田原が『現代の眼』で加藤批判をしたのは38歳、加藤は34歳だった。その2年前の1970年の週刊朝日(11/27号)には、「いま頼られている日本の『ココロのボス』10人」の中で、加藤(当時32)は最年少で選ばれている。他の9人は、寺山修司(34)、大江健三郎(35)、小田実(38)、池田大作(42)、三島由紀夫(45)、吉本隆明(46)、司馬遼太郎(47)、羽仁五郎(69)、松下幸之助(75)。
田原は加藤との初体面の印象を、「決して無神経な饒舌家でも非常識な毒舌家でもなく、きわめて節をわきまえたむしろ聞き上手に属する人間」と評したが、田原は加藤の著作『俺には俺の生き方がある』一冊のみを読んで、不満や異論が随所にあるとしながら、「真理とは実践であり理論にあらず」と、「人生に大事なことは勝つことでなく努力すること」の二点は共通認識という。
生きることは行為である。行為し、行為の中から何かを発見し、発見することで自らを変革する。のんべんだらりと生きてるようでも行為である。が、行動しない人間の頭は肥大する。彼らは辻褄のあう論理を巧みに操り、拠り所にして生きるが、行為(実践)とは辻褄の合わぬことばかりである。それに対処する知恵なり技術なりは、行為する人間にしか身につかない。
行為は状況を変え意識すらも変えるが、意識はまた状況によって変わってしまう。行為とは理屈通りにはいかないもの。恋愛も行為であって、すれば分かるが、恋愛に理屈は通用しない。日々が移り変わるものだからか、昨日と今日で状況がまるで変わってしまう。意識が状況を変え、状況がまた意識を変える。現実とはどうして理屈どおりに行かないものなのか。
誰もが批判はするが、なぜ批判ばかりするのかを考えてみる。批判することで自己の貧困な思考を隠蔽できるからでは?批判というのは案外と楽にできてしまうが、対案あってこそ批判も生きるもの。だからか、「お前はバカ!」は論理の批判にあらずだがそれをやる。人格批判も批判であるとばかりにそれをやる。そんなもののどこに説得力があるのだろう。
対談後田原は加藤の著作、『変革期の哲学』詳細に読んだといい、これに対する以下の批判を述べている。「初めから最後まで違和感と不快感を惹起する言葉で埋め尽くされていた。あの物分かりのよい加藤が、なぜにこうも読み手をハラハラさせるわかりにくい文章を書き連ねるのだろうか。全頁に氾濫する不快語を並べたら、彼の書いた本一冊分くらいになってしまう」。
以下は『変革期の哲学』の一節だ。「人間は自分が生き易いように生きるならば、その生活のなかにはどうしてもウソが生まれてくる。というのは、誰もが知るように人間は善でもなく悪でもなく、その中間でウロウロしているからである。形成された自我と生まれたままの自然と、その間に入って引き裂かれているからである」。加藤は先天的素地と後天性格の差異を捉えていう。
「生き易い生き方」というのは、無理をせずに楽に生きることのようだが、そのように生きるとウソが生まれるという。人間がウソなくして生きて行けるのか?「ウソはよくない」、「ウソはいけません」と母は子どもに教えるが、ウソをついて生きてきた親が、ウソはダメとウソをついている図式である。大人になれば分かるが、ウソのなかには人間としての暖かさもあるものだ。
心のやさしい人間は鋭く自分を見つめている。だから自分の不誠実にも気づくし、普通の人なら許せる自分の不誠実を許せない。だからこそ心がいたたまれなく悪者になる。本当に心のやさしい人だからこそ、そのやさしが本物でないと気づき、いたたまれないままに冷酷になる。見せかけのやさしい人は自分を繕うことに長けるが、本当のやさしさ所有者は冷酷となる。
正直に生きる人、自らを偽って生きる人。偽善者にはウソが、偽悪者に真実がある。悪人とは概ね普通の人より誠実でこころやさしい人が多い。だから本当は冷たく不誠実な人ほど簡単に涙を流すことができる。ある女の子がこんな悩みを打ち明けた。「わたしは涙がでないんです。みんなが泣いているのになぜ泣けないのかと思うんです。普通じゃない自分がすごくつらい…」
正直な女と思いながらアドバイスの言葉が出なかった。それほどに自分が未熟だったのだ。彼女は自らの苦しみのなかで真の自分に目覚め、成長を遂げていくことになろう。苦しみが実は善であることは結構ある。人と同じことでないということで悩む事などなくていい。すぐ涙を流すような人は一見して善人に見えるが、涙を流さずとも善なる心の所有者はいる。
相手の心を的確に掴めど、適切な助言が出ない時期もあった。人は自らのエゴイズムに苦しむが、常識的には涙、涙のときに、涙を流せないと苦悩すべきでない。一般的とか普通という言葉に騙されてはいけない。もしかすると人間にとってもっとも常識的と考えられる行動とは、実は突飛でとんでもない行動かも知れないからだ。人は他人を生きない、自分を生きるだけだ。