感情的になって他人をどぎつい言葉で批判する物書きがいる。そうした挙動はベストセラー作家といえど、三文文士に劣らぬ品位の無さである。世俗の些事雑事に口出しし、他人をあげつらうのが余程好きなのは伝わるが、暴言を吐く、他人を貶して自信を奪うなど、自分の思うがままに事を運びたい、あるいは全てを支配したいなどの振る舞いをする人間をこれまで幾人も見てきた。
他人への攻撃で優越感に浸りきって自己満足をするのはいじめそのもで、こうした大人社会の縮図が子どものいじめに寄与しているのではないか。人間社会において様々な諍いが生じるのは古今東西変わることはないが、近年は、「何でそんなことにまで口をはさむのか?」という事例が目立っている。他人を寛容できない人間が目立つようになったのはネット社会の負の遺産であろう。
匿名社会が批判や非難を増幅させるのは分からなくもないが、「俺は姓名素性を隠すことなく露わにして批判をするのだから、そこらのケツの穴の小さい人間とは違う!」とでもいいたいのだろうが、現わさんでもいいし、些細なことに口出しして相手を傷つけるようなことは止めたらどうだ?今回の発端は、古市憲寿氏による百田氏の『日本国紀』(幻冬舎)批判であった。
古市氏をテレビで見かけることはないが(テレビを観ないこともある)、売れっ子論客らしくも、世代観の差なのか自分の肌に合わない。それはともかく、古市氏による問題の文は、新潮社のPR雑誌『波』で連載している「ニッポン全史」の最終回(3月号掲載)のことだ。副題は「歴史を語ることの歴史」。このなかで古市は、百田の『日本国紀』を“話題の書”として取り上げ、こう紹介している。
「また現代史では、『大東亜戦争は東南アジア諸国への侵略戦争』ではなかった、「南京大虐殺」はなかった、韓国の主張する「戦時徴用工強制労働」は嘘であるなど、これまでの百田の主張が繰り返されている」。さらには、90年代のベストセラー『教科書が教えない歴史』(藤岡信勝著)や、『国民の歴史』(西尾幹二編)と比較しながら以下のように述べている。
「当時流行した日本史の特徴は、読者に勇気を与えてくれるという点である。彼らはそれまでの日本史を『自虐史観』だと批判し、日本人は“誇り”を取り戻すべきだと訴えた。“大東亜戦争は正義の戦争だった”など、百田が『日本国紀』で主張する内容と近い。というか、“ネトウヨ”と呼ばれる人々の思想的原点のほとんどは、90年代の歴史認識論争にある」。
これに対し、百田氏は「ウソを書くな!ボケが!」と怒りのツイートを返す。古市氏は、「ゆでダコじゃあるまいし、顔を真っ赤に湯気までだして何というザマだ?」などと言い返す骨のある若者ではなかろうが、古市氏の主張を普通に読めば、「大東亜戦争は正義の戦争だった」と主張したとするのは藤岡や西尾の著書のことなのに、『日本国紀』の内容と「近い」と評しただけでこのお怒りだ。
ケツの穴が小さいというか、ゆでダコが差別表現か否かはともかく、誰の目にも瞬間湯沸かし器と映る。文人は仮の姿か、あり余るボキャブラリー所有者にして言葉を選ばず、「このボケが!」なる発言は、子どもの喧嘩の、「お前のとーちゃんデベソ!」にも劣らぬ品位の無さ。古市氏の指摘するようなことが『日本国紀』のなかに記されているのは、事実と検証されている。
つまり百田氏は『日本国紀』のなかで明確に、「日本国による東南アジア諸国への侵略戦争」を否定し、大東亜共栄圏構築を名目に行なった戦争に関連づけ“戦後、アジア諸国の多くが独立を果たした”と評価を下している。この記述は誰がどのように読んでも、「大東亜戦争は正義の戦争だった」という主張に〈近い〉とする古市の論評のほうが妥当ということになろう。
何にでも噛みつき、吸い付く百田氏が、自著のクレームを拡大解釈してイチャモンつけるなど朝飯前。いかに器の小さい文人気取りの御仁であるかが感じられる。『日本国紀』の波紋はさらに広がり、作家の津原泰水氏が『日本国紀』を批判する投稿をツイッターでしたことで今回の騒動となる。出版元の幻冬舎は権威をかさに、「批判を止めぬならお前の本を出さない」とした。
津原氏の『日本国紀』批判の要旨、ウェブからのコピペ・パクリというものだが、どうやら事実らしい。これに対して幻冬舎側は、「『日本国紀』販売のモチベーションを下げている者の著作に営業部は協力できない」と津原氏に通達したというが、こうした違法とも受け取られかねない圧力に屈せず、媚び諂うことなく幻冬舎を告発した津原氏の男気はいいんじゃないか~。
以前百田氏は『永遠のゼロ』を批判した宮崎駿氏に対し、『頭大丈夫?』と批判した。今回は自著批判をしたわけでもない俳優の佐藤浩市に、「三流役者が、えらそうに!」と噛みつく。汚い言葉で罵る人間はあちこちにいるが、「俺はベストセラー作家。三文文士ちゃうで」と言いたいのだろう。小物の大物気取りは珍しくないが、静謐なネットに下品な言葉とあの顔はうっとおしい。