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Channel: 死ぬまで生きよう!
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人を判断することの難しさ ①

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ある場面での人を判断することを総じて状況判断ともいうが、その際、要素として相手の人間性(人格)も含めた判断となる。したがって、少なくとも相手の人間の性格なり気質なりをある程度知っておかなければ正確な判断はできない。正確な判断が必要な理由は、それによってこちらの正しい対応が選択されるからだ。ゆえに、人間関係における状況判断というのは、相手の人格判断かも知れない。

将棋をやっていて重要なのは場面ごとにおける形勢判断であるという。プロ棋士ともなると、互いが深い読みに裏付けられた指し手の応酬となり、ある局面でどちらが優勢を保っているかを知るのは大変のようだが知る必要がある。なぜなら、形勢判断によってその後の指し手が変わってくるからだ。プロ棋士がいう形勢判断の方法はいくつかあり、相手の表情からも伝わってくるという。

駒を取ったり取られたりのゲームである以上、①駒の損得が相手と自分でどうなっているか。②自分と相手の駒の価値(働き具合)はどうか。③守られる王将の堅さはどうか。④手番はどちらか。などを元に形勢判断をするが、人の心は顔に出るからチラリと表情を見るのも大事。ただし、表情に出さない棋士もいたり、形勢がいいのに困惑の表情を見せる棋士もいて、これを"三味線"といっている。

人間社会とは人間関係でなりたっているわけだから、相手の発したさまざまな言動から、どういう気持ちでその言葉を発したのか、その行動はどういう意図でなされたのかを判断するが、人の心は見えないだけにこれがなかなか難しい。しかし、判断して正しい対応をせねばならない。間違った判断から相手に嫌な思いをさせたり、憤慨させたり、表情には出さないが気を悪くさせることもある。

若き日の友情というのは、"人と人との大きな関係の要素"であり柱であった。友情を意識することもあれば、意識しない友情もある。意識が正しいか否かは分からないが、意識というのも判断の一つで、それによって自分の対応を決めている。自分は意識をしない派であった。「これが友情なのだ」と、友情の概念を決めつけたりするより、その日その場の状況での相手との関係を判断するようにした。

これは前の記事で述べた、「『なぜ生きるか』を知っている者は、ほとんどあらゆる、『いかに生きるか』に耐えるのだ」を避けている。物事を決めつけるとそのことに囚われて柔軟な対応ができなくなる。決めつけて取りかかるのは楽だが、楽だという以外に良いことはない。「友情」が幻想的なものであったりの場合もあれば、独善的なもの、一方的なものである可能性もあるからだ。

小説などに見る「友情」とやらは、大変に慎み深いもの、派手っ毛のない愛情のようなものである。確かに友情という関係は自然に結ばれるもので、友情に求愛することはないが、一度だけ求愛されたことがある。「俺と友情関係を結ばないか?」といわれて断った。異性に、「つき合ってください」はあっても、「恋愛関係を結びませんか?」とうわないように、「友情関係を結ぼう」は奇異に感じた。

「恋人になってください」もオカシイ。勝手に恋してればいいのに、「自分の恋の対象でいてください」はどこか変。「友情関係を結ぼう」といわれてどう答えたかの記憶はないが、断った後に、「そっか。ならいい」といったのは覚えている。「付き合ってください」と異性にいうのもアリというが自分は一度もない。そんなことよりとにかく誘う。誘うことで付き合うことになる。恋愛関係に移行もする。

「付き合ってください」と前提表示は弱さなのか?「結婚を前提につき合ってください」てな言葉は自分的には笑止である。なぜ、結論めいたことを先にいう?プロセスが先で結論は後からついてくる。自分が結婚を前提につき合えばいいだろう。聞くところによると女の子同士が、「わたし、あなたと友達になりたいの。いいでしょう?明日から友達でいいよね」。こういう女の世界は男にはワカラン。

随分とそらぞらしくもわざとらしい。こんな言葉を女からいわれてもキモチ悪い。女の世界は「結論先」なのか?不確実な人間関係ゆえに、結論で安心させようとの魂胆なのか?不確実な人間関係をかいくぐって人と人は付き合う。前置きする意味はない。女たちは日々虚飾のなかで生きているのを知っているのだ。若いころと比べて、他人の価値観や価値基準が見えるるようになった気がする。

むやみに人を誘わないようになったし、誘うことを躊躇うというより、こちらの都合より相手の都合を考えるようになった。とにかく自分主体の若い時とは大違い。自分は自分の都合で「ノー!」をハッキリいえるが、「ノー!」がいえない人は、自分の都合より相手の都合を優先するからで、これはオカシイ。セールスマンに対しても、堂々と自分の都合で考えればいいのに、なぜ相手の都合を考える?

物事は道理を大事にし、相手の都合を考える必要がない。今日のその日から、無理を要求されたら心を鬼にして自己変革を試みるのがよかろう。セールスマンごときに嫌われるのを怖れる必要はないし、自分の都合だけで思考するのは何の罪もない。相手のことを優先するのは、こちらが誘う場合にである。「事情も分からず誘うので、断りに遠慮は無用です」と、自分は言葉を添える。

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