「恋愛が第一印象を原則とするなら…」と書いた。ひとり想う恋とちがって恋愛には相手がいる。第一印象で見初められないならそれは仕方のないことだ。第一印象を重視する人間にとって容姿は重要である。容姿が彼らの何を満たすのか?家を建てるとき、建売家屋を買うとき、外観も大事だが生活空間を重視しないのか?といったら、「家と女は違う」という。確かに違うが考え方をいったまで。
いつの時代でも美人というのは評判になる。男はもちろん、女性でも美人への関心は深い。「確かに美人は綺麗」、「均整がとれた良い顔をしている」とはいっても、各人のそれぞれの好みがあって、美人を定義することは難しい。太古の昔、美人といえば巫女であった。その理由は神に仕える神聖な女性であるとともに、神のい告げを受けて伝える能力をもった賢い女でなければならなかったからだ。
様々な地方ではこの資格を持つ娘が巫女となり、その娘のところに夜這いすることが男の喜びであり誇りであったという。大国主命(おおくにぬしのみこと)と沼河比売(ぬかわひめ)との間に交わされた長歌(古事記)のなかで、大国主命は、「賢し女(さかしめ)を、ありと聞かして、麗し女(くわしめ)を、ありと聞こして」と歌っている。賢い女であるとともに麗しい女であるのが美人の条件だった。
一口に賢い女といっても、これも個々によって違ってくる。女性に限らず、賢いというのはそれは様々な見方がある。「あの人は賢い」、「あなたは賢い」、それらは何の基準でいっているのだろうか?おそらく自分が基準だったりするのでは?「頭がいい」と「賢い」が同じ場合もあれば、「あの人は頭はよいけど賢くないね」などという。この場合は教養がないということか?気転が効かないということか?
教養のない人はいる。学問に長け、読書好きであっても、教養なき人間は、どこか神経が粗雑であったりする。神経の粗雑な人間に限って、勝利者のように振舞う。分かり易くいうと自慢がハナにつく。教養のある人で自慢話が好きな人はいない。いたらその時点で教養がダウンになる。教養といえば、いかにもしかつめらしく、難しい本や美術・芸術に関連づけてしまいがちだ。
ようするに教養とは知識の面だけではなく、その人の風習や何気ない所作、ちょっとした言葉の端にもあらわれよう。もっとも感じるのが言葉遣いかも知れない。教養のない人男は野卑な言葉遣い、教養なき女性は、"はにかみ"がない。亀井は、「はにかみこそ文化度の高いしるし」と定義する。彼は女性のはにかみを美ろし、教養とする。なるほど、確かにニュアンスに対して敏感な女性ははにかむようだ。
堀秀彦は教養についてこんな風にいう。「教養のある人とは、一口にいうなら「他人の立場について理解を持ち、やたらに私が、私がという態度を示さず、その人全体として統一のある人柄を持った人。ちぐはぐさのない人」と定義する。確かに人から敬遠される教養の代表的なものは、「知ったかぶり」であろう。決して難しい知識ではなく、人間が社会で日々生きていくための心の糧になるものだろう。
林田茂雄は、「教養のあるなしはどういうことで決まるのか」の表題で、教養が何かをつき詰め、その結尾に、「教養とは、人のその生き方そのものの美しさの中から創造され、蓄積され、発展させるもの」と書いている。「生き方の美しさ」とは何か?気の毒な人、底辺で生活する人をあざ笑い、羨望の相手をこき下ろすような生き方ではなかろう。やはり人への優しさ、思いやりではないだろうか。
そのことそのものがもはや教養なのかも知れない。身につけた数々の教養を値打ちあるものにするためにも、人には優しく思いやりであろう。安吾のエッセイから「教養」という言葉を探そうものならおそらく見つけることはないだろう。次の一文こそが安吾の安吾たるゆえん。「私はいったいに万葉集、古今集の恋歌などを、高度の文学のようにいう人々、そういう素朴な思想が嫌いである。
極端にいえば、あのような恋歌は、動物の本能の叫び、犬や猫がその愛情によって吠え鳴くことと同断で、それが言葉によって表現されているだけのことではないか」と安吾はいうが、言葉を選ばぬなら、サカリついた男女の逢瀬・逢引であろうと。まあ、良いではないか、他に娯楽も何もない時代だ。そんな安吾が教養論など述べる筈がない。彼はロマンチストだから、恋愛論や男女のことは率直に描いている。
「あばたもえくぼ」という言葉について思うことだが、美は愛によって発見されるということだろう。「あばた」でなくとも、恋愛こそが人の発見の喜びである。それまで知らぬ二人が出会って愛情が生まれるのは、互いの姿にしろ内面にしろ、第三者には気がつかない、「美しさ」や「好ましさ」を発見するからだ。隠れたものを見つけるのが発見で、「何であんなブスがいいのか?」という他人の声には笑うしかない。
同じ恋愛であれ不倫が刺激的なのは、秘密でなされるからであり、公にできない秘密性が恋の味を深めるのであって、よって不倫で結ばれた男女の行く末などはたかが知れたもの。人は、不倫で結ばれたのだから、「よほどの…」などと世間はいうがとんでもない。生まれ持った容姿ではなく、恋愛によって美しくなる女性はいくらでもいる。恋愛に比べて結婚とは互いの人間形成の場であろう。