『屋根』、『時代』と同じポプコン曲。われはポプコンの創世期世代なり。ポプコンこと「ヤマハポピュラーソングコンテスト」は、ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われたフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテスト。後に年2回開かれるように改訂されたが、グランプリ優勝者には自動的にレコードデビューが約束され、世界歌謡祭の出場資格を得ることができた。
第5回まではプロを対象にしたコンテストだったが、第6回以降はアマチュアのプロへの登龍門となった。あらためて紹介するまでもなく、多くのアーチストがポプコンから誕生し、現在活躍中のアーチストもワンサカいる。ただし、当時はインターネットもなく、情報が少なかったのでシンガーソングライターの人となりや情報はほとんど知ることはなかった。音楽さえあればそれでよかった。
ポプコンの最大の特徴はブサイクとブサメンの大売り出しといっていい、中島みゆきを筆頭に、高木麻早、谷山浩子、小坂明子、八神純子、小坂恭子、柴田まゆみらそうそうたるブサイクが名を連ねている。ブサイク・ブスは差別用語だが、差別意識のない自分には美女と同じ区別用語。ポプコンにブス、ブサメンが多いのは当然で、才能と容姿は何の関連もないことを示している。
女性は自分がブスだと思っていても、人からブスといわれるのは嫌だという。自分で認めるも他人が認めるのも理屈的には同じだが、これについては理屈が通じない。その辺りのところを女性にを聞いてみたが、「自分が気にしていることを他人からいわれるとイヤでしょう?」と大体が同じ答え。自分で認めるが気にはしているということだが、それって認めることか?
「認めている」のなら気にならない、気にしないのがいいと思うがそこは微妙な女心。彼女らの「認める」って何だ?「自分は将棋が弱い」と認めている。だから他人から弱いといわれて気にもならないし、自分より強い人なんか腐って余るほどいる。それからしても間違いなく自分は弱い。レベルが自分以下の者には強いとはいっても、比較の対象をどこに置くかであり、だから自分は弱い。
自分を認めているのは本心だが、“なかなかそんな風には思えない”と人はいう。「われ以外みな師なり」といったのは作家の吉川英治。自分の知らぬことを知る人間を敬愛すればいいのに自尊心が邪魔をする。「奴が知らぬことを自分は沢山知っている。だから奴より自分は賢い」と思いたい。つまらん自尊心をなびかせるより、知らぬことを教わって感謝する方が自分の為になる。
話がそれた。美少女コンテストはあってもいいが、ポプコンは容姿・容貌に関係なく音楽の才能のみを競う。楽器製造メーカーのヤマハは、元は日本楽器といったが、「楽器を売るためには音楽を売ることが先決」という根本に立ち返った。当時も今もピアノを習う子どもは沢山いるが、本当に音楽を奏でたい気持ちで弾いているか、先生にいわれた通りに弾いているかは聴けば分かる。
それにしても『白いページの中に』は名曲だ。いつ聴いてもいい曲だと思えるのは間違いなく名曲。多くの人に知られていない埋もれた「名曲」を見つける喜び。兵庫県生まれの柴田まゆみは、高校のフォークソング部に所属し、18歳の時にヤマハ神戸店に出向いて自作曲『その時まで』を第14回ポプコン予選に応募した。結果は東中国大会で作詞賞を受賞。
その翌年(1978年)には再度『白いページの中に』で応募し、地区大会を勝ち抜いて第15回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会で入賞した。同曲は同年8月にヤマハ提供のラジオ・テレビ番組「コッキーポップ」のオープニングテーマにも採用されることとなった。柴田も同曲でレコードデビューをしたが、結局シングル一枚のみのリリースで事実上引退する。理由は不明である。
ポプコン応募したときの状況やその後の経緯を彼女は以下のように述べる。「ポプコンに初めて応募したのが18才。それまではポプコンという名前すら知らなかった私は、大胆にも1曲しかないオリジナル曲を引っ提げ、力試しのつもりで予選会場へと向かった。"知らない"という事は時に無謀な事をやってしまうものだと、場違いな雰囲気の中でひたすら後悔したのを憶えています。
2曲目の『白いページの中に』でつま恋本選会へ。人一倍"上がり症゛の私の緊張はピークへと。つま恋のステージは、コントロール不能な自分というのを初めて体感した場所です。その後はレコードを1枚出したきりでほとんど活動も無く、自宅で音楽を楽しみながら時々作品を創る程度でした」。つま恋本選ではグランプリを逃したものの同曲は名曲として歌い継がれている。
カバーしたアーチストは、あみん、笠原弘子、Chieri(伊藤智恵理)、Rizco(リツコ)、上原多香子、岩崎宏美、きんくら(Kinkula)、藤田恵美、良元優作、茉奈・佳奈、八神純子、普天間かおり、石井竜也(カールスモーキー石井)など。柴田のWikiには、生誕2月3日とだけ書かれている。様々な要件から明らかになる生年を隠す気持ちというのは、本人のみが知る謎としておこう。