しく躾なかった親にも責任はあるから加藤や亀井ら賢人は、そのような若者でいて欲しくないから、彼らが自己啓発をする礎になろうとする。だから、彼らの言葉に批判を抱くなら別の誰かを探せばよいのであって、文句をいっても解決しない。

人には自分が信じたいものを信じる自由がある。だから、他人の考えや意見が正しい、正しくない以前に、信じたくないというのはあっていい。気にいらない相手を批判しなくても、信じなければいいだけだが、ついつい批判をしてしまう。他人が自分のことをどのように見ているかは、他人の言葉の中にある。だからか自分は、とりあえず相手の視点に立って自分を眺めるようにする。

そうすることで相手の自分への批判の本質が見えてくることになる。批判を嫌がるわけでもなければ制止するつもりもないが、相手の気づかない視点については遠慮をせずに自分の意見を述べる。それによって相手も気づくこともあろうし、一考することもあるなら良しとすべきである。たとえ相手の発した批判であれ、双方の利益になるというなら、リベラルな生き方といえなくもない。

インターネット時代の情報化社会は多様性があるようにみえて、実は個々の人たちは自分の見たいものだけを選んでみていることがほとんど。自分たちが求めぬもの、望まぬもの、見ることで不安にならないようなもの、そうした情報を選別して見ているようで、これでは健全な批判精神は養われない。相手を槍玉にあげて罵倒するなど、批判を非難とする不健全な時代である。

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