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五賢人 亀井勝一郎 ③

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太宰の情死事件からおよそ70年…、妻・美知子に宛てた太宰の遺書には、「誰よりも愛していました。小説を書くのが嫌になったから死ぬのです」とある。小説の行き詰まりへの深い苦悩、体調の不調や病苦、愛人富栄の自殺強要など、入水心中の原因はさまざまに取り沙汰されており、勝一郎のいう無理心中説も憶測の域を出ないが、富栄による美知子宛の遺書には以下のように書かれている。

「修治さんはお弱いかたなので、貴女やわたしやその他の人達にまでおつくし出来ないのです。わたしは修治さんが、好きなのでご一緒に死にます」。なんという文言であろうか。おそらく太宰は妻と愛人の板挟みのなか、彼の人間的な弱さや優柔不断のなか、富栄に情死を押し切られたのではないかと推察する。自分の夫を奪った女からこんな文言をもらった美知子の心中はいかばかりであろう。

しかし、「小説を書くのが嫌になったから…」の言葉は重く、太宰の心の深奥にはそのことは間違いなくあったようだ。富栄が太宰を本気で愛し、こころを尽くしたのも間違いない。太宰に接していた編集者らは、富栄は日頃から、「変なことをしたら青酸カリを飲む」といい、太宰はそれを恐れていたという。富栄にとって太宰とは、まさに 「死ぬ気で、恋愛…」(富栄の日記・S22.5.3)だった。

シェイクスピアは、「恋は盲目」といい、パスカルは、「恋は明晰であるべき」といった。どちらを正しいとするかは人それぞれだが、愛とは相手を深く見つめるものであるなら、パスカルが正しいと思うが彼は失恋した。恋が盲目であってはならない理由として、相手をちゃんと理解する必要があるからで、それにしても理解とは一体なんであろうか?人を理解し尽くすことなどできるのか?

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もし、男女がお互いを理解しようとふか~く突き詰めていったなら、相手の正体が分かって嫌になるだろうし、そんな相手と結婚するはずがない。恋はやはり盲目の方がいいのかも知れないし、お見合い結婚にも良い点はあるのだろう。人間は一筋縄ではいかないようなら、盲目に恋愛してさっさと結婚するのがいいのかも…?亀井勝一郎の『人生論集』のなかに、<相寄る魂について>という一文がある。

昭和42年に書かれたものだが、以下のくだりには思わず知らず肯かされる。「夫婦として長い生活を続け、それぞれに仕事で苦労したり、或る場合は浮気を起したり、貧乏したり、様々の曲折を経た後、やがてごく素直にそれを回顧し、“お互いに苦労かけたなあ”などと言い合うそうした状態を、私は“相寄る魂”と言いたいのです。言わば病める魂の抱擁を意味しているわけで…」。

夫婦といってもさまざまで、賢夫、凡夫、愚夫、悪夫もいれば、賢妻、凡妻、愚妻、悪妻もいて、二つのパターンの組み合わせで夫婦は成り立つ。ハッキリと性格上に区分されているのではなく、これらの要素を腹の底に潜め、時と場合によってそれらの一面が露骨に現れる。また、妻の気持ち次第で凡夫が賢夫に見えてくる場合もあるが、とんでもない悪夫であったなら恨めしく思う筈だ。

しかるに賢夫とはどういうものか?賢夫といわれながらも家庭では暴君だったり、その逆もある。自分たちがまだがうら若き時代に言われたのは、「社内で偉そうに威張っている上司は間違いなく家庭では尻に敷かれている」などといわれたもので、おそらく間違いなかろうし、現在でもそうではないか。「賢夫は知能犯的資質があって妻をゴマ化す術に長けている」と亀井は述べている。

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凡夫とは?我々を凡人というが、凡人が夫になれば凡夫なら説明不要。世間の妻の多くが、「うちの亭主はだらしがない」という。非難の意味を込めてではなく、笑って諦めた言い方が多い。「だらしがない」とはどういう“だらし”であろう。「うちの女房は愚妻でね」という夫も多く、「悪妻よりいいではないか」と持ち上げておく。ならば、「女房は悪妻でね」といわれたら?

「負けずに悪夫になればいいんじゃないか?」などといっておく。亀井は凡夫をこう定義する。「細君との神経戦にしょっちゅう引っかかって、大声で喚いたり、時にヤケ酒を呑んだり、そうかと思うと、突如としてお土産など抱えて、ニコニコしながら帰ってきたり、要するに夫婦生活における動揺をそのまま正直にあらわしている夫のことである」。彼の主観だが自分は凡夫をどう定義する?

凡人の自分には、「可もナシ、不可もナシな夫」という以外に思い立たず、亀井のような明確な定義はできない。愚夫とは愚かな夫であるが、何をもって愚かとするか。「あいつはバカだ」にもいろいろな意味があろう。最後は悪夫である。「愚か」を超えた「悪」となると、妻への負担や影響力は甚大である。何を「悪夫」というのか?ギャンブル好き、女にだらしがない。仕事をしない。

これが世にいうところの悪夫三大条件か。それに暴力を加えると、「四大悪夫」となる。これらは世間の定評でもある。「私は賢夫と悪夫は紙一重と思っている」と亀井はいうが、「お金と時間に余裕のある男にロクなのはいない」というのも世間の定説である。つまり、どんな善良な賢夫でも、多少なり金回りがよくなり、時間があり余るようになると、必ずやこの危険性に晒されることになる。

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