諸葛孔明は『三国志』の主要人物として有名。「三顧の礼」で蜀に迎えられたが、それほどに傑出した人物であった。彼の智略・策略は随所にみられるが、三国のそれぞれ勇たちも劣らぬほどの人物だった。魏の曹操は術策によって人を操縦し、蜀の劉備は情で人と結ばれ、呉の孫権は意気によって人を引き寄せた。この三者を兼ね合わせたのが孔明であろう。彼には人事に関する名言がある。
「人のために官を択(えら)べば乱れ、官のために人を択べば治まる」。これは後に聖徳太子が『十七条の憲法』のなかに取り入れている。「ゆえに、いにしえの聖王は官職のために人を求めたのであり、人のために官職を設けることはしなかったのである」(第七条)。賢人に対する賢妻の存在も捨て置けない。歴史上の賢妻のなかで筆頭にあがるのは山内一豊の正室・千代ではないだろうか。
一豊の出世や栄華は千代あってのものといわれている。その他の賢妻として有名どころを挙げるなら前田利家の妻であるまつが有名で、秀吉の正室ねねも劣らぬ賢妻ぶりを発揮した。少しばかり色が変わるが、武器を手にした勇ましい賢妻を挙げるなら、本多忠勝の娘で真田信之の正室である小松殿、木曽義仲の側室巴御前らの名も忘れることはできない。いかにも戦国時代の賢妻を示している。
小松殿や巴御前は「勇婦」と称されている。神話の時代からこのかた女は体力的には男に敵わない。ところが、木曽の育ちで源義仲の愛妾巴御前は、男勝りの強弓を引く一人当千のツワモノだった。荒馬を乗りこなし、難所もやすやす超えていく一方の大将格であった。「ともゑはいろしろく髪ながく、容顔まことにすぐれたり」(「平家物語」)とあるようにそこそこ美人であったらしい。
歴史上の才媛として紫式部・清少納言は必須であろうが、義経の愛人で絶世の舞の名手だった静御前も才媛に加えておきたい。式部らとは色味がちがうが、日本史のスター級であり、見逃されているのは男装の麗人であった。白い水干、金色の立烏帽子姿で袖ひるがえして舞う姿はいかにも優雅であるが、水干・立烏帽子は男の装束である。ただしこれが白拍子の舞台衣装でもあった。
白拍子は元々は神に祈りを捧げる巫女として起こったが、人気のあまりに引っ張りだことなるが、白拍子は神聖な巫女というより遊女との説もある。静は頼朝の追っ手を逃れて義経と逃避をするも、女人禁制の吉野で義経と別れて捕らえられてしまった。鎌倉に連れてこられて詰問されるが、義経については知らぬ存ぜぬぬの一点張り。静が舞の名手であることを知る頼朝は彼女に舞を命じた。
鶴岡八幡宮の神前に舞を奉納せよとの口実である。ところが静は義経を恋る歌をを舞ったことで頼朝は激怒、妻の政子がなだめる一幕があった。静のこの時の心境たるや、「ザケんじゃねーよ。こんなときに鎌倉バンザイの歌なんか歌えるか!」との魂胆でやらかしたのだろう。義経を想う一途な静を、敵に媚び諂うことのない利発な女と称したい。彼女にその資格はある。
静の実の母である磯禅師はその後も頼朝の機嫌をとり、鎌倉武士に媚び諂うなど、「長いものには巻かれろ」という生き方をするも静はちがった。彼女の心底を現代風になぞらえるなら、首相主催の文化人パーティーの席上で、「私の夫は先の戦争で死にましたが、この国の政府は靖国に英霊と奉じて責任をとったおつもりか?私の夫を今ここに返してください!」と、静はいったのである。
「賢さ」というのは、何者をも怖れず動じぬ心の表明ということもいえるが、ただいうだけではなく、説得力という英知も必要となる。「無学」を怖れる必要などなにもない。「無学」という用語は仏教から来た一つの知恵であって、「知識の私有化への否定」であると同時に、「人間の分別なるものへの懐疑精神」であろう。さらには、「自己放棄としての無学は無心といってもよい」。
「私は地道に学歴もなく独学でやってきた。座右の銘というのではないが、『我以外皆師也』と思っている」と、これは吉川英治の言葉であるが、時々思い浮かべてみる。謙虚さの鏡といえるこうした心境になれる自信はない。「奉仕」というのは、「無心」となって初めて意味を成すとは思いつつ…。「隣人への愛」という言葉は美しいが、けっして誇示するものであってはならない。
人間は自身の善的行為に対していかばかりか自己満足に陥り、そのことを幸福と思い込むことがある。つまり、幸福の自己判断は危険といえなくもない。であるなら、幸福の概念はどのように授かるべきものなのか。「無心」のうちに、それは自ずからに宿っているものかも知れぬ。誰に誇示するでもなく、己に慢心することもなく、一人静かに浸るものなら、それは「想い出」のようなもの。
中三の時に他校から転校してきたK、彼女のあり余る才媛ぶりには驚きの一言だった。彼女の母親は、毎日朝まで灯りがついて勉強しているので、身体を壊さないか気が気でないとこぼしていたほどだ。その彼女が卒業文集に書いた言葉が、「想い出は懐かしいもの淋しいもの。一人静かに偲ぶもの」。才媛・才女の彼女は、おそらく漱石の『夢十夜』を読んでいたと推察する。