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五賢人の恋愛観・女性観 ①

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亀井勝一郎のユニークな視点を、「はにかみ」と題された一文に見る。「善をなすとき、自分はいま善をなすのだと、それを自覚し誇ったらどうなるか。たちまちその善は偽善に化し、相手を傷つけるだろう。友人を救ったり、隣人に親切を尽くすときは、どこまでも"はにかみ"の心をもって、あたかも悪いことでもするように、そっとなさなければならないものだ」。亀井は続けていう。

「本当の美しさはいつも隠れているものだ。美しさを求める心によって発見されなければならないものである。(略) はじめての恋愛のときは、誰でも"はにかむ"のである。決して露骨にはなれない。もし露骨な態度をとったら、そこから美しさは崩れてゆくだろう。隠れている美しさがあるからこそ心をひかれるわけで『情緒をひとしおに深くする』とはこのことである」。

亀井の一貫した、「控えめの美徳」こそが明治人の奥床シズムであろう。そういえば安吾も、「親切について」という似た文章を書いている。その中で化粧は女性を引き立てるが、自分を隠す技術でもある。自分で醜いと思う点を隠すだけではなく、自分を美しく見せようと思うその心すら隠せば最上の化粧である。などと、これは男のトンチンカンな理想で、そういう女性がどこにいる?

かつて、「露骨なもの」は嫌悪の情といわれていたが、今の時代にそんなことを言う者はいない。自己宣伝や自己顕示のなにが悪いとされる時代である。外国の女性の正装とは、"いかに多くの肌を露出させるか"であるが、比べて日本人女性の着物はいかに肌の露出を隠すかであり、両者は根本から隔たっている。外国人女性の、美しい部分をどんどん露出させてアピールすべきといっている。

これらのことから亀井のいう、「本当の美しさはいつも隠れているものだ。美しさを求める心によって発見されなければならないものである」というこの一文には、日本人にとっては分かりすぎるほどに分かる。これに安吾が加わると、「大根足は隠せ!」となる。「脚の醜い人の多い日本で脚を見せない衣装が考案されないのは馬鹿げている」。なんというか、安吾の率直さ辛辣さ満開の一文である。

堀秀彦となると様相が違ってくる。堀は優しい男で、特に女性への理解が半端でない。彼は女性にこんな不思議な物言いをする。「あなたがもし厚かましい自分の態度を肯定したいのなら、厚かましさのあとに、一握りの羞恥を示してほしい。嫌味のない厚かましさと、そのあとからくる思いもかねぬ羞らいが示されるとき、私達は好ましいという感じを持つ。いけないのは羞恥一点張り、厚顔一点張り」。

堀は自身が女性について書きながらもこんな言い方をする。「理想の女を描きうるのは、また描かねばならぬのは女自身であるべき」。男の中にある理想の女というのは幻想に過ぎないわけで、女自らが理想の女を演じよということか。堀はないものねだりを求めない。「ない」なら「演じよ」というだ。「性格の点で陰影のない女は悲しい性格」とまでいうところは、多少なりフェミニスト的であろうか。

極めつけはこの一文。「醜い女というものは男の心をやすめてくれるものだ。平和にしてくれるものだ。美しい女が男の心をかきみだすのと正反対に」。あくまで一般論としてだが、醜い女と美しい女と、どちらが恋愛に有利であろうか。言わずもがな後者である。醜い女性が一目見て恋されることはおそらくない。恋愛が第一印象を原則とするなら、醜い女が不利、得をすることはない。

美人が得をし、ブサイクは損というのは一般的な見方でも、ブサイクから美しさを引き出すのは、宝探しをする楽しさがある。美しさとは人間としての美をいう。その逆、美しい女に醜い部分が見えたときは、1000円の洋服を騙されて10000円で買わされた気持になる。美しい女の心もそれは美しいということも、「ない」とはいわぬが、醜いものからどんどん美しさを見つけるのは開拓精神か。

他人の視点を気にする者もいるが気にならない方だ。自分が良いならそれで良し。「あんな不細工な女のどこがいいんだ?」などはよく言われたが、いわれることをむしろ面白がっていた。「醜い女が醜い性格だったらどうする?」そんな風にいう奴もいた。「ブサイクが好みというんじゃない。良い性格の女がいい訳だから、性悪女は美人だろうがブサイクだろうがダメに決まっている」。

物事は蓋を開けるまで分からぬもの。自分の思うようにはならないのが世の常である。しばしば他人が口に出すような、「宛がはずれた」、「思ってる女と全然違っていた」などの言葉は、そもそも口に出すこと自体が問題だ。見込み違いの多くは勝手に見込んだことの責任である。これらは美人からの場合が多い。醜い女に見込むものはないとしたものなら、彼女の株は上がるばかり…

堀の自著『女性のための71章』で、「醜い女は男の心をやすめてくれる。平和にしてくれる」と書いているが、これには共感させられる。安吾も似たようなことを書いている。「多情淫奔な細君はいうまでもなく亭主を困らせる。困らせられるけれども、困らせられる部分で魅力を感じている」。これは男にも当て嵌まる。モテる恋人、モテる亭主は心配で不安だが、モテない亭主より魅力のようだ。

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