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Channel: 死ぬまで生きよう!
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長寿についての随想

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人が年をとると若者より人生を楽しむことができる。これは自身の経験から断言できることで、それについて二つの理由が挙げられる。一つは、年金生活者は毎日が自由以外のなにものでもないこと。もう一つは、老齢者の方が人生により深い理解をもち、賢明であるからだ。自分の若者時代をどのように眺めても、今よる格段劣っている。ハッキリいって無知でバカであった。

人によっては若い時代の方が優秀だと感じる人もいるだろうが、この際自分のことでいっている。マラソンを見ながら思うことがある。走者が疲労の絶頂のなかで新たな力を盛り返し、後方からトップに躍り出ることがあるが、この光景には感動を抱く。新たなエネルギーがなぜか分からぬがあふれ出して、彼をゴールラインに連れて行くのはどこか新鮮で気持ち良い。

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マラソンを人間のに置き換えると、これは一生にわたって維持されうる新鮮さのように思えてならない。人は何者であれ、幼年期や若いころにもっともよく訓練できるものであるが、しかるに壮年や老年なって、それを取り戻すことに遅すぎるということはなかろう。「四十の手習い」という諺がある。人によっては、「五十の手習い」、「六十の手習い」という人もいる。

どれが正しいというより、人生五十年といわれた時代に造られた言葉と想像するが、〇〇歳と拘らずとも使う者の考え方一つで、置き換え自由で便利な言い回しだ。「手習い」の語源は毛筆で仮名や漢字を練習することだったが、今は何でも御座れの時代だから、「60の手習いじゃないけど、最近ウォーキングを始めた」との言い方をしても全然おかしくはない。

誰でも年一回平等に年をとるが、子どものころに想像した年寄りのイメージと、実際におじいちゃん、おばあちゃんになってみて思いの違いに驚く人は多いのではないか。時にそんな会話をすることもあるが、実際に老齢に達した人の多くは、戸惑いを覚えるほど自分が若いと感じているようだ。人は人を年齢的なイメージで判断するが、年齢は記号でしかないようだ。

65歳以上はシルバーとされ、何かと特典があるが、普段から意識していないので「あ、そうか」とふと意識させられることがほとんど。最初からシルバー特典を狙うことはないほどに忘れている。利用できるなら利用はするが、「なんで自分がシルバーなんだ?」と不思議な思いに駆られることがある。多くの人は老齢という悪習にあっさり慣らされているのではないか。

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「法的年齢」と呼びうるものと、意識年齢の違いには大きなギャップが感じられる。老齢者のなかには時代遅れで時代錯誤の激しい人もいるが、あれこそが彼らのバロメータなら、それはもうパロディでしかない。もちろん、自分とて若者から見れば時代遅れで時代錯誤の老人であろうが、我々が同世代をそのように感じるとき、年老いたことは卑しむべきことに思われる。

高齢者がみな老いぼれているなら、彼らをそうさせているのは、年齢という見解に偏見を抱く世間や社会に迎合しているからである。老荘思想にはないが儒教思想においては、ある年齢に相応しい振舞いをするよう期待され、そうした意識に蹂躙された老齢者がいるのは承知しており、「年寄りは、老齢相応の法的要求に従うよう望まれる」のは理解をする部分もある。

が、ある部分であって全体ではない。そのある部分を逸脱した老齢者を、「老害」と呼んでいるがそれは正しい。若者や壮年者にとって老害ほど迷惑なものはないが、同輩としても老害には立腹させられることしばしばである。老齢者は老害にならぬよう、自らを若者の視点で眺めることは重要である。人間はいつなんどきにあっても、自分のことは見えていない。

2月の初旬、自分と妻と長女とその長男で長崎旅行に行った。それに味を占めたのか妻が孫の連休に合わせて同じメンバーで東京に行こうといいだした。自分は長崎旅行から帰った際に孫と交わした言葉を妻に話してやる。自分が孫にいった言葉とは、「お前、親や祖父母と一緒に旅行して、楽しくなんかないだろう?もし、それが楽しいと思うならお前は可笑しい」。

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予想もしていない言葉に答えにくそうだったが、表情から本心は理解できた。そのことを妻に話し、自分の意見を付け足した。「孫は断り難いからついてくるのだし、そこを理解して誘わないのが利口な人間のおもいやり。年寄がしたいこと、して楽しいことが、子はともかく、孫にまで及ぶことはない」。「そうなんかね~」と妻はいうが、こういうところは男からみた女の近視眼である。

「年寄りは年寄り同士、若者は若者と一緒に遊ぶのが楽しい。それくらいは分ってやれよ」といえば、妻とてバカじゃない。物事を素直に理解するから彼女は良妻の部類と思っている。世には良妻・愚妻・悪妻がいる。何をおいても理解力は良妻の重要事項であろう。自分の利益が果たして子の利益、はたまた孫の利益になるのか?こうした対人関係の基本を人は社会で学ぶ。

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