老いを自覚するのは人間にとって困難なものだ。なぜなら、自分自身の個体が衰退していくのを知ることで喜ぶ者はいない。自分のことは棚にあげるが、他人の老いには敏感である。「ちょっと見ない間にあんなに老けちゃってビックリ!」などはしばしば耳にするが、人は自分を見ないで他人ばかり眺めて生きている。物忘れが激しく人の名前が思い出せない、それを老いという。
それでも、「年だからなのかな?」、「自分は年をとっているのか?」と断定もしたいが半信半疑でいたい。老人が若者と決定的に違うところは、未来が限られた短いものである。これを「余命、幾ばくもない」などの言い方をするが、確かに多くの老人の未来は閉ざされている。若者の持つ、「惜しみなく自己を消費する」、「無限に開かれた時間」などは一部の老人以外にない。
若者は未来の夢によって幸福であり、この夢に励まされていろいろな試みが出来るが、老人の人生はすでに出来上がっており、やり直しがきかないことを知っている。若いころには未来はあったが、消費してしまった。そうして人生最後の目標である死を迎える。「人間は生きてきたようにしか死ねない」という原則からは、誰も逃れることはできないこと自ら証明して死を迎える。
死ぬということをどのように考えようと、自分がこの世から消えて存在しなくなる程度にしか理解できない。死後の世界も生まれ変わりも信じない自分にとって死はそれで十分だ。「死後のことは死後のこと」そんな風にも思わない。何もないなら何もないでよかろう。老いの深層には深いものがあるが、死の深層など何もないと愚考する。簡単で単純で日常的なことそれが死だ。
あれこれいう人の自己満足に批判はない。自分にとっての死があればよい。老いも自分にとっての老いが重要であるが、老いの何が重要なのか?老いにあれこれ注釈はつけられるが、老いたる人は、とりあえず毎日の今を生きることが老いを生きることになる。諸問題は起これば解決をすればいい。今から動けなくなった時のことを考えるより、動けるときに動いておけばよい。
とりあえず今は「クズ」として扱われてはいないし、「一個の廃品」として扱われることもない。周囲が自分をどう見るかより自らの生を楽しむ。他人が自分をどう見るかではない。仮に「クズ」といわれれば、「ボケ」と腹でいっておけ。自らが不自由なく老いを生きる自分は、「本当に老いているのか?」と他人事のように日々を過ごしており、動けなくなればその時に考える。
老いの問題は、動けなくなることにあるから動けるうちは問題ない。お金の心配もない。老人に贅沢は無縁である。同年代でパチンコ三昧な輩がいるが、彼にはお金の心配はある。将棋をし、ウォーキングが日課ならゼニはいらない。老いればお金が要らないようになっているなら、性欲の減退とて天の命。若者の肉体は自己の投企のための手段であるが、老いとは投企の衰えである。
無理は禁物でバイアグラ飲んでやりたいものか?情熱の欠如が人を無気力にするが気力は精神に宿る。何事にも情熱はあり、若い者より勝っているかも知れん。老いて諸活動を放棄していないし、現時点において怠情な桃源郷に到達する気はない。乳幼児は見る見る成長するが、われわれも一晩寝るごとに何かが退行するにしろ自覚はない。だから死ぬまで生きるつもり…
ヘミングウェーの『老人と海』で、老いた漁夫は巨大なカジキを3日間の死闘の末に釣り上げる。しかし、陸に持ち帰るまでにカジキの肉は無残にも鮫に食われてしまう。老人の本当の戦いとは、カジキを釣り上げる3日間の死闘ではなく、カジキを釣り上げた後から始まっていた。84日間もの不漁のなかにいて、漁師仲間から笑いものにされ、彼は失意のなかにいた。
彼の心の支えは少年だけ。同輩たちの多くは無気力な人生であったが、彼はそれを拒否、勇気や忍耐という男的諸価値を主張した。「人間は破戒されることはあっても、征服されることはない」は文中の彼の言葉。骨だけになったカジキを陸に持ち帰るも敗北感は微塵もない。たとえ骨だけになったカジキであろうと、敗北に屈せぬ男の強靭な意志ををヘミングウェーは描く。
「男とは何か!」。「老人に必要な不屈さ」。投企の情熱がこの物語に溢れている。作品中もっとも感動的な言葉がある。「いまは持ってこなかったもののことなんか考えているときじゃない。ここにあるもので出来ることだけを考えるがいい」。その意志だけでカジキと格闘、釣り上げた。あれがない、これがない、だからできない、上手く行かない。これが男のいう言葉か?
言い訳って何のためだ?他人にする言い訳は自己の力の鼓舞。だから力を出せなかったといいたい。自分にする言い訳は自己の誤魔化しである。自分を誤魔化して満足することの惨めったらしさ。自分の不安と無力感のためのいろいろな防衛行動を言い訳という。そうだと分かっている人間がそれをするか?惨めでバカげた言い訳をするか?物事を正しく直視する。それが男。