結婚式を終えたカップルが新しい生活に入っていくことを新婚生活という。新婚には違いないが、"新しい生活"というのはどうなんだろう。結婚とともに始まるさまざまな生活はどこも新しいものはなくして、結婚以前に二人が身につけていたものの延長ではないだろうか。新しい生活どころか、むしろこれまでの古い生活が否応なしに修正され、もしくは変更されてでてくるに過ぎない。
だからこそ、夫婦が互いに適応し合うことが根本的な問題となる。西川史子は敗婚の弁で、「(お互い)人と暮らすのが得意じゃない」と述べたが、「得意」という言葉が異様に聞こえたのは自分だけか?人が生まれて以降身についた性格や習慣は、夫婦の愛情より強いもの。こんな事例を思い出す。初めて彼女のアパートに行ったとき、窓もカーテンも閉め切った状態に驚く。
女はこんな生活をしているのか?それにしても、「何で?」と、断りなくカーテン・を開けた。締め切った薄暗い部屋というこれまでと違った日常が始まる。結婚生活ではないが、彼女にとっての新しい生活である。用心のために窓やカーテンを閉め切るのは理解もするが、今後は日常生活の中に、「男」の存在がある。それが女にとってどういう変化をもたらすか、想像するしかない。
一人暮らし女性が何かと不安を抱きながらの生活は理解をするが、部屋に男がいるだけで心強くなるのではないか。もう一人、別の女性はこんなことをいった。「朝の新聞配達の人が怖い」。「何をいってるんだこの女は?」。正直、言葉の意味は分からなかったが、泊まってみてわかった。新聞配達の男が何やら言葉を発している。仕事への元気づけのようなものと感じたが、小さい声ではない。
「ね、聞いて」と朝方彼女に起こされた。部屋の中にいても聞こえるほどに声は大きい。「聞こえたでしょう?」と彼女はいうが安眠妨害ほどでもないし、男の自分にとってはどうってことない」が、女はこういうものにまで怯えるものなのか。一人暮らしの女は大変だなというしかない。だからか、一人暮らしの女は男とベッドを共にするだけで生理不順が直るという。情緒が安定するからだ。
"恋愛は発見"といったが、異性にはその連続である。相手を知ることによっていたわりが芽生え、それはまた思いやりに繋がっていく。それまで女は謎の生き物でしかない。男は暑い夏の夜に窓を開けて寝るが、女の部屋でそれをやって抗議されたことはない。ただし、「声がちょっと気になる」、「何の声が?」、「……」という会話は微笑ましい。性差は日常生活にまで及んでいる。
どちらに合わせるかという問題か?自分的には、女は男によって生活不安から守られている部分がある。それが男女差という。かといって、男も女性への遠慮・気づかいは必要だ。タバコを吸っていたころ、彼女の部屋でも何のためらいもなく吸っていた。気づかう意識すらなかったが、タバコを止めて分かったのは、あの匂いは半端ではなく、嫌だと思う女性もいたろうが、いわれた記憶はない。
嫌煙権が確立されていない時代にあっては、嫌でも仕方ない部分はあった。しかし、タバコを止めてみて分かるのは、タバコの煙も臭いも相当に嫌なものだ。自宅を訪れる愛煙家の誰もが、気を使ってベランダに吸いに出る。こういうことがマナーとされる時代である。「愛煙家は肩身が狭い」などというが、彼らも止めないうちは分からない。それほどにタバコの臭いは嫌なものだ。
♪タバコのにおいのシャツにそっと寄り添うから~、は松田聖子の曲。女性がタバコの臭いを好むかのように受け取れるが、それとも男への許容か?外出から帰ると、「手を洗って」とせかす女は結構いた。「幼稚園児じゃあるまいし、そんなことできるか」と思ったが、習慣とは怖ろしい。慣れると洗いたくなる。男と女の各々の習慣を、共有していくのも結婚生活である。
仮に、窓を開けて寝ることに文句をいう女がいたとする。決してこれが愛情のなさというのではなく、本質的な習慣というものだ。愛情のないうるさい女と受け取る男は、女から足が遠のくことになる。うるさい女ほど面倒なものはない。男と女の生活にあっては、習慣の違いから愛情にヒビが入ることもあろう。自分は女に我慢をしなかったが、多くの女は我慢をしたのだろう。
自分らの世代は男が威張っていたかも知れぬが、我慢をする女もいるだろうが、当たり前に許容する女もいた。これを育ちの差というのだろう。昨今は女がのさばり、男が我慢をするのは見ていて腹が立つ。夫の携帯を本人の前で平気で覗くバカ娘だが、「何でそんなことを許すのか?」と夫(義理の息子)に問えば、「いうと喧嘩になるから」と、何ともヘタレな返土台無理。
♪ワガママは男の罪、それを許さないのは女の罪…。この歌も印象的だが、決して男の独善的ワガママではないと考える。窓を開けて寝るのは安眠のためで、女が明けない理由は防犯である。しかし、男が女を守る用心棒的要素があるなら、そこには持ちつもたれつ感が生まれている。ワガママとは一方的な利害要求である。互いが理解し合い支え合うことで、男と女は生活習慣すら乗り越える。
ところが…、今時の男はヘタレの腑抜けが多い。東北大震災後に妻からの離婚が増大し、「震災離婚」とまでいわれた。その理由が、妻子をおいて我先にと逃げ出す夫に妻が愕然としたというのだ。確かに甘やかされて腑抜けに育った男はいるだろう。が、こういう男は家庭で妻の尻に敷かれていたのではなかったのか?その辺の詳細は不明だが、自分を虐げるような妻を誰が助けたいものか?
上記した母親の過保護が原因で、甘ちゃん男が多発乱造される時代である。その根底にあるのは母親が、「男の子を強く逞しく育てたい!」。そういう意識の衰退ではないのか?かつて男子は、兵隊さんに出さねばならなという時代にあった。戦争がないのは良きことだが、世の中が平和ボケし、腑抜けたマザコン男が増えている。かつては離婚も男の切り札だったが、今は女が握っている。