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長崎旅行とティーバッグ ①

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長崎旅行のことは2月20日に書いた。正直、旅行があまり好きではない自分だが、その理由について考えたこともなく、なぜに嫌いなのかについて把握はしていないが、嫌いなことは確かである。妻は、「今のうちに子どもたちと想い出を…」ということらしい。「札幌雪まつり」を予定していたが、予約が取れなかった。旅の想い出はないが、子どもの想い出はたくさんある。

徳島の大塚美術館にも行ってみたいく、候補にあったが宿が手配できなかった。そうして急遽決まった2泊3日の長崎である。初日はハウステンボス内のコテージに4人で宿したが、翌日の宿は長崎本線喜々津駅近くの、「喜々津ステーションホテル」のダブルルームに一人一室だった。2人一室にするところ、安眠するため一室一人にしたというが正解だ。カップルじゃないんだし…

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長崎駅に着いてまず思ったことは、「今、自分は長崎にいるんだ」であった。そう思わなければ長崎にいる実感がない。ハウステンボスやグラバー邸を前にすれば長崎を実感するが、旅行好きは存在が楽しいのか、観光が楽しいのかどちらだろう。旅行を愛する人たちはどういう楽しみを感じているのか?旅行好き人間は結構いたのでいろいろ聞いてはみたが、楽しさまでは伝わらなかった。

「趣味は旅行」という女性は多い。女性の旅好きの根本的な理由は何だろうか?これまで妻と二人で旅行といえば新婚旅行しかなく、それすらも自分にとっては儀式に過ぎなかった。「趣味は何?」と聞かれ、「思考です」と答えていたりもあったが、。「リョコー」ではなく、「シコー」といわれても、相手は「?」でしかない。趣味に思考思考というのは一般的ないと我ながら思う。

が、思考は楽しい時間である。お金もいらないし、出歩かずとも退屈はない。思考は嗜好で至高のひととき。哲学者の気持ちがよく分かる。他には将棋・音楽鑑賞・楽器いじりも趣味といえるが、何もしないで考え事をする時間に勝るものはない。だから、「趣味は思考」は正直な答えである。いわれた相手も、「どう反応していいのやら」返答に困っているが、何も返さないでいいのよ。

考えることはいくらでもある。「人間とは何か?」に始まり、答えのない問題にあえて答えを求めるでなく、あれこれ考えるのは究極の娯楽と思っている。電車の乗るや否や、すぐにスマホを取り出す人を、「なぜ?」と思って眺めている。この人たちはなぜこれをやるのか?電車乗ってじっとしていられる貴重な時間になぜ思考をしない?と思ってみても、彼らは考え事をしたくはない。

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これまで運命については幾度考えたことだろう。「運命は自分で選べない以上、運命に責任はなく、取る必要もない」というのを耳にしたとき、「ちょっと待った!それはおかしいだろ?」。これが運命を考えるきっかけだった。「人の運命は決まっている」はどうにも納得がいかない。「運命って結果だろう?」と自分には思えない。そう考えなければすべてがオカシイことになる。

左右に分かれた道の右を選んだとする。5分で選ぼうが1時間考えた末だろうが、「お前が右に行くのは運命だった」という天の声に納得はできない。最初から決まっているなら考える意味はなかろう。すべてが決まっているなら悩む事すらバカげている。すべては脚本どおりといわれるなら茶番だ。どうしようと、どう考えようと、どう行動しようと、運命、運命、運命などはバカげた茶番。

左の道を選んだところでそれすら運命という。何とも運命というやつは結果についてくるのであって、最初から決まっているなどあり得ん、信じられん。運命論者やインチキ霊能者が、したり顔でいい加減なことをいうバカげた商売よ。ない頭を駆使して得た結論はこうだ。「『運命は自分で選べないし決まっているもの』というならそれでいい。否定も肯定も証明はできないのだから」。

神の存在や死後の存在と同じく未知のことを科学で説明できない。だから否定というより、それならそうと、そうした運命支配の中で自分がどう生きていくのか。それがその人の責任である。殺人者になると決められていたとし、それは変えられないのか?「お告げ」があれば誰でも避けるだろうし、結果的に運命を変えたことになるが、運命についての「お告げ」など聞いたことがない。

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だからか人は、占いや霊視に頼るのか?インチキ占い師にインチ霊能師はどれだけいるというのか。占いや霊視などバカげているとしかいえないが、そう思わないから頼るのだろう。自分の考える運命とは、運命に負けるのか、運命を諦めて生きるのか、そうした運命との戦いをいう。運命に打ち勝つのが望まれる人間の生き方ではないだろうか?そしてこれらのことはは自分で選ぶことが可能である。

つまり、「運命は自由に選べる」と…。これが運命についての思考の末の解答だ。運命に時間をとったが、長崎から帰って緑茶のティーバックを1000個の大量買いをした。ティーバッグとティーバックは似ていてオモシロイ。それにしてもなぜ、「長崎旅行とティーバック」というタイトルなのか?以前なら行数増やして一気に書いたろうが、文字制限を課しているので続きは明日に…

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