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五賢人の結婚観 ②

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イメージ 1現代は女性の自立の時代。五十年前の林田の女性自立論についての記述は、今の時代にあってはただの憂慮に過ぎなかったようだ。堀も林田も明治生まれの人間であるが、頑固で硬直さのない思想ゆえに、自分が賢人と仰ぐ人達である。彼らはあくまで男の視点で、結婚を夢物語として描かない。堀の著書『恋愛と結婚』は女性向けだが、以下の率直な文には女性からの反発が予想されるが、結婚に対する心構えを現実論としてやさしく諭している。

「男も女結婚することによって、一定した生活をつくりあげるが、一定しているがゆえに倦怠と退屈を感じないでいられない。(中略) 一方は一定を好み、他方は好まない状態が結婚である。したがって、結婚は心理的に多くの危険をはらんでいる。あなた方はここまで読んで結婚の夢が色褪せたように感じたとしても、私は決して嘘偽りを書いていない。事実は事実としてハッキリ知って欲しい」。

堀は結婚を夢物語と捉える女性に対して注意喚起を与えている。結婚前に現実認識をさせることで、結婚に失望させないない老婆心を説くが、それでも女性は結婚に憧れ、夢を抱き、あげく現実に直面して涙する。「起こること一切は想定の範囲」という理性は、女性の心に湧き立たぬのか?女性は事あるごとに、「なんで?」、「どうして?」などといいたい生き物なのか?

男は何かが起こった時に、「なぜだ?」、「どうして?」が立ちはだかるようでは失格である。そこに至った時点で自らの敗北を認めなければならない。だから知識を蓄え、先人や諸先輩からの意見を聞くなどの事前準備をし、あらゆることに備える周到さが必要であり、これを男の「理論武装」といったりもするが、そうでなければビジネス戦争に勝利することは難しいだろう。

男の習性は、「勝つ」、「勝たねばならない」。「ホリエモン」の口癖は、「(何事も)想定内」で、それが男にとっての頭の良さか。男の描く、「結婚論」は、男には必要というより女性に向けられる。なぜなら、起こったこと、現実的なことには事前に周知しておいてもらいたいからだろう。「そんなくだらんことでゴチャゴチャいうな、分かっていることだろ?」ということか。

亀井勝一郎も基本は変わらない。以下は『愛と結婚の思索』の一文である。「結婚とは人間形成の一過程で、夫も妻もこれから自分を開拓し、互いに協力し合い、形成してゆくための一つの階段である。私がこんなことをいうのは、『完全な結婚』を夢見る人が多いからだが、人間は誰にも欠点があり、その欠点だけを取り上げて結婚できないというなら生涯結婚はできない」。

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してみなければ分からぬ結婚を、結婚する前の独身女性に何かアドバイスをするなら、こういう言葉が適切だろう。女性の頭に入る入らないは別にして、書く者の義務ではないか。坂口安吾に、「結婚」の文字が入った表題はないが、なくて当然、なくて安吾という気がする。以下は『悪妻論』の一節。「日本の亭主は不幸であった。日本の女は愛妻となる教育を受けていないから。

彼女らは、姑に仕え、子を育て、主として、男の親の孝に、我が子の忠に、亭主そのものへの愛情に就いてはハレモノに触るように遠慮深く教育訓練されている。(中略) 洗濯したり、掃除をしたり、着物を縫ったり、飯を炊いたり、労働こそ神聖也とアッパレ丈夫の心掛け。遊ぶことの好きな女は、魅力があるに決まっている」。こういうホンネを臆せずに書く安吾は魅力的である。

堕落なんか御法度の時代に『堕落論』を書き、「女三界に家なし」の時代に「遊ばぬ女は魅力ナシ」と書く安吾は、理想主義者でもある。しかし、その理想主義が現実となっらなら、「安吾は現実主義者だった」ということになる。彼は49歳で逝去したが、いわずもがな彼は愚行家であった。愚行というのは、死に際してまで愚問を問い続けることであり、斯くいう自分もその端くれだ。

昭和生まれで唯一存命の加藤諦三の結婚観はどうか?彼には膨大な著作があり、大体は似たり寄ったりの内容であるが、ある女性が「女性向き」ではないとしたのも分かる。他の四人とは違って女性に手厳しい加藤は、「結婚は生きる目的ではない」という。ある人にとって結婚は幸せであるが、ある人にとって結婚しないことが幸せなのだ。結婚して不幸になり離婚した人もいる。

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だからか、結婚は人の生き方の一つでしかないのは納得がいく。自分をよりよく生かすための手段が結婚があるので、目的ということではない。若い人はとにかく結婚をしよう路する。自分もそうだった。人間の目的だと思っていた。確かに結婚しなければ家庭を築くことはできない。が、それは結婚をそう考えたからで、結婚をそのように考えない人のことは頭になかったというだけ。

「理に適っている点においては結婚より同棲であろう」と、加藤はいうが、現代の若者に離婚が多いのは、じっと耐えるという修養を積んでいないからではないか。結婚は契約であるから、そういう若者にとって、いつでも解消できる同棲が理に適っている。躾や教育というのは、甘えを正すために行うもので、そういう意識の希薄な親の子どもはワガママに育つだろう。

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