結婚が何であるかは結婚してみて分かること。これは自分の体験だが、誰もがそうではないだろうか。結婚しないで結婚が何かを観念程度の理解は可能だ。体験しても絶対に分からぬもの、それは「死」ではないか。もっとも、死を体験するといわない。臨死体験というのはあるが、彼は死んでいない。あくまで臨死であるから死の体験談とは言い難いが、稀有な体験だけに重宝される。
自分にとって結婚は何であったか?現在も婚姻中であるから、何であったかという総合的見解は出せなくもないが、今後の離婚の可能性も含めて確実性のある発言はしないでおく。「結婚が何であったか」は離婚者に問うのが良いのではないか?彼らに「結婚が何であったか」を定義づけられる。ただし、個々においてはそれぞれの結婚観があろうから全ての意見を記すのはできない。
今回は「五賢人の結婚観」という表題なので、それについて書く。堀秀彦には、恋愛や女性という語句を表題にした著書が多いが、結婚が表題にあるのは、『結婚の真実』(教材社, 1940)、『結婚読本』(要書房, 1953)、『結婚 その幸福と背景』(社会思想社,1956)、『恋愛と結婚』(大和出版,1978)があり、関連する書として『配偶者を選ぶ法』(池田書店,1951)がある。
自分が所有するのは『恋愛と結婚』のみである。昭和15年の著作『結婚の真実』はとてもじゃないが読む気はしないが、80年前の時代の結婚の真実ってどういうものであろう。昭和15年といえば、第二次大戦が始まった翌年で、日・独・伊の三国同盟が結ばれた年でもある。古き良きおごそかなる結婚だったようでもあるが、夫は戦地に招聘されるというのが自明の時代でもある。
実用書としての『結婚と恋愛』(1978年)には、結婚に対する心構え、恋愛とは別のもの、これまで身につけてきた習慣の変更などについて書かれている。抜き書きすると、「結婚の心理はだから恋愛の場合のように、もっぱら愛情だけの心理ではないのです。むしろ、それは二つの違った習慣がどのように調和するか、逆に反発するか、にまつわる心理の問題だともいえます」。
愛情だけの心理側面ではないというのは、義務としての要素もあるということだが、妻への夫の義務、夫への妻への義務、あるいは子どもへの義務、義理の親への義務、そういうもののかかわりの中の結婚ということであろうが、著作から40年経った現在からみても、結婚への義務意識はかなり薄れてきているようだ。夫の両親との別居が当たり前になり、夫や妻への義務意識も変わった。
したがって1978年の堀の著書ですら、実用書としての価値は薄れたということになる。「人間は人間だ。5000年前の人間、2000年、1000年前の人間も100年前の人間も変わらぬ人間であり、変わっているのは環境という時代である」というのは本当なのか?進化というスパンではないにしろ、環境の推移によって人間の資質は変わるだろうが、本質というものは変わらないということか。
全世界で1000万部以上読まれた『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、こんな論旨を述べている。「人類の決断は常に良い結果を生み出してきたとは言えない。現代人は石器時代より何千倍も力を持っているが、2~3万年前と比べて幸福には見えない」。なるほど、何が石器時代を幸福にし、何が現代人を不幸にしているかについてハラリ氏は、それは権力であるという。
さらにはこのような警告を述べている。「現代人は神になろうとしている。これは決して比喩ではなく、これまで死を超えられるのは神だけと思われていた。しかし今、それを実現するのはエンジニアと信じられている。老化と死のプロセスが理解できればそれを操作できると考えられている。そうして少なくとも一部の人達は死なないで、彼らは神のように永遠に生き続けるのです」。
確かに現代科学の象徴的な研究について述べている。それほどに現代はITやバイオテクノロジーが進歩し過ぎている。「5000年前の人間も100年前の人間も本質は変わらない」としたが、ハラリ氏は、「21世紀以降人間は、人類誕生以来初めて、体や脳や精神を大幅に変化させることになるでしょうし、つまり今の私たちは別のものに生まれ変わるのです」。これは幸福なことなのか?
林田茂雄には『現代結婚論』なる著書があるが、現代といっても1976年の著作であり、40年以上も昔である。10年が一昔だから40年は大昔といわずとも昔であろう。亀井勝一郎の『愛と結婚の思索』も1969年だから丁度50年前。50年前と今とでは社会環境が大きく違っており、ハラリ氏のいうように人間の本質は変わらないまでも、生活環境や社会環境に人間が大きく左右されている。
林田は、「女性の解放なしに真の結婚はあり得ない」とする。これには女性の自立的な意味もあるが、中国の『白虎通』という文献の「婚姻」という文字に言及する。「婚とは、昏(くら)い時代に礼を行うこと。姻とは、女が夫に因(たよ)ること」。確かに文字の語源はそうでも、社会が変革すれば自ずと人間は順応していく。婚姻という字が中国の古い文献にあろうと関係ない。