賢人の書を読んでも賢人になれない。アランの『幸福論』に「汝自身を知れ」とあり、「自分が自分にとって最大の敵」と説明するが、人は他人に厳しく自分に甘いのが一般的だ。即ち自分の最大の敵は自分であり、自分の欲は他者への奉仕より激しい。これを認めるところが、「自分を知る」ことになる。知ってどうするかの前に知ることによる恩恵はある。必ずや生きる力になるはずだ。
自分を知ることで己の欲を当然とするか、醜いと感じるかにぶち当たる。誰にも欲はあるが、欲についての加減を考えることになる。欲は善悪の問題にもかかわるばかりか、人間の性質を大きく左右する。また、自らについて思考するのは苦悩との戦いである。自分の最大の敵は自分。「自分を超えろ!」という言い方もあるが、自分を超えるとは、「自分を甘やかさない」ことでもある。
「人には厳しく自分に甘い」人がいる。人間の基本的性向からしてこれは当たり前のことだが、自分と闘うことで自分に厳しくなろうとする。自分に厳しくして何の得になるのだろうか?自分に厳しくといってもいろいろで、自分に厳しく他人にも厳しい人。自分には厳しいが他人に優しい人。などがあって、どちらかを目指そうと思えばできるのか?おそらくできるのではないか。
「人に優しくできる女の子になりたい」とある思春期の女性がこぼしていた。「なれると思う?」と聞くので、「自分なりに無理をしない方法を見つけられるとできるんじゃないか?」と答えるべきだが、どう答えたのだろう。記憶にない。いろいろ問われることはあったが、どう答えたかは覚えてないものだ。言葉だけかもしれぬが、自分に向き合おうとすることは良いことだ。
自分に向き合うことで先ずは自分を知り、それからどうするかということになる。事実を認めないことには進むことはできない。「将来のことを考えると絶望しかない」という奴がいた。どういう絶望か分からぬが、絶望しかないなら考えない方がいい。まあ、自分なら絶望をつき詰めて考えるから、善きにつけ悪しきにつけ、何事も怖れることなく考えるだろう。
自分の弱さや欲を認めない生き方は楽かも知れないが、楽でいいわけはないと考え人間は、自分の不足を向上させようとするし、これを前向きな生き方という。楽に生きて壁に突き当たらないとも限らないし、その時のために手立てを考えるのかも知れない。将棋相手に、「これでいいと思って指してる」が口癖の人がいる。敗色濃厚なのに、それでも「いいと思っている」という。
楽観的なのか、強がりなのか、おそらく後者だろうが、本人には染みついてしまっている。正確な状況判断ができていないので、気づいたときは収拾困難な状況になる。いつもその繰り返しであたらためようとはしない。こういう人を見ると気の毒だなと思うが、それがその人の生き方なのだ。プロ棋士の多くは状況判断を悲観的に捉えており、それだけ用心深いということだ。
楽観的になって手痛いミスを沢山してきたことで培われた境地と考える。強がり、威勢のよさで将棋は勝てるものではない。楽を志向する人は壁にぶち当たったときに逃げようとするんだろう。逃げることが解決法なのだ。逃げるのはとりあえずの解決法で、一時凌ぎの思える。そんなことをしたことはないし、折角頭があるのだから、考えることもまた楽しである。
逃げて楽しいなど思ったこともない。もっとも、逃げる人は困っているからだろう。「備えあれば憂いなし」という言葉が好きだった。「備え」を身につけるために人は頑張るのかも知れない。「備え」のある人間は強いし、「どこからでもかかってこい」と自信に満ちる。そのために知識や体験が肥やしになる。良書を選ぶべきだが、経験というのはどんなものでもプラスになる。
「人に厳しく自分に甘い人間」がいる。どちらかろいうとこれが普通だ。大なり小なり人はそういうものだが、限度が問題になる。「知る」ということは、自分が知らないことを知るのも「知る」だが、知っていることを知っているとするも、「知る」ということだ。しかし、「知っていること」と、「知らないこと」と、ハッキリ区別するのは難しい。「人に親切にするのは善いこと」という。
が、「善い」とはどういうことか?と聞かれて答えに窮する人が多い。自分の良心を満たすことなのか、相手を喜ばすことだからか、問い詰めてみるとわれわれは何も知っていない。そんなことでさえ知らないのだ。知る世界と知らない世界を区別できない中で生きている。「いじめはよくない」。言葉は知っているが、なぜいじめがよくないのかを知らないでいる。
では、「いじめがよくない理由を知ればそれをしないでいられるのか?」ここが人間の複雑さ、不可解なところ。いじめも、いじめ自殺も、ただの人殺しも、その他一切のことは、人間という不可解な謎から起こるのか。他人を見下げたり笑う人は多いが、なぜいけないかを知らずに生きている。むやみに他人を笑わぬ人は、自分も同じ線上に生きていることを知っている。