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妄想で息子を殺す親

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東京都練馬区の自宅で長男を殺害した容疑で逮捕された元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)は警視庁の調べに対し、「長男が子どもたちに危害を加えてはいけないと思った」との趣旨の供述をしていることが警視庁への取材でわかった。息子が事前に起こすであろう無差別殺人を予感したことになる。予感やインスピレーションや想像は誰にでも備わるものだろうが…

それを能力ともいったりする。我が息子に対し、親が懸念し、想像力を発揮して殺したのだと…?そんなバカな!起こってもいないことを起こるであろうと予測し、食い止める行動が殺人であることに驚いた。予知や予測はあくまで、「たら」でしかないが、「たら」で殺人を起こしたと父は供述したというが、この父親の言い分を、警察や司法はどのように判断するのか?

起こっていないことを、「確実に起こると予想した」。こういう理由だけで、動機だけで、親が息子を殺すことができると自分にはどうしても思えない。起こっていないことを絶対的な確信をもって、「起こる」と予測したといってみても、実際は起こってみないうちは、「正しい行為」とはいえない。それからすれば今回の息子刺殺事件は突飛であって、正当に評価はし兼ねる。

「うちの息子は子どもを殺す可能性がある。だから事件を未然に防ぐために息子を殺した」ということだろ?こんな論理が通用して正義と崇められるなら、いかなる殺人にも口実がつけられる。「殺人が起こる前に殺人を起こすであろう者を殺した」という言葉を信じる者がいるのだろうか?少なくとも、自分にはそんな論理を信じることはできない。殺す相手が息子でなくとも他人でも。

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思うにこの親は長らく抱いていた息子への憎悪を殺人計画として実行するために、川崎の事件が強く頭を巡り、「息子は川崎のような事件をやらかすかもしれない」という自己妄想がどんどん拡大してゆき、遂には息子の殺人を実行する引き金になったのでは?人の起こすあまりの大それた行為の裏には、理性だけでは判断しきれぬ自己妄想的な思い込みが存在する。

父親が長男を殺めた日の朝は隣接する小学校で運動会が開かれていた。「運動会の音がうるさい」と言う息子に父は注意をしたと述べている。「子ども運動会くらい許容しろ」くらいは言ったのではないかと想像するが、注意後に息子が不機嫌になったのを見た父親は、「怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」と感じたという。殺人はその数時間後に起っている。

息子の不機嫌な態度から、川崎事件のようなことを息子が起こすのではないかと思ったのだという。思うのは自由だが、そういう考えに増幅されたと解釈もできる。息子がその際、「川崎の事件のようにガキを殺したろうか!」と親に向けて言ったからとしても、普段から息子を持て余していた。息子の言葉をすぐに川崎事件と結びつけたのは、殺す口実を模索していたからでは?

夫婦げんかも親子げんかも、一般人のけんかも罵り言葉が乱舞する。「ぶっ殺したろか!」という言葉も普通にでる。が、そんなことをいわれたからと、先手を打って相手を殺すことはない。「子どもをぶっ殺す」といったからと息子を殺す親は、どうにもならない処置に困っていたからだ。そんな息子を殺す口実として川崎の事件に背中を押された。これが自分の推測だ。

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息子と両親は別々に暮らしていたが、5月下旬に自宅に戻ったことで3人暮らしとなる。夫婦水入らずの平安な日々に雷鳴鳴り響いた解釈できる。それを示すように、事件は息子が親元に帰った直後に起っている。父親はこれまでの調べに、「長男は引きこもりがちで、私と妻に暴力を振るうこともあった」と話しており、「暴力は中学生の頃からあった」と明かした。

「殺すしかない」と書かれた父親のメモも見つかっている。警視庁は父親が精神的に追い詰められていたのは間違いないとみて事件の解明を進めている。本年5月、那覇市の自宅で息子(42)を包丁で刺し切りつけて殺人未遂の罪に問われた父親(70)の裁判員裁判で、那覇地裁の佐々木公裁判長は24日、懲役3年(懲役同7年)、保護観察付きの執行猶予5年の判決を言い渡した。

佐々木裁判長は、「強固な殺意に基づく犯行で、被害者には重い後遺症が見込まれ結果も重大」と批判したが、殺意をもって息子を切りつけた父親には猶予刑の判断がなされた。今回の事件で、「父親は子育ての失敗の責任をとった点で評価できる」との意見もあるが、子育ての失敗の責任が何か、親がどのように責任を取れるのかについての答えを持たない自分である。

「親として取りようもない子どもの責任」。そうした取り返しの利かぬ子育てに真剣に取り組んだ。ここに幾度か書いたが、「子育てとは子どもの甘えを排除すること、我慢を育むこと」とし、親が折れなければそんなに難しいことではなかった。幼児期にこそ厳しく後は緩めていけばいいが、もっともカワイイ時期に甘やかす親たちを笑ってみていたのが懐かしい。

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