一般的論として我々は人生の素人である。生きるということは分からないことだらけで、めぼしがついたころにはお迎えがくる。だからと手をこまねいている訳にはいかない。そこでどうするこうするとなった時に、凡人には賢人という支えが必要だが、聖人を必要の人もいる。「一番でなきゃいけない」ということでなければ賢人で十分だが、どれだけ吸収できるかにかかっている。
いつの時代に生まれてくるかは選べないが、いつの時代に生まれようと、人間はその歴史のスパンのなかで変革期を生きている。500年前の社会と現代とは大きく異なっていようし、500年前の社会情勢の中で正しいとされたものが、500年後も正しいということもない。信長・秀吉・家康という英雄から何かを学び取ることはできるが、戦国時代と現代では生かし方も変わってくる。
聖徳太子は1400年前の人だが、現代にも通じる思想を持っていた。日本人として独立独歩の精神を再認識するために、今、福沢諭吉・聖徳太子を見直すべきという考えがあるが、ある意味正しくある意味間違いかも知れない。良いところだけ上手く取り入ればいいのだが、取り入れ方が難しかろう。堀や亀井たちが五賢人といっても古い時代の人だから、現代にはそぐわぬこともあろう。
五賢人は神でも教祖ではないから、イイとこどりの取捨選択をすることは可能だ。ところが、宗教となるとそうもいかない。神を信仰し、キリストを仰ぐ人は、一言たりとも聖書やイエスの言葉を批判してはならない。それが宗教というものだが、全面信頼という生き方は批判精神の強い自分向きでない。聖徳太子は「十七条の憲法」を著し、「三経義疏」という心得書を書いた。
ところが推古朝が終わり、舒明、皇極と続き、中大兄皇と鎌足による大化の改心が始まる。やがて近江朝を経て壬申の乱へと続いていくが、このころになると聖徳太子の精神を継いだものは絶無となるばかりで、「十七条憲法」は消えてしまった。我々は太子の業績を学びはするが、推古朝から奈良朝に至る百年間において太子の信仰がいかに無視され孤立していたか知ることになる。
時代変われば思想も変わる。飛鳥人には飛鳥の、天平人には天平の精神が、明治・大正にも時代の精神があった。昭和が終わり平成も終わって令和の時代である。自分にとって昭和の精神とは何であり、平成の精神とは何であったのか。あと何年生きながらえ、自分の最後の年が令和である。死が淋しいか悲しいかは、その時にならねば分からない。今は死を実感できていない。
信仰に無縁の人生だったのは間違いないし、自身の中に神は宿ってはない。キリスト教信者で新約聖書学者でありながら、自ら「神を信じぬクリスチャン」を自称する田川健三(1935年 - )は、彼は国際基督教大学で教鞭をとるも1970年、「造反教官」として追放された。チャペルで礼拝のとき講壇から、「神は存在しない」、「存在しない神に祈る」と説教したことで追放だった。
ラッセルは、「キリスト教徒」が何を意味するかは別の問題として論じるものの、キリスト教徒以外のすべての仏教徒、儒教徒、回教徒、等々――は、善良な生活をしようとはしていないという卑下や揶揄に対する理由をして、その妥当性のなさからいっても私はキリスト教徒ではない」という。「我々は何をしなければならぬか」という自己命題においても斯くの如くいう。
何かを信じて生きていくとどうなるのだろう。神や仏を信じないで生きてきたことでいうなら気楽でいい。信じて生きた経験がないから比較はできない。熱心で敬虔なクリスチャンも、そうでない生き方の経験はないから同じように比較はできぬが、亀井や堀はかつて宗教体験があった。信仰から離れて再び信仰世界に戻らぬところをみれば、信仰を捨てて正解だったのか。
堀はその著書『思考と信仰』のなかで、「宗教随想めいたものを書く場合、私自身が熱烈な信仰をもっていないのが条件となる」という。もし熱心な宗教者であったなら、「神とか救いとか罪とか重大な問題について、さりげなく書くことはできない」という堀は自身を誠実に眺めている人だ。仏教者が仏教を、キリスト教信仰者がキリスト教を賛美するのは当たり前である。
人生についてなら誰でも書けよう、人生体験なき者などいないが、堀のいうように、人生について書くなら、「私自身が人生体験がない方がいい」てなことはない。むしろ人生体験の豊富な者の方が味もあり、面白味もある。亀井勝一郎は、「人生は広大な歴史だ」という。いわれてみれば当たり前のことで、歴史に無駄がないように、人生で起こることに無駄なものは何一つない。
世に生を受けた以上、人間について、愛や死について、人生について思索をすれども、凡人の理解を超えた事柄にについては賢人に頼るしかないが、神や聖人に頼る人もいる。「人生の目的は何か?」について書かれた書籍は膨大に存在するようでも、どれも人生の切れ端程度のことしか書かれていない。あのゲーテでさえ、「人間とは緑の牧場で枯れ草を食う愚か者」と述べている。