この表題は実際にあったもので“御曹司”という響きが美味である。自分は御曹司でなく我が子も御曹司ではない。熊沢英昭容疑者の息子がなぜ御曹司なのかは事務次官の息子だからだろうが、御曹司を親が殺してしまった。だから“御曹司殺人事件”となる。これが娘なら“御令嬢殺人事件”となる。東大出の元事務次官が人殺しとは、時代も時代というしかない。
おそらく息子以外ならを殺すことはなかったろうが、他人では起こり得ない動機が家族にあったことになる。殺すって行為は憎いからだろうし、生きていては困るからだろうが、親が子どもを殺していい訳がない。世間の冷ややかな反応は予測でき、それで思いついたのが、「息子が人様の子を殺すかも知れない」という体裁のいい事由。それを未然に防いだのだと…。
東大出の元事務次官ならこれくらいは考えるだろう。彼らは体裁を拠り所に生きる人種だ。当初から自分は一貫してそんなバカなと思っていた。義憤で息子を殺す親がいるか?しかし、すっかり騙されたのが橋下で、彼も父親の義憤に賛同し、「自分も同じ立場なら同じことをしたかも…」と述べている。なぜ橋下は即座に反応したのか?彼も体裁をとり繕う人間だから?
自分にはこういう発想は全く浮かばなかった。つまり、自分が熊沢容疑者と同じ立場にあったら、という仮定において思考することなど、目糞ほども考えられなかった。他人の状況や環境に自分を置いて、「もし、自分だったら…」などと疑似的に考えることはままあるが、我が息子が人様の子を殺すなどという、そういう仮定の状況を考えることなど思いもよらなかった。
理由は、「絶対にありえない」からである。「この世に絶対はない」とはいうものの、それでも、「絶対にない」くらいの想像力は働く。自分の息子は36歳で所帯をもち、2人の子と平凡に暮らしている。熊澤容疑者の息子とは似ても似つかぬ状況であって、川崎事件のようなことを起こす理由も動機もない。要するに川崎事件にはそれなりの素因があったことになる。
自分もいろいろな想像はしたが、専門家である精神科医は以下の分析をする。「川崎事件」と、「次官事件」の当事者は、同じひきこもりでも生活態様はまったく異なるが、この両者こそがひきこもりの二大類型だろいう。ひきこもりは2つに大別され、川崎の岩崎隆一容疑者のように家庭内暴力がないタイプ、他方は亡くなった熊沢英一郎氏のような家庭内暴力を伴うタイプ。
「家庭内暴力が激しいタイプは親を責めたてる。俺がこんなになったのはお前のせいだ、自分がうまくいかないのは全部親のせいだと責める。彼らはある時期までは勉強ができて、その自負が本人を支えている。が、その後にうまくいかなくなって、それをすべて親のせいにすることで暴力にいたる」。これが家庭内暴力の典型といっていいほどに親への復讐行為である。
幼いころから親に勉強を強要され、友達と遊ぶことやテレビゲームを禁じられるようなエリート家庭に多く、勉強に挫折したりと、ちょっとした歯車が噛み合わなくなったことで引きこもり、身近な親を従えて君臨して憂さを晴らす。一方の、「おとなしい」ひきこもりタイプというのは、「親を責めてもどうしようもない」、という気持ちを強く持っている。
「彼らは家族とは距離を取る。岩崎容疑者の場合は実親ではない伯父夫婦と同居し、育ててもらった恩は感じながらも接触を避け、微妙な距離感を保って生活していたが、自らはひきこもりを『否認』し、絶妙なバランスの中で日々を安定させてきたのだと思う。ところが、伯父夫婦が行政施設に宛てたの手紙から、自分がひきこもりであるという現実に向き合わされた。
それによって保たれていた距離感が崩れ、ひきこもりを続けていくことが無理だとの思いにいたり、自暴自棄になった可能性が高い」。これについて『「子供を殺してください」という親たち』の著書がある押川剛氏も同じところに注目する。「川崎のケースは、岩崎容疑者が親族を完全に従えている状態でしたが、自分より下に見ている相手から“ひきこもり”と指摘された。
それでプライドを傷つけられた彼は逆上してしまった」との見方をする。岩崎宅からは猟奇殺人事件を扱った雑誌が押収されたが、それはデアゴスティーニの「週刊マーダー・ケースブック」の「シャロン・テート殺人事件」「パリ留学生人肉食事件」の2冊であった。これらを読みながら人を殺す意志が固められていったのだろうか。すべては想像であり分析でしかない。
家庭内暴力で憂さを晴らしているタイプは、秋葉原事件や川崎事件のような無差別殺戮事件を起こす可能性は低いと自分は見ていた。それを父親の供述で多くの人間が同意したのには、橋下のバカげたコメントの影響も大きかったろう。つまらんことは早急に口に出すべきものではないが、目立ちたがり屋がワンサカ生息する社会では疑似や似非情報が瞬時に広がる。
引きこもり、家庭内暴力などの躾の失敗は、甘やかしを厳禁に子育てをした自分には想像すらできず、「自分も同じ立場なら同じことをしたかも知れない」の発想はまるでなかった。そんなことを仮定で考えられる親もいるのかと、そう思うだけ。子どもに厳しかったというのは自分に厳しかったことで、もし自分の箍が緩めば子どもはどうにもならなくなるとの危機感をもっていた。
子どもにはそれほどに真剣に向き合っていた。本気が伝わったから子どもも真剣に育ったかもしれない。ただ、厳しいとはいえ、エールや励ましの言葉は執拗にかけていた。「男だろ?そんなことで泣くんじゃない」、「辛いけど我慢しろよ。世の中はもっともっと厳しいぞ」などの掛け声は忘れなかったし、すべては子どもが社会で生きていくために厳しさだった。
自分は当初から熊澤容疑者の、「息子が川崎事件のようなことをやらかすと思った」は作り話と思っていた。運動会の音がうるさいと口論になったのも嘘だと思っていた。すべては父親が息子を殺めるための前振りで、殺人を義憤に思わせる工作とみている。息子との日常は危機感に満ち、母親を愚母と見下げ、尊敬する父にまで手を出し始めた親子関係はまるで地獄絵図。
親は息子と顔を合わせないように二階に引きこもっていた。それこそ親の思いは、「うちの子を殺して!」だったかも知れない。その思いは母親に強く、父にも気持ちは伝わったろう。息子が実家に帰って以降、家庭内ではいつ踏むかも分からぬ地雷に、両親は息をひそめていた。そんな親が義憤で息子を殺す筈がない。すべては自分たちの利益、逆恨みだろう。