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死は分らぬが、老いは自覚する

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誰もが老い、誰もが老いを生きる。「年をとるのは嫌だ~」などといっても無意味。できることなら老いを延ばすなど、健康寿命延伸に向けて国を挙げて取り組んでいるが、老いや加齢に対して人々がもつイメージはネガティブなものが多く、それらは青年や壮年者が老人に抱くイメージだけに留まらない。老人自身が自らに抱くネガティブイメージにこそ問題の本質がある。

高齢化社会における様々な問題のなかでもっとも際立つ介護問題。有吉佐和子の小説『恍惚の人』を知らぬ若者は多い。発表されたのが1972年だから、もう47年になる。認知症および老年学をいち早く扱った文学作品で、1972年の年間売り上げ1位の194万部のベストセラーとなり、翌73年には森繁久彌主演で映画化された。その後度々舞台化され、数度テレビドラマ化もされた。

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なぜ「恍惚」なのか?青江三奈のデビュー曲『恍惚のブルース』(1966年)の恍惚の意味は、物事に心を奪われてうっとりするさまだが、『恍惚の人』の恍惚は、頭の働きが鈍く意識がはっきりしないさまをいう。出所は頼山陽の『日本外史』で、戦国時代の武将三好長慶が、「老いて病み恍惚として人を知らず」とあり、それから閃いたものであると有吉は述べている。

有吉はこの作品だけで以後10年間取材を受け続けた。あまりに売れ過ぎたこともあってか、「こんなものは小説なんかじゃない」というやっかみ半分の声も多く、文学賞選考からも外されるなどの冷遇を受けたこと有吉はショックを隠せなかった。高齢化社会・老人介護問題を先取りした同書であるが、老いて長生きすることは本当に幸せなのかということを問いかけている。

人は年をとると乳幼児に逆戻りする。自分のことを自分でできなくなるのは、身体的・精神的に衰えが目立ってくるからで、身体はともかく精神機能が衰えた状態を、「呆け」といった。このことから、「老年痴呆」という言葉も生まれ、「痴呆老人」・「ボケ老人」ということから、「痴呆症」という病名がついたが、2004年に厚労省の指導により、「認知症」に変更された。

「痴呆症」が差別用語であるとの断定はできないが、侮辱的な意味が含まれるということ。認知症の人は何もわからず困ったことばかりする。暴言を吐き、徘徊し、乱暴になり、糞尿をもてあそぶ。介護は大変な労苦ばかり――こんな認知症への否定的な見方に対する問題提起としての『恍惚の人』である。肉体的にも小さい乳幼児の世話とは比較できない老人介護である。

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雑誌やテレビでは年がら年中、長寿、長寿と声高である。そうしたなかで、「長生きは正義でもなければ美徳でも何でもない」というのは反動としてある。ほんの数十年前までは、「長生き」であることは尊敬され、「敬老の日」が制定されたのは1966年である。今の時代にお年寄りは敬われているのだろうか?表向きではないにしろ、「長生きは社会の邪魔だ!」という声も聞こえてくる。

少ない所得から税金を払い、社会保険料を収める現役世代にとって、「長生きは悪だ」と思う人も少なくない。「生と死」は哲学的なテーマだが、「老い」はネガティブであるがゆえに取り上げるのは社会問題としてである。モンテーニュは老いを愚弄することも称揚することも拒んだ16世紀の思想家だが、彼は老いを讃えると同時にバカにするという矛盾を犯していない。

モンテーニュは35歳を過ぎてこう述べた。「私についていうと、この年齢を過ぎると精神も肉体も能力を増すというよりは減ったし、前進するよりは後退した。(略) 年齢とともに学問や経験が増すことはありうる。しかし、活発とか、敏捷とか、逞しさとか、その他、よりわれわれ自身の、より重要な、より本質的な特性は、委縮し衰弱する」。16世紀当時の35歳は老人である。
 
他方、ボーボワールが女性論において論じたことは、女性が女性であるがためにいかに人間性から疎外されてきたかである。彼女はまた、「老い」を取り上げており、「老いたる人々が、女性や私生児と同じようにいかに社会で疎外されているか」を述べている。ボーボワールがサルトルと共に初来日したのは1966年9月で、二人は約1か月の滞在で全国9か所を回り講演を行っている。

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ボーボワールはその4年後の1970年、『老い』を出版した。その中で深沢七郎の『楢山節考』を取り上げている。「日本のいくつかの僻地では、かなり最近まで村が極貧だったので、生き延びるために人々はやむを得ず老人たちを犠牲した。彼らは『死出の山』と名づけられた山に運ばれそこに遺棄された」。世にいう姨捨山(うばすてやま)伝説で、伝説といっても史実である。

ボーボワールはモンテーニュをこのように評価した。「彼こそこの世紀(16世紀)で常套句を徹底的に遠ざけた唯一の人物。彼以前に誰一人それについて語らなかったし、彼自身の経験に基づいて、老年について自ら問うた。そこに彼の深遠さの秘密がある」。モンテーニュは名著『エセー』において、自分自身の老いを何の自己欺瞞なしにありのままに見つけて綴っている。

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