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Channel: 死ぬまで生きよう!
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他人をカボチャに見立てるとき ②

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「善いことをやっているのに。文句がでた」、「悪口言われた」、「批判された」などと不満や愚痴をいうくらいならやらぬ方がよい。"何事も想定済み"の態度でなければ物事を推し進めることはできない。将棋の対局中に、相手からこちらの考えにない手を指されて、狼狽えるようでは勝ち目はないのと一緒である。つまり、他人の批判や文句は最初から想定していることが基本にある。

亀井勝一郎のいう、『強い精神ほど孤立する』という言葉にも示されている。いろいろな意味にとれるが、「妥協をしない」、「迎合しない」ということと同じ意味合いであろう。強い精神性は強い信念に裏打ちされている。孤立をしようとも孤立を怖れず、孤立を厭わぬことも強い精神性を示している。「なぜそうなれるのか?」と問われることもあるが、本人は普通と思っている。

もう一つ、他人の意見を聞いて(見て)ムカつくようではダメ。この人はこういう考えで生きているんだなと、他人事でいるべき。さらには、匿名で他人を批判するような態度はむしろ弱者。「堂々と悪いことができない」から、匿名で誹謗中傷する。陰口も同様で、心の強い人は堂々と悪人になれる。むしろそういう人こそ善人かも知れない。「悪を行為する善人」とは分りづらいか?

信念を信念と思わず、普通と思っていることを他人が勝手に信念と呼んでいるに過ぎない。揺るがないのは、食って出して寝るからであって、信念だから揺るがないのではない。批判されようが、悪口・陰口叩かれようが、自分が何かの(誰かの)役に立ちたいとの思いなら、批判や悪口に屈する理由がない。なぜなら、批判や悪口は何ら公の利益にはなっていないタダの文句でしかない。

文句をいうだけの人間はどこにもいる。口を開かず押し黙るのがいいが、露骨な人間には、「お前は文句をいうだけで何かの役に立つことをやっているのか?文句で自分を満たしているだけでは?」など、いうこともある。いわれた相手は逆恨みを持つ以外にない。こういうケースをどんだけ目にしたかもあり、「逆恨みの一丁上がり!」と楽しむことにもなる。人はそれを強さというが?

真に強い人間は、上に出たがったりはしなう。なぜなら強者はもともと、「強い」のだから平等を求めない。自身が不当に扱われる位置にいようと、明らかに実力的に下部の位置にいようと何でもない。そのことをあえて引き受けたりもする。ようするに、上辺を飾る自己満足になど興味がない。また強い人間は虚栄心に生きていない。ウソを拠り所に生きて何が充実した生であろう。

「自分の"弱さ"を武器に特別扱いを求める」、そういう人間とは無縁である。社会が善であるということは、優秀さや卓越さが求められるが、そうではない社会に埋没する人たちは少なくない。また、優秀な人間が他人から逆恨みを持たれることはある。それを嫌がってみてもどうにもならず、人への逆恨みは何の利益にならぬと、気にもせず、無視できるところも強い精神性の証となる。

「善いことをやろうと思ったら孤立は覚悟」というのが大事となる。それはないなら潰されよう。田中正造も幸徳秋水も信念の人であったが、幸徳は中江兆民の弟子で、日本国を愛し、日本の人民を愛する、『愛国忠民の人』であった。幸徳が18歳のときから10余年、兆民から撫育の恩を受けている。坂本竜馬と同じ土佐藩生まれの中江兆民の、「兆民」の号は、「億兆の民」を意味する。

虚栄心は自己顕示欲に関係する。「自己顕示欲が強いと、自分自身を大きく見せるために噓をつく。“空想虚言者”と名付けられており、この特徴は自分がついた嘘を自身が信じ込んでしまい、周りの人を騙していく。最近ではSTAP細胞の小保方晴子が浮かぶ。自分が信じているのだから、他人を騙している気はないが、そこに気づいたエリートはいたたまれなくなって死を選ぶ。

他人というより自己に対する責任感の強さであろう。自殺者には様々な理由がある。世間に顔向けできないほどの羞恥心もあれば、いわれなき醜聞の犠牲となったものもいる。これを名誉心というのか。いじめ自殺を逃避といっていいのか、そこは分らない。失恋の果てに生きる望みをなくしたとの自殺もあるが、「人は何のために生きるべきか」を突きつけられた被害者である。

「何のために生きるか」というような戯言に縛られ、それが見つからぬ苦しさがどういうものか、ある人にとっては、すくなくとも自殺に値するものであるのは事実。だから自分は若者に声高にいう。「生きることは難しいのだから、生ききることこそが素晴らしき目的だ!」。それだけで生きて、何の不足があろう。現に自分にとって、「生きる」ことそのことが素晴らしく楽しい。

御託を並べたところで、誰の評価が得られるわけでもない。それとも、「生きる意味は〇〇だ」といえば、評価されると思っているのだろうか?人間の基本は、自分が自分を評価することだ。チビに生まれようが、ブスに生まれようが、ハゲになろうが、自分のことではないか。他人の神輿を担ぐのもよいが自らを、「ヨイショ」し、「ワッセ、ワッセ」と誉めてあげるべきでは…

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