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『十二人の怒れる男』に学ぶ、予断と偏見

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人間の判断力は極めて不安定なものと書いた。ある事件や、人物、作品について判断する場合、大抵は自分の欲する側面しかみない。ないしは、先入観や偏見も大きく影響する。そうであってはいけない、TOTALな判断が必要と分かっていても、実際にそれを運用できるかどうか。とくに社会の出来事には著しく判断が動揺し、核心を知ることは容易でなくなった。

人間関係が多様化することで人間社会も複雑になる。さらには人間の行為自体が抽象性を帯びるようにになってきた現代社会。文明の進歩と合わせて様々な欠陥もあらわれるが、その中で顕著なものが、「過剰」である。「無為を為し、無事を事とし、無味を味わう」 (老子第六十三章) とあるが、「無為」とは何もしないではなく、行動においての無執着を意味する。

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物事を判断する場合に、判断すると同時にその判断自体に執着しない。と同時に、世間体や予断や偏見や周囲の顔色にもとらわれず、配慮もせず、ひたすら真摯な判断を心がける。「無執着」というのが自由の核心と思うが、「執着しない」といいながら人が如何に執着しているかを考えれば、自由が困難であるのもわかろう。幸いにして自分は物事に執着しない性格だ。

yahooブログが終わる?終わるものは終わればいいし、自分は何も変わらない。こうした自己訓練は平凡なことから始めるといいが、平凡が難しい。だから社会は混乱し、無用な争いが起る。自己の判断や行動に誤謬ありと気づけば、即座に認めて取り消すことこそ、平凡な行為であろう。「事は無為を以て事と為し、相は無相を以て相と為す」。これは老子の影響を受けた聖徳太子の言葉。

「無相」とはいかなる限定も与えないの意味。現実の社会は様々の限定で成立しており、いかなるものも名称によって枠に嵌められている。親といえば親、子どもは子ども、男は男で女は女、青年は青年で老人は老人だがみんな同じ人間だ。そうしたものにとらわれずに判断するのが正しいと太子は述べているが、これが難しい。人間は偏見の塊だからである。

書物からいろいろ学んだが、映画から学んだものも少なくない。シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』(1954年)は自分に大きな影響を与えた作品である。社会派ルメットの骨頂ともいえる作品で、これ以上の映画があるかと長らく思っていた。観た人もいるだろうが、今の若者はこういう映画を観ないだろう。この作品の何が凄いか、一人の陪審員の勇気から始まる。

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18歳の少年が父親殺しで起訴された。誰が見ても有罪と分る簡単な事件に思えたことで、事件を審議する12人の陪審員のうち、第一回投票では11人が有罪となった。ところが8番陪審員(ヘンリー・フォンダ)だけが反対票を投じていたのだ。彼は他の陪審員に嫌味をいわれたり、「こんな簡単な事件なのにお前は何だ!」などと罵られる。彼無罪を確信したわけではなかった。

こうして8番陪審員は様々な疑問を持ち出し、不良少年という周囲の偏見と戦いながら、周囲を説得していく過程は見事で、最後は無罪の評決を得るのだった。しかし、その中で最後の最後まで有罪を主張するのが3番陪審員(リー・J・コッブ)だった。宅配便会社の経営者の彼には、どうしても父親殺しの少年を電気椅子送りにしたかった理由が最後にわかる。

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彼は長年に渡る息子との確執から、父親殺しの被告を自分の息子と重ねていたのである。2人の目撃者がいて動機も明確にある。全ての証拠が少年の犯行を示している。少年は曖昧な発言をし、事件当時のアリバイも無い。陪審員室に集まった12名が最初にやったのは、「有罪」か「無罪」かの1回目の投票がなされた。その結果、11人の陪審員が有罪に投票したのだった。

明らかに有罪とおぼしき事件が一人の陪審員をきっかけに無罪に覆ったが、映画の見どころは8番陪審員の勇気と卓越した論理と説得力ではなく、真の見どころは、3番陪審員の執拗なる有罪支持と8番陪審への強烈なる口撃、その裏には彼の息子との確執と苦悩があった。他の陪審員が次々と無罪に変わっていくなか、人間の偏見がいかに醜いものであるかを思い知る。


 3番:「たった1人のお伽噺話を聞いて全員腰ぬけになりやがって。あんなガキはさっさと電気椅子に送ったらいいんだ!」

 8番:「あなたは少年を処刑したい。だから有罪にしたいんだろうが、なんというサディストだ!」

 3番:「こいつ、殺してやる!」と、ナイフを手に8番陪審員に襲い掛かる。

 8番:「本当に殺すつもりで言ったんじゃないんでしょう?」

 3番:「……」

議論の過程の中で被告の少年が父親に、「殺してやる!」といったことを3番はこう主張した。「殺す気も無いのに殺すと言う馬鹿がいるもんか」。それが今、我が身に降りかかっている。そのことを捉えて8番は3番をたしなめた。最後まで有罪を主張していた3番はうなだれ、「無罪だよ」と踵を返す。かくして有罪11、無罪1で始まった審議は、全員が無罪評決となる。

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